シンプルであるために(その1)
どういう訳か、近ごろオーディオを少しばかり難しく考えたり言ったりしすぎはしないか。これはむろん私自身への反省を含めた言い方だが、ほんらい、オーディオは難しいものでもしかつめらしいものでもなく、もっと楽しいものの筈である。旨いものを食べれば、それはただ旨くて嬉しくて何とも幸せな気分に浸ることができるのと同じに、いい音楽を聴くことは理屈ぬきで楽しく、ましてそれが良い音で鳴ってくれればなおさら楽しい。
(虚構世界の狩人・「素朴で本ものの良い音質を」より)
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瀬川先生がこう書かれていることを、最近思い出すことが多い。
ブログを毎日書いているせいである。
書くために考える。
それは時として本末転倒なことになりかねない……、
そういう気持はいつも持っている。
書くために考えて、袋小路に入り込むことだってあるだろう。
たしかに「オーディオは難しいものでもしかつめらしいものではなく、もっと楽しいものの筈」なのであり、
もっとシンプルに捉えればそれでいいのかもしれない、と思う気持がある一方で、
ほんとうに、オーディオがシンプルなモノであるために、考えて書いているという気持も強い。
シンプルにして、いい音で音楽を聴ければ、それこそが最高ではないか。
こんなことをいう人はいる。少なくない。
でも、これをどんな表情で、その人が発するかで、こちらの受けとめ方は違ってくる。
それにシンプルとは、いったいどういうことなのかとその人に問いたい。
往々にして、この言説には、シンプルとはどういうことなのかが語られていないことが多過ぎる。
と書けば、シンプルとはわかりきっていることだから、説明の必要はないだろう、と返ってくる。
だが、ほんとうにシンプルとは、どういうことなのか、
その人は考え抜いているのだろうか。