「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その31)
「音の美」と忠実性について、ここではこれ以上ふれない。
別項で書く。
avcat氏はオーディオのプロフェッショナルではない。
アマチュアである。
だから、ステレオサウンド掲載の試聴記をどう読もうと、avcat氏の自由(というより勝手)である。
それにその不満、不愉快になったことをツイートするのも自由(勝手)でいい。
問題にしているのは、そのことに対して、
ステレオサウンドの染谷一編集長がどうして謝罪したかということだ。
染谷一編集長とavcat氏の関係は知らないが、少なくとも顔見知りであることは間違いない。
親しい間柄なのかもしれない。
ならば、謝罪ではなく、説明をすべきだった、と私は考える。
説得できるかどうかはわからない。
それでもきちんと説明すべきだった。
ステレオサウンド 207号には、
ソナス・ファベールのパオロ・テッツォン氏による「三つの再生システムを聴く旅」が載っている。
パオロ・テッツォン氏が、柳沢功力、小野寺弘滋、ベイシーの菅原正二、
三氏の音を聴いての印象を綴った記事だ。
この記事こそ、三氏のそれぞれの「音の美」について語っている。
染谷一編集長が、この記事の担当がどうかはわからない。
担当していたとしよう。
染谷一編集長は、こういう記事をつくる一方では、
「音の美」を否定するかのようにavcat氏に謝罪している。
それともこの記事の担当者は別で、
染谷一編集長は、この記事をどう思っているのか。
知りたいところである。