「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その1)
「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」
別項「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その20)」でも引用している。
映画「イノセンス」序盤での荒巻大輔のセリフである。
今回の件は、ほんとうにそうだな、と実感しているところだ。
「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」
別項「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その20)」でも引用している。
映画「イノセンス」序盤での荒巻大輔のセリフである。
今回の件は、ほんとうにそうだな、と実感しているところだ。
ステレオサウンド 207号に購入後の視点的な記事が二本載っている。
和田博巳氏の「ファンダメンタルMA10導入記」、
原本薫子氏の「マッキントッシュMCD550導入記」である。
どちらも四ページ構成の記事だ。
文字数を数えていないが、
amazonのレヴュー投稿よりは、ずっと文字数は多い。
それにどちらも四点の写真もある。
この記事について、購入後という視点で書く予定でいたところに、
友人から、あるサイトのURLがメッセージで届いた。
webCGに六年前に公開された一本の記事へのリンクだった。
「第452回:これじゃメルセデスには追いつけないぜ! “無意識インプレッション”のススメ」、
小沢コージという方が書かれている。
その冒頭に書いてあることこそ、購入後の視点ではないだろうか。
*
「自分が言うのもなんですが、箱根で新車の試乗会やっても、あまり意味ないと思うんです。みなさんそのつもりで走ってるし、運転がうまい人ほど足りない分を自然に補っちゃうので……」いやはや、とある試乗会で、とあるテストドライバーから衝撃的なコメントを……というか、昔から漠然と抱いていた疑問に対する答えをもらってしまったぜ。いわばそれは、“無意識インプレッション”のススメだ。どういうことかというと、クルマのハンドリングに関する真の評価は、そのドライバーが無意識的に走っている時にこそ行われるべきで、自分で「走るぞ!」と思っている時のステアリングの手応えや操縦安定性の評価など、あてにならないというのだ。
いや、それも大切かもしれないけれど、最も重要なのは、ボーッと走っている時に「いかにドライバーの脳に適切な刺激やインフォメーションを与えられるか」「轍にタイヤを取られたりしないか」といったことであり、プロのテストドライバーは、運転中に意識的にその領域に踏み込んで評価できるという。
まさに達人の境地というか、スターウォーズの“フォース”みたいな話じゃないの(笑)。でも、ダメンズ小沢自身、本当にそうだと思った。というのも実際問題、箱根で走ってると、クルマの動的性能がよく分からない場合が多いのだ。もちろん、“速い”とか“フィールがいい”とか“ブレーキが効く”と感じる部分はあるし、それをなるべく自然体で分かりやすくリポートしようとはしているつもりだが……。
*
無意識インプレッションである。
207号の二本の導入記を読んでいて感じていたのは、
購入後の視点といえる記事ではなく、あくまでも導入記としての記事ということだ。
秋葉原にあるテレオンが、まだテレビ音響だった時代なのか、
それともすでにテレオンになっていたのか、そのへんのところははっきりしないが、
テレオンが、いまのビルではなく、ラジオ会館がどこかのビルで営業していたころの話だ。
当然、そのころ私はまだオーディオマニアではなかったし、
東京に住んでもいなかった。
人から聞いた話だ。
彼も、もちろんオーディオマニアだ。
彼が学生のころに、テレオンのその店にカートリッジを買いに行った。
そのテレオンは、創業者の奥さんと思われる人が仕切っていた。
ショーケースの中には、市販されている大半のカートリッジが並んでいる。
シュアーのV15が欲しい、というと、まず訊かれる。
いまどのカートリッジを使っているのか、
システムの構成、それからどういう音楽を好むのか、聴く音量、
オーディオの知識、キャリアなどを見透かす質問をしてくるそうだ。
それに合格しなければ、希望のカートリッジを売ってくれなかったりする。
「あなたにはまだV15は早すぎる」、
そんなことを言って売ってくれないんだそうだ。
そしてシュアーの安価な、けれどしっかりしたカートリッジを薦めてくれる。
買いたいモノが買えるだけの余裕があって買いに行く。
なのに売ってくれない。
理不尽だ、と思う人もいるけれど、私はそうは思わない。
こういうオーディオ店が昔はあった。
トロフィー屋ではないオーディオ店があった。
いまのテレオンがそうなのかは知らないけれど、そうあってほしい。
ならば、他のオーディオ店に行けばいい、と思う人もいる。
けれど彼は、テレオンでカートリッジを買っている。
「音の美」と忠実性について、ここではこれ以上ふれない。
別項で書く。
avcat氏はオーディオのプロフェッショナルではない。
アマチュアである。
だから、ステレオサウンド掲載の試聴記をどう読もうと、avcat氏の自由(というより勝手)である。
それにその不満、不愉快になったことをツイートするのも自由(勝手)でいい。
問題にしているのは、そのことに対して、
ステレオサウンドの染谷一編集長がどうして謝罪したかということだ。
染谷一編集長とavcat氏の関係は知らないが、少なくとも顔見知りであることは間違いない。
親しい間柄なのかもしれない。
ならば、謝罪ではなく、説明をすべきだった、と私は考える。
説得できるかどうかはわからない。
それでもきちんと説明すべきだった。
ステレオサウンド 207号には、
ソナス・ファベールのパオロ・テッツォン氏による「三つの再生システムを聴く旅」が載っている。
パオロ・テッツォン氏が、柳沢功力、小野寺弘滋、ベイシーの菅原正二、
三氏の音を聴いての印象を綴った記事だ。
この記事こそ、三氏のそれぞれの「音の美」について語っている。
染谷一編集長が、この記事の担当がどうかはわからない。
担当していたとしよう。
染谷一編集長は、こういう記事をつくる一方では、
「音の美」を否定するかのようにavcat氏に謝罪している。
それともこの記事の担当者は別で、
染谷一編集長は、この記事をどう思っているのか。
知りたいところである。
7月4日のaudio wednesdayでは、グッドマンのAXIOM 401を鳴らす。
アンプはPASSのAleph 3が用意できることは前回書いた。
音量調整をどうするか。
フェーダーでやるのも考えたが、もっと積極的な音づくり(音出し)がしたい。
マークレビンソンのLNP2を持ってきたい。
今回、アンプを用意してくださるKさんは、「JC2もあります」とのこと。
JC2も、たしかにいい。
でもLNP2にするのは、トーンコントロールがついているからだ。
LNP2は1970年代後半のアンプ、
Aleph 3は1990年代前半、AXIOM 80はこれらよりもさらに古い。
SACDプレーヤーのマッキントッシュMCD350は最近の製品。
世代(年代)はバラバラだ。
ここまでくると、どんな音がするのか想像するのが楽しいし難しい。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
avcat氏の一連のツイートは筋が通っているといえば、そうである。
avcat氏の年齢ぐらいは知りたいと思った理由は、ここにある。
avcat氏は以前はTAD-M1を、いまはYGアコースティクスのスピーカーを鳴らされているようだ。
どちらのスピーカーも安価ではない。
それなりの経済的余裕がなければ買えない。
学生が買えるモノではない。
学生といっても、起業していたり、富裕層であったりすれば簡単に買えたりするだろうし、
実際にそういう学生もいよう。
avcat氏がそうとは思えなかった。
なのに一連のツイートを遡って読んでいると、
青年の主張とでもいおうか、高校生の弁論大会のようとでもいおうか、
そのへんに通じるものを感じていた。
もしかするとavcat氏は、かなり若いのかも……、と。
私が筋が通っている、と感じたのは、そういう筋の通り方だったのだ。
「ワカいな」と思ったのは、
一連のツイートには、(その28)で書いた「音の美」に通じることが、
まったく感じられなかったし、
柳沢功力氏の「音の美」を認めた上での発言とは思えなかったからだ。
ステレオサウンドはオーディオ雑誌だ。
雑誌の読み方ぐらい、読む側の自由であってもいいだろう。
どんな読み方もしてもいいだろう。
それでもオーディオ雑誌は、そういうものだろうか、というおもいがある。
この項に限らず、このブログでは最近のステレオサウンドには批判的なことを書いている。
今回207号をひさしぶりに購入して読んでいた。
一見、良くなってきているように見えても、そう見えるだけだというのが、
徐々にはっきりしてくる。
もう、こうなってしまったステレオサウンドは完全に見捨てていいのではないか……、
そういう気持もあるけれど、それでもステレオサウンドは、やはりステレオサウンドであって、
そこでの試聴記を、書き手の「音の美」を認めずに読むのか、とひとこと言いたくなる。
avcat氏のツイートは、柳沢功力氏の「音の美」を認めずに、
ただ一方的に忠実性の点からだけでの筋が通っている、のである。