Archive for 9月, 2020

Date: 9月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(CHET BAKER SINGS)

audio wednesdayの告知で、
チェット・ベイカーの「CHET BAKER SINGS」のMQA-CDをもっていく、と書いた。

audio wednesdayの当日(9月2日)が、ちょうど発売日だった。
喫茶茶会記に向う途中、新宿のタワーレコードで買うつもりでいた。

新宿のタワーレコードだけではないが、
クラシック、ジャズの売場は以前よりもかなり狭くなってしまっている。
渋谷のタワーレコードもそうである。

それでも発売日なのだから、買えるもの、と思いこんでいた。
私が新宿のタワーレコードに着いたのは、16時くらいだった。

ジャズの売場は、いまやほんとうに狭い。
なのに見つけられない。

「CHET BAKER SINGS」と同時発売の他のタイトルのMQA-CDはあるのに、
肝心の「CHET BAKER SINGS」のMQA-CDだけがない。

なので買えずにタワーレコードをあとにした。
渋谷に行こうかとも思ったけれど、暑さに負けてしまった。

コーネッタで「CHET BAKER SINGS」は、だからまだ鳴らしていない。

Date: 9月 5th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その7)

ユニバーサルミュージックから「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」が発売されている。
SACDとLPだけでなく、e-onkyoでの配信も始まっている。

配信はDSF(11.2MHz)flac、MQA(96kHz、24ビット)がある。

すでにオーディオ関係のサイトで紹介されているので、詳細は省く。
ジャズ喫茶ベイシーの再生音を収録したものである。

今年はベイシー開店50年ということで、映画も公開されている。
その一貫としての、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」の発売なのはわかっていても、
今年はコロナ禍ということで、オーディオショウがほほすべて中止になっているなかでの発売。

偶然なのだろうが、リモート試聴というテーマで書いている途中での発売は、
おもしろいタイミングでの登場というふうにも感じられる。

この企画は、どんなふうに受け止められるのだろうか。
おもしろい、と思う人もいれば、くだないこと、と思う人もいるはずだ。

再生音を録音して、何がおもしろいのか、という人は、以前からいる。
この人たちのいわんとするところがわからないわけではないが、
こうやって記録として残してくれることは、くだらない、とか、意味がない、とか、
そんなこと以前に、ありがたいことではないだろうか。

そんなことをいうよりも、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」を、
どう聴くのかを、考えた方がずっと建設的ではないだろうか。

ジャズ喫茶ベイシーのシステムはよく知られている。
その音を収録して再生するのであれば、
やはり同じシステムでなければならないのか。

けれど、同じシステムであっても、同じ環境なわけではないし、
環境を含めて、ほぼ同じことを再現できたとしても、
鳴らす人が違うのだから……、ということになる。

同じにはできないのだから、どんなシステム、環境で聴いてもいい、ともいえる。
それでも伝わってくるところは、きちんとあるはずだ。

けれど、「PLAYBACK in JAZZ KISSA BASIE」について論じるのであれば、
少なくとも、なんらかのリファレンスといえるものをどうするのか──、
そのことを避けていくわけにはいかないはずだ。

Date: 9月 5th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その28)

コーネッタで、カラヤンの「パルジファル」を聴いたのであれば、
やはり黒田先生の文章も思い出すことになる。
     *
 きっとおぼえていてくれていると思いますが、あの日、ぼくは、「パルシファル」の新しいレコードを、かけさせてもらいました。カラヤンの指揮したレコードです。かけさせてもらったのは、ディジタル録音のドイツ・グラモフォン盤でしたが、あのレコードに、ぼくは、このところしばらく、こだわりつづけていました。あのレコードできける演奏は、最近のカラヤンのレコードできける演奏の中でも、とびぬけてすばらしいものだと思います。一九〇八年生れのカラヤンがいまになってやっと可能な演奏ということもできるでしょうが、ともかく演奏録音の両面でとびぬけたレコードだと思います。
 つまり、そのレコードにすくなからぬこだわりを感じていたものですから、いわゆる一種のテストレコードとして、あのときにかけさせてもらったというわけです。そのほかにもいくつかのレコードをかけさせてもらいましたが、実はほかのレコードはどうでもよかった。なにぶんにも、カートリッジからスピーカーまでのラインで、そのときちがっていたのは、コントロールアンプだけでしたから、「パルシファル」のきこえ方のちがいで、あれはああであろう、これはこうであろうと、ほかのレコードに対しても一応の推測が可能で、その確認をしただけでしたから。はたせるかな、ほかのレコードでも考えた通りの音でした。
 そして、肝腎の「パルシファル」ですが、きかせていただいたのは、前奏曲の部分でした。「パルシファル」の前奏曲というのは、なんともはやすばらしい音楽で、静けさそのものが音楽になったとでもいうより表現のしようのない音楽です。
 かつてぼくは、ノイシュヴァンシュタインという城をみるために、フュッセンという小さな村に泊ったことがあります。朝、目をさましてみたら、丘の中腹にあった宿の庭から雲海がひろがっていて、雲海のむこうにノイシュヴァンシュタインの城がみえました。まことに感動的なながめでしたが、「パルシファル」の前奏曲をきくと、いつでも、そのときみた雲海を思いだします。太陽が昇るにしたがって、雲海は、微妙に色調を変化させました。むろん、ノイシュヴァンシュタインの城を建てたのがワーグナーとゆかりのあるあのバイエルンの狂王であったということもイメージとしてつながっているのでしょうが、「パルシファル」の前奏曲には、そのときの雲海の色調の変化を思いださせる、まさに微妙きわまりない色調の変化があります。
 カラヤンは、ベルリン・フィルハーモニーを指揮して、そういうところを、みごとにあきらかにしています。こだわったのは、そこです。ほんのちょっとでもぎすぎすしたら、せっかくのカラヤンのとびきりの演奏を充分にあじわえないことになる。そして、いまつかっているコントロールアンプできいているかぎり、どうしても、こうではなくと思ってしまうわけです。こうではなくと思うのは、音楽にこだわり、音にこだわるかぎり、不幸なことです。
     *
ステレオサウンド 59号掲載の「ML7についてのM君への手紙」からの引用だ。
M君とは、黛健司氏である。

私は、この文章を読んで、
黒田先生はカラヤンの「パルジファル」に挑発されたのかも……、とおもった。

黒田先生は、それまでのメニーのTA-E88からマークレビンソンのML7に、
コントロールアンプをかえられた。

黒田先生は、
《あのフュッセンの雲海をみつづけるためには、ぼくにとって少額とはいいかねる出費を覚悟しなければなりません》
とも続けて書かれている。

カラヤンの「パルジファル」の前奏曲がうまくなってくれると、
まさにそのとおりの情景が浮んでくるように感じる。

だからこそ、静であることが、とにかく大事なこととなる。

Date: 9月 5th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その5)

タムラのA8713は、一次側、二次側ともに二組の巻線がある。
この巻線の結線を変えることで、
一次側は20kΩか5kΩ、二次側は600Ωか150Ωに設定できる。

9月のaudio wednesdayでは、20kΩ:600Ωで使っている。
20kΩにするか、5kΩにするか。

どちらがいい結果が得られるか、
使用機器によって違ってくるだろうが、
私が、今回の音の変化の大きな理由として考えている、
直流域での抵抗の低さが効いているのであれば、
巻線の直流抵抗は低い方がいい、ということになる。

A8713の一次側(20kΩ)の直流抵抗は、ほぼ1kΩである。
5kΩにすれば、直流抵抗は半分の約500Ωになるし、
一次側の巻線を単独ではなく、並列接続すれば、
5kΩであっても、直流抵抗はさらに半分の約250Ωになる。

池田圭氏は、《Lをパラってみると》と書かれている。
トランスもコイルなのだが、
もっとも単純なコイルでも、同等の音の変化が得られるはずである。

ただ同じ値のトランスとコイルとでは、どちらが音がいいのだろうか。
トランス使用では二次側の巻線は開放のままである。
使っていない。

その巻線がぶら下がっているのは、精神衛生上よくない、と考えることもできるし、
意外にも開放状態の二次巻線があるからこそ、
のところはまったくないとは言い切れないようにも感じている。

このへんのことはこれからじっくり聴いて判断していくしかない。
ならばコイルは、何をもってくるのか。

A8713のインダクタンスは、私が持っているLCメーターでは、測定できなかった。
故障しているのか、と思った。
他の部品を測ってみると、きちんと動作している。

20kΩの結線のままだったから、試しに二次側の巻線を測ってみたら、きちんと値が出た。
今度は一次側巻線の半分だけを測る。
10Hを少しこえる値だった。

私が持っているLCメーカーは20Hまでしか測れないためだったわけだ。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その20)

9月2日のaudio wednesdayでの、
コーネッタで聴いたカラヤンの「パルジファル」は、いくつかのことを考えさせた。

この日と同じシステムで、同じ使いこなしを、
20代のころの私がやったとしよう。

クォリティ的には、この日の音とそう変らない音を出せる自信はある。
それでも20代の私が、「パルジファル」をかけて、
これほど、いい感じで鳴らすことはできなかった、と思う。

20代のころの私は、その前にカラヤンの「パルジファル」をかけなかった、とおもう。
もっと、他にうまくなってくれるディスクを選んだだろう。

7月のaudio wednesdayでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
8月は「パルジファル」はかけなかった。
9月が、カラヤンである。

常連のHさんは、カラヤンの「パルジファル」の感想として、
「静謐の中から立ち上る感じ」と、あとで伝えてくれた。

物理的なS/N比の高さ、ではない。
もちろん、物理的なS/N比も、ある程度は保証されていなければならないのだが、
それだけでは、静謐の中から、とはなってくれない。

なにかが必要なのであった──、というよりも、
何かが求められるようも感じている。

「パルジファル」が鳴る。
齢を実感するとき、である。
けれど、ここにはネガティヴな意味はない。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その27)

コーネッタで「パルジファル」をきいた夜の帰り道、
電車のなかで、一人で思い出していたのは、ステレオサウンド 52号で、
岡先生と黒田先生の「レコードからみたカラヤン」というテーマの対談だった。
     *
黒田 そういったことを考えあわすと、ぼくはカラヤンの新しいレコードというのは、音の面からいえば、前衛にあるとはいいがたいんですね。少し前までは、レコードの一種の前衛だろうと思っていたんだけど、最近ではどうもそうは思えなくなったわけです。むろん後衛とはいいませんから、中衛かな(笑い)。
 いま前衛というべき仕事は、たとえばライナー・ブロックとクラウス・ヒーマンのコンビの録音なんかでしょう。
 そこのところでは、黒田さんと多少意見が分かれるかもしれませんね。去年、カラヤンの「ローマの松」と「ローマの泉」が出て、これはびっくりするほどいい演奏でいい録音だった。ところがごく最近、同じDGGで小沢/ボストン響の同企画のレコードができましたね。これはいま黒田さんがいわれた、プロデューサーがブロック、エンジニアがヒーマンというチームが録音を担当しているわけです。
 この2枚のレコードのダイナミックレンジを調べると、ピアニッシモは小沢盤のほうが3dB低い。そしてフォルティシモは同じ音量です。したがって全体の幅でいうと、ピアニッシモが3dB低いぶんだけ小沢盤のほうがダイナミックレンジの幅が広いことになります。物理的に比較すると、そういうことになるんだけれど、カラヤン盤のピアニッシモのありかたというか、音のとりかたと、小沢盤のそれとを、音響心理学的に比較するとひじょうにちがうんです。
黒田 キャラクターとして、その両者はまったくちがうピアニッシモですね。
 ええ。つまりカラヤン盤では、雰囲気とかひびきというニュアンスを含んだピアニッシモだが、小沢盤では物理的に小さい音、ということなんですね。物理的に小さな音は、ボリュウムを上げないと音楽がはっきりとひびかないんです。小沢盤の録音レベルが3dB低いということは、聴感的にいえば6dB低くきこえることになる。そこで6dB上げると、フォルテがずっと大きな音量になってしまうから聴感上のダイナミックレンジは圧倒的に小沢盤の方が大きくきこえてくるわけです。
 いいかえると、カラヤンのピアニッシモで感心するのは、きこえるかきこえないかというところを、心理的な意味でとらえていることです。つまり音楽が音楽になった状態での小さい音、それをオーケストラにも録音スタッフにも要求しているんですね。これはカラヤンがレコーディングを大切にしている指揮者であることの、ひとつの好例だと思います。
 それから、これはカラヤンがどんな指示をあたえたのかは知らないけれど、「ローマの松」でびっくりしたところがあるんです。第三部〈ジャニロコの松〉の終わりで、ナイチンゲールの声が入り、それが終わるとすぐに低音楽器のリズムが入って行進曲ふうに第四部〈アッピア街道の松〉になる。ここで低音リズムのうえに、第一と第二ヴァイオリンが交互に音をのせるんですが、それがじつに低い音なんだけど、きれいにのっかってでてくる。小沢盤ではそういう鳴りかたになっていないんですね。
 つまりPがひとつぐらいしかつかないパッセージなんだけれど、そこにあるピアニッシモみたいな雰囲気を、じつにみごとにテクスチュアとして出してくる。録音スタッフに対する要求がどんなものであったかは知らないけれど、それがレコードに収められるように演奏させるカラヤンの考えかたに感嘆したわけです。
黒田 そのへんは、むかしからレコードに本気に取り組んできた指揮者ならではのみごとさ、といってもいいでしょうね。
     *
カラヤンの「パルジファル」が、レコード音楽として美しいのは、
こういうところに理由があるはずだ。

カラヤンのピアニッシモは、「パルジファル」においても、
音楽が音楽になった状態での小さい音であって、
心理的な意味でとらえられたピアニッシモである。

カラヤンの「パルジファル」よりも新しい録音の「パルジファルを、
私はどれも聴いていない。
「パルジファル」に関しては、カラヤンで私はとまったままでいる。

新しい録音の「パルジファル」は、カラヤンの「パルジファル」よりも、
ダイナミックレンジは、物理的には広いはずだ。

「パルジファル」に限らない。
オーケストラものの録音は、物理的なダイナミックレンジは、
カラヤンの「パルジファル」よりも広くなってきている。

このことはほんとうに望ましいことなのだろうか。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その6)

その3)で、コーネッタに搭載されているHPD295Aの低音について触れた。
過大な期待をしているわけではないが、もう少し良くなってくれれば、とやっぱり思う。

HPD295Aの低音への不満は、どこに起因しているのか。
心当たりは、コーネッタを鳴らす前からあった。

HPD295Aにはじめて触れたのは、ステレオサウンドだった。
なぜか一本だけあった。

それまでEatonにおさまっている状態、
つまりユニットの正面はみたことはあっても、
ユニットを手にとってすみずみまで見ることはなかった。

HPD295Aで、まずびっくりしたのは、マグネットカバーの材質だった。
それまで、なんとなく金属製なのかな、と思っていた。
実際は、プラスチック製だった。

このマグネットカバーは、フェライト化されたときからなくなっている。
カンタベリー15で、アルニコマグネットを復活したが、
マグネットカバーはなしのままだった。

ユニット単体を眺めているだけならば、マグネットカバーはあったほうがいい。
けれど、音を鳴らすとなると、このカバーは邪魔ものでしかない。

たとえ材質が金属で、しっかりとした造りであっても、
磁気回路はカバーのあいだには空間がある。
ここが、やっかいなのだ。

コーネッタを手に入れたときから、
マグネットカバーを外して鳴らそうと思っていた。

7月、8月のaudio wednesdayでは、
とにかくコーネッタの音を聴きたい、という気持が強かった。

三回目となる9月のaudio wednesdayでは、
最初からカバーを外すつもりでいた。

作業そのものは特に難しいことではない。
けれど、コーネッタの裏板は、けっこうな数のビスで固定されている。

ユニットがバッフル板についている状態では、
カバーを取り付けているネジは外せない。

一般的な四角いエンクロージュアであれば、その状態でもなんなく外せることがあるが、
コーナー型ゆえに、ドライバーが奥まで入らない。

ユニットを一旦取り外してカバーを取り、またユニットを取り付け、
裏板のネジをしめていく。

エンクロージュア内部の吸音材はグラスウールで、
作業しているときも、作業後も腕がチクチクしていた。

それでも、出てきた音を聴けば、そんなことはどうでもよくなる。
低音の輪郭が明瞭になる。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その4)

今回使ったケーブルは、私の自作だ。
いま喫茶茶会記で、メリディアンの218に使っているのも、私の自作で、
どちらも同じケーブルを使っている。

なので、今回の比較は、多少長さの違いはあっても、
同じケーブルでのトランスの有無(一次側巻線の並列接続の有無)である。

この実験は、ずっと以前に、
自分のシステムで、まだアナログディスク時代に試している。

今回、ひさしぶり(30年以上経つ)の実験である。
前回の記憶は、けっこう曖昧になっているけれど、
なんとなくの感触は、まだ残っていた。

けれど、今回の音の違いは、あのころよりも大きかったように感じた。
スピーカーもアンプも、なにもかもが違うわけだが、
それにしても、こんなに違うのか、と、私だけでなく、
いっしょに聴いていた人も、そう感じていた。

池田圭氏は、
《たとえば、テレコ・アンプのライン出力がCR結合アウトの場合、そこへ試みにLをパラってみると、よく判る。ただ、それだけのことで音は落着き、プロ用のテレコの悠揚迫らざる音になる》
と書かれている。

昔も、そう感じた。
今回も、まったく同じであるのだが、その違いが大きくなっているように感じた。

児玉麻里/ケント・ナガノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番(SACD)で、
ケーブルの比較を行った。

A8713の一次側側巻線が並列に接続されると、
ピアノのスケールが違ってくる。

並列にした音を聴いてから、ない音を聴くと、
ピアノがグランドピアノが、どこかアップライト的になってしまう。
オーケストラもピラミッド型のバランスの、下のほうが消えてしまったかのようにも聴こえる。

もう一度、巻線を並列に接続した音に戻すと、悠揚迫らざる音とは、
こういう音のことをいうんだ、と誰かにいいたくなるほどだ。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その3)

その2)で書いていることを、昨晩のaudio wednesdayで試した。

使ったトランスは、タムラのA8713だ。
一次側が20kΩ、二次側が600Ωのライン出力用トランスである。
手に入れたのは30年ほど前のこと。

(その2)か、池田圭氏の「盤塵集」のどちらを読んでほしいのだが、
A8713の一次側の巻線のみを使う。

ラインケーブルに並列に、一次側の巻線が接続されるだけである。
二次側の巻線は使わない。
一般的なトランスの使い方からすれば変則的である。

ようするにCDプレーヤー(もしくはD/Aコンバーター)の出力に、
A8713の一次側の巻線が負荷として接続された状態である。

これならばトランス嫌いの人でも、手持ちのトランスがあれば実験してみようと思うかもしれない。
CDプレーヤーの出力にトランスといっても、
CDプレーヤーが登場してしばらく経ったころに、
ライントランスを介在させると、CDプレーヤーの音が改善される──、
そんなことがいわれるようになったし、メーカーからもいくつか製品として登場した。

いくつか試してことはあるし、
SUMOのThe Goldを使っていた関係で、
TRIADのトランスを使ってバランスに変換して、
The Goldのバランス入力へ、という使い方はやっていたが、
CDプレーヤーの出力に、安易にトランスを介在させるのは、決して絶対的なことではない。

けれと
池田圭氏の使い方は、上記しているように、ちょっと違う。
今回はA8713の一次側は20kΩのまま使った。

一次側、二次側とも巻線は二組あるから、結線を変えれば、インピーダンスは低くなる。
同時にコイルの直流抵抗も小さくなる。

今回のようなトランスの使い方では、
コイルの直流抵抗の低さが、かなり重要になるような気がしてならない。

できればインダクタンス値が高くて、直流抵抗が小さい、
そんなトランスがあればいい。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: audio wednesday

audio wednesday (今後の予定)

10月のaudio wednesdayは、すでに告知しているとおり、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん、二人のDJによるmusic wednesday。

12月は、ベートーヴェンの誕生月ということ、
今年は生誕250年なので、ベートーヴェンばかりをかけるつもりでいる。

11月はまだ決めていない。
1月もまだ決めていないが、
2011年2月2日に始めた、この会も十年やったことになる。

ここで一区切りにしたいので、
やれるかどうかはなんともいえないが、これまでとは違うことを考えている。

Date: 9月 3rd, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その26)

昨晩のaudio wednesdayは、三回目のコーネッタだった。
一回目、二回目とは鳴らし方のアプローチを変えた。

結果を先に書いてしまうと、うまくいった。
人には都合があるからしか。たないことなのだが、
一回目、二回目に来てくれた人に聴いてもらいたかった、と思っている。

昨晩は、途中から喫茶茶会記の常連の方が参加された。
オーディオマニアではない方だ。

こういうことはいままでも何度かあったが、昨晩の方は、最後まで聴かれていた。
それに一曲鳴らし終ると、小さな拍手をそのたびにしてくれた。

昨晩は、ディスクをけっこうな枚数持っていった。
そのなかで、私がいちばん印象に残っているのは、
カラヤンの「パルジファル」だった。

五味先生の、この文章を引用するのは、今回で三度目となるが、
それでも、また読んでほしい、と思うから書き写しておく。
     *
 JBLのうしろに、タンノイIIILZをステレオ・サウンド社特製の箱におさめたエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器である──の再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たく即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめタンノイのスピーカーから出る人の声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳に快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を持たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ。しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
     *
《前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する》、
これまでも「パルジファル」は聴いてきている。
クナッパーツブッシュのバイロイト盤を聴いている。

回数的には少ないけれど、カラヤンの録音も聴いている。
それでも、今回ほど、五味先生の精神状態を追体験できたと感じたことはなかった。

アンチ・カラヤンとまではいわないものの、五味先生の影響もあって、
私は、熱心なカラヤンの聴き手ではない。

そんな私でも、カラヤンのワーグナーは、美しいと、これまでも感じていた。
それでも今回ほどではなかった。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

dividing, combining and filtering(その3)

一人のオーディオマニアの人生も、
分岐点(dividing)と統合点(combining)、それに濾過(filtering)だ、とおもう。

一人で暮らしていると、それは自由と思われがちだし、自由といえることも多い。
あれこれやる時間がたっぷりとある。

でも、それをやるためには、一人でできることもあればそうでないこともある。
一人でできること、とおもえていることであっても、
実のところ、ほんとうに一人でできているのかもなんともいえない。

今年の4月と5月はひとりで過ごすことが大半だっただけに、
このことを強く実感する。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: audio wednesday

第116回audio wednesdayのお知らせ(music wednesday)

9月のaudio wednesdayでは、器材よりもディスクを優先したが、
10月7日のaudio wednesdayでは、すでに告知しているように、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さんの二人にDJをやってもらうから、
私がディスクをもっていく必要はない。

なので10月のaudio wednesdayでは、
メリディアンの218をはじめ、200V用のトランス、アクセサリー類などしっかり持っていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 9月 2nd, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その8)

その7)へのfacebookのコメントを読んで、
改めてオーディオ機器のジャンル分けというか、
呼称が微妙なところをもつようになった、と感じている。

CDプレーヤーまでは、よかった。
明確に、この製品はCDプレーヤーである、とか、D/Aコンバーターである、
そんなふうにはっきりといえた。

けれどコンピューター、ネットワークといった要素がオーディオのシステムに関ってくるようになると、
私が、ここでD/Dコンバーターと便宜上呼んでいる機器も、
ほんとうにそれでいいのか、ということになる。

メリディアンの210のことを書いているが、
210を単にD/Dコンバーターという言い方で紹介できるのか。

確かに210の機能は、D/Dコンバーターといえる。
とはいえ、いま私が使っているFX-AUDIOのFX-D03J+と210を、
D/Dコンバーターという同じ括りで捉えてしまうことの難しさがある。

FX-D03J+は、ほぼ単機能といえる製品である。
D/Dコンバーター以外の呼称はない、といっていい。

それに、ここでのカテゴリーは「アクセサリー」である。
FX-D03J+はアクセサリー的製品である。

けれど、210やミューテックのMC3+USBなどは、アクセサリー的製品といえるのか。
そう捉える人もいるだろうし、いや、立派なコンポーネントだと捉える人もいる。

210の正式名称は、210 Streamerであるから、
210はD/Dコンバーターと呼ぶよりも、ストリーマーと呼んだ方がいいのか、となると、
そうとも思えない。

これから先、それぞれのメーカーが、独自の呼称をつけてくるかもしれない。
それに従うのには、抵抗がある。

それにデジタル入力とデジタル出力のオーディオ機器、
つまりアナログ入力、アナログ出力をもたない機器は、
D/Dコンバーターと呼んでいい、と考える。

Date: 9月 1st, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その4)

聴きたい(買いたい)録音がすべて買えるほどの経済力を持っていない。
だから購入を迷うディスクと、ためらわないディスクがある

購入を迷うディスクだと、その時の懐事情に左右されもする。
厳しい時はガマンしよう、ということになる。
ほかにも聴きたい録音があるのだから、そちらを優先することになる。

それでも迷うディスクというのは、
私の場合はたいてい、あまりなじみのない音楽のことが多い。

気になっているんだけれども……、
最近は、そういう場合でも、MQAで出ていると、買おう、になってしまう。

つい最近も、それで買ってしまった。
シェールの「Dancing Queen」を、e-onkyoからMQAで買ってしまった。

「Dancing Queen」のアルバムタイトルからすぐにわかるように、
シェールがABBAの曲をカバーしている。

MQAといっても、44.1kHz、24ビットである。
スペック的には魅力は感じない。

MQAでなかったら、あとで買おう、といって、ずっとずっとそのままにしていたはずだ。
私にとって、MQAであることが、ポンと背中をおすような存在になっている。

そうやっていくことで、聴く音楽の領域が少しではあっても拡がっていく。
これはいいことなのだが、同時にオーディオ的には、もっと普及してほしい、と思うところがある。

それは、たとえばアクティヴ型スピーカーだったりする。
デジタル信号技術の進歩によって、
それ以前のアクティヴ型スピーカーと、現在のアクティヴ型スピーカーの性能は、
驚くほど向上している。

聴いてみたい、と思う製品も少なくない。
そのことはけっこうなことなのだが、
これらのアクティヴ型スピーカーにも、ほとんどの機種でデジタル入力がついている。

アクティヴ型スピーカーが、MQA対応にならないのか、ということだ。