Date: 11月 25th, 2014
Cate: 名器
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名器、その解釈(続々・中古か中故か、ヴィンテージか)

サンスイのAU-X11 Vintage。
AU-X11はプリメインアンプだから、AU-X11はVintage Amplifierと受けとりそうになるけれど、
おそらくvintageのあとに続くのはamplifierではなく、soundであろう。
そういう受けとり方もできる。

vintage sound(ヴィンテージ・サウンド)。
私が真っ先に思い出すのは、五味先生のオーディオ巡礼の一回目のことである。
五味先生は野口晴哉氏と岡鹿之助氏の装置を巡礼されている。

少し長くなるが引用しておこう。
     *
 野口邸へは安岡章太郎が案内してくれた。門をはいると、玄関わきのギャレージに愛車のロールス・ロイス。野口さんに会うのはコーナー・リボン以来だから、十七年ぶりになる。しばらく当時の想い出ばなしをした。
 リスニング・ルームは四十畳に余る広さ。じつに天井が高い。これだけの広さに音を響かせるには当然、ふつうの家屋では考えられぬ高い天井を必要とする。そのため別棟で防音と遮音と室内残響を考慮した大屋根の御殿みたいなホールが建てられ、まだそれが工築中で写真に撮れないのが残念である。
 装置は、ジョボのプレヤーにマランツ#7に接続し、ビクターのCF200のチャンネルフィルターを経てマッキントッシュMC275二台で、ホーンにおさめられたウェスターン・エレクトリックのスピーカー群を駆動するようになっている。EMT(930st)のプレヤーをイコライザーからマランツ8Bに直結してウェストレックスを鳴らすものもある。ほかに、もう一つ、ウェスターン・エレクトリック594Aでモノーラルを聴けるようにもなっていた。このウェスターン594Aは今では古い映画館でトーキー用に使用していたのを、見つけ出す以外に入手の方法はない。この入手にどれほど腐心したかを野口さんは語られた。またEMTのプレヤーはこの三月渡欧のおりに、私も一台購めてみたが、すでに各オーディオ誌で紹介済みのそのカートリッジの優秀性は、プレヤーに内蔵されたイコライザーとの併用によりNAB、RIAAカーブへの偏差、ともにゼロという驚嘆すべきものである。
 でも、そんなことはどうでもいいのだ。私ははじめにペーター・リバーのヴァイオリンでヴィオッティの協奏曲を、ついでルビンシュタインのショパンを、ブリッテンのカルュー・リバー(?)を聴いた。
 ちっとも変らなかった。十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。高域がどうの、低音がどうのと言うのは些細なことだ。鳴っているのは野口晴哉というひとりの人の、強烈な個性が選択し抽き出している音である。つまり野口さんの個性が音楽に鳴っている。この十七年、われわれとは比較にならぬ装置への検討と改良と、尨大な出費をついやしてけっきょく、ただ一つの音色しか鳴らされないというこれは、考えれば驚くべきことだ。でもそれが芸術というものだろう。画家は、どんな絵具を使っても自分の色でしか絵は描くまい。同じピアノを弾きながらピアニストがかわれば別の音がひびく。演奏とはそういうものである。わかりきったことを、一番うとんじているのがオーディオ界ではなかろうか。アンプをかえて音が変ると騒ぎすぎはしないか。
 安っぽいヴァイオリンが、グワルネリやストラディヴァリの音を出しっこはないが、下手なヴァイオリニストはグワルネリを弾いたって安っぽい音しかきかせてくれやしない。逆にどんなヴァイオリンでも、それなりに妙音をひびかせたクライスラーの例もある。ツーリング・カーの運転技術と私が言うのはここなのだが、要するにその人がどんな機種を聴いているかではなく、どんな響かせ方を好むかで、極言すれば音楽的教養にとどまらずその人の性格、人生がわかるように思う。演奏でそれがわかるように。
 音とはそれほどコワイものだということを、野口さんの装置を聴きながら私はあらためて痛感し、感動した。すばらしい音楽だった。年下でこんなことを言うのは潜越だが、その老体を抱きしめてあげたいほど、一すじ、かなしいものが音のうしろで鳴っていたようにおもう。いい音楽をきくために、野口氏がこめられてきた第三者にうかがいようのない、ふかい情熱の放つ倍音とでも、言ったらいいか。うつくしい音だった。四十畳にひびいているのはつまりは野口晴哉という人の、全人生だ。そんなふうに私は聴いた。——あとで、別室で、何年ぶりにかクレデンザでエネスコの弾くショーソンの〝ポエーム〟を聴かせてもらったが、野口氏が多分これを聴かれた過去当時に重複して私は私の過去を、その中で聴いていたとおもう。音楽を聴くとはそういうものだろうと思う。
     *
この野口晴哉氏の音こそ、ヴィンテージ・サウンドだと思うのだ。
17年ぶりに訪問、システムは変っていても、音は変らなかった。

《十七年前、ジーメンスやコーナーリボンできかせてもらった音色とクォリティそのものはかわっていない。私はそのことに感動した。》
そうだと思う。

名器といわれるプレーヤー、アンプ、スピーカーシステムを揃えて、
立派な部屋で鳴らしたところでヴィンテージ・サウンドが鳴ってくるはずはない。
鳴ってくると思い込めるほど、目出度くはない。

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