Archive for 10月, 2014

Date: 10月 4th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その5)

この日、感じていた「遠さ」は、
「プラトンのオルゴール」展の直後に、講演をきいたということもある。

ステレオサウンドを辞めてから五年以上が経っていた。
この日だけは、ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、
と正直にいえば、そうおもった。

デザインを勉強してこなかった私に、壇上にいる人に会える日はくるのだろうか。
そう思うと、ますます遠く感じていた。

ステレオサウンドにいれば、記事を依頼するという形で、すぐにでも会えたであろう。
それでも、「ステレオサウンドの」という看板なしに会いたい気持が強かった。

人は生れた時代、生れた場所によって、会えない人がいる。
これはどうすることもできないことである。
私は、五味康祐、岩崎千明のふたりに会うことは出来なかった。
1977年は中学生だったし、1980年は高校生だった。東京ははるか遠いところであった。

この「遠さ」はどうすることもできなかった。
受け入れるしかない。

けれど、この日感じた「遠さ」は、自分でなんとかしなければならない遠さであることはわかっていた。
だからといって、その日から、何かを始めたわけではなかった。

Date: 10月 3rd, 2014
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度・その2)

グラフィックイコライザーもパラメトリックイコライザーも積極的に調整する器材である。
それをまったく調整せずに、ただそれまでのシステムに挿入する。
それでは、イコライザーも、イコライザーを接続するために必要なケーブルも、余分なものということになる。

余分なものがあれば、電気的な音の純度は低下する。
そんな当り前すぎることを指摘して「イコライザーは……」といわれても、私は納得しない。
けれど、世の中にはそれで納得してしまう人がいる。おしかな話だ。

これは比較試聴とはいえない。
イコライザーに関しては、きっちりと調整した状態で、
イコライザーを挿入した音と、外した音を聴き比べることが、正しい比較試聴ということになる。

イコライザーの適正な調整は容易いことではない。
集中的に調整していくことが必要だし、長い時間をかけてじっくりと調整していくことも求められる。

そうやって調整されたイコライザーは、音の純度を低下させるどころか、向上させることがある。
ある、というよりも、向上させるまで調整すべきもの、ともいえる。

つまりイコライザーは、スピーカーが置かれた環境による影響をうまく抑えることで、音の純度を高めてくれる。
電気的・電子的な音の純度は、わずかとはいえ低下する。
けれど、音はスピーカーから聴き手の耳に到達するまでに距離がある。
その間に、さまざまな影響を受け、音響的な音の純度は低下する。

よほど理想的なリスニングルームでないかぎり、そうである。
ヘッドフォンでのみ聴くのであれば、イコライザーは余分なモノということになろう。
けれど、多くのオーディオマニアはヘッドフォンを使うことはあっても、メインはあくまでもスピーカーである。

ならば、音の純度とは、いったいどういうことなのかを、いまいちど考え直してみる必要がある。

Date: 10月 3rd, 2014
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・その4)

4311というスピーカーシステムに、どちらかといえば無関心だったには、理由ともいえない理由がある。
どこで見たのかすらはっきりと憶えていないが、
4311のサイドに、”JBL”のステッカー(それも大きなサイズ)が貼られているのを見ている。

それも一度ではなく、何度か目にした記憶がある。

木目仕上げではなく、サテングレーの塗装仕上げだけに、
ステッカーが似合うといえばそういえなくもないスピーカーである。

あれは広告だったのか、それともオーディオ雑誌に載ったユーザーのリスニングルームの写真だったのか。
もうそれすら定かではないが、4311とステッカーの印象だけは、いまもはっきりと残っている。

とにかく、このステッカーが、4311は、そういうスピーカーなんだ、という印象を私に植えつけた。
むしろ、いまの方が、JBLのステッカーがもっとも似合うスピーカーシステムだと受けとめているけれど、
理由もなく粋がりたい10代のころは、それだけで拒絶する理由になりえた。

1982年に4311は4311A、4311Bを経て、4312へと変更された。
ここではじめてユニット配置がウーファーが下、スコーカー、トゥイーターが上になっただけでなく、
左右対称となる。
そして仕上げもサテングレーはなくなり、ウォールナット仕上げのみとなってしまう。
4312のサイドに、JBLのステッカーを貼る人はいなかったであろう。

現在発売されている4312Eはサテングレーではない、ウォールナット仕上げでもない。
ハーマンインターナショナルの4312Eのページによれば、
ブラックアッシュ調仕上げのキャビネットとブラック・ヘアライン調バッフル、ということになる。

そして4312Eの側面には、4311で昔見かけたのと同じように、”JBL”のロゴが大きく入っている。
4312Eを担当した人は、4310、4311がどういうスピーカーであったのかを理解している、と勝手に思っている。

Date: 10月 2nd, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その6)

羽二重=HUBTAEの発表会の会場には、七枚の羽二重=HUBTAEが展示してあった。

くばられた資料には、オノマトペによる「七つ」布感性評価を求める、とある。
続けて、こう書いてある。
     *
・「織物」と「人間」の関係は、「布」と「肌」との関係です。それは互いに呼吸をする界面・インターフェイスそのものです。布は、麻、綿、絹が文明をつくり、それぞれの肌感覚を求めて文化になりました。とりわけ絹には最も高級感があり、人肌を包み込む品格が、織物技術に「智恵」を込める最大のポイントでした

・生糸が「羽二重」になったとき、絹の品格は「七つの要素」で決定されました。「しなやかさ」は絹のつつましくも品性としての高級感になり、それは織物を人工化し人絹になっていく技術進化でした。

・ポリエステルは人間が到達した最高のモノになりましたが、これまでは大きな欠点がありました。それは呼吸をしない布でしたが、現代の呼吸するポリエステルは、布の理想をさらに追求しています。

・私たちが追い求めてきたのは、「七つの要素」を、オノマトペ=擬音語による共通感覚で布特性を「基準化」し、オノマトペの運用による評価によって、さらに未来の布開発目標を明確にしました。

・さらに私たちが求めたのは、子どもたち、それも5最の幼児たちの感覚で新たなオノマトペで布の感性評価を進展させる試みです。

・まず、私たちは「羽二重=HUBTAE」に七つの表現を基準化。この基準で、これからの布見本帳を体系化していきます。そうした未来を織り込む感性評価は、人と布とのインターラクション(人とモノとの総合性)づくりです。
     *
七つの要素、七つの表現とは、
こし:もちもち・しこしこ
はり:バリバリ・パリパリ
ぬめり:ぬるぬる・べとべと
ふくらみ:ふかふか・ふわふわ
しゃり:しゃりしゃり・しょりしょり
きしみ:きしきし・きゅっきゅっ
しなやかさ:しなしな・たらたら
である。

展示してあった七枚の羽二重=HUBTAEは、
こしの羽二重=HUBTAE、はりの羽二重=HUBTAE、ぬめりの羽二重=HUBTAE、ふくらみの羽二重=HUBTAE、
しゃりの羽二重=HUBTAE、きしみの羽二重=HUBTAE、しなやかさの羽二重=HUBTAEであった。

Date: 10月 2nd, 2014
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度・その1)

周波数特性を電気的に変化させるイコライザーの類を毛嫌いする人は、いまも昔もいる。
その理由として、必ず出てくるのが「音の純度が低下する」ということだ。

グラフィックイコライザーにしろパラメトリックイコライザーにしろ、
システムに追加することで、信号はそれまでなかった回路を通過することになる。

音の純度、それに鮮度も低下するから、余分(ほんとうにそうだろうか)なモノは挿入しない、
そういう考え方は、絶対的に正しいように思える。

どんなに電子回路技術が進歩しようと、イコライザーのために必要な回路がシステムに挿入されれば、
まったく音が変化しない、ということはありえない。

ずっと以前のイコライザーよりも、いまのイコライザーは進歩しているといえ、
イコライザーをシステムに追加するにはケーブルも余分に必要になる。
接点も増える。
そういったことも含めて音の純度・鮮度は、(わずかとはいえ)確かに低下する。

とはいえ、これはあくまでも電気的・電子的な音の純度である。
スピーカーから出てくる音としての純度とは、必ずしも同じとはいえない。

でも、イコライザーは追加すれば音は変化する。
出てくる音としての純度も同じことではないか──。

そうではない。
こういう比較試聴の時に、イコライザーのツマミは0のところにある。
つまり周波数特性はフラットのまま。
機能的に未使用の状態で、音の純度が低下する、という。

Date: 10月 2nd, 2014
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・その3)

4311が売れていたであろう時代のことを思い出してみると、
オーディオ店に行けば、4311はほとんどのところに展示してあったように記憶している。

ブックシェルフ型スピーカーは、各社のいくつものスピーカーが重ねられていることが多かった。
その中に4311はたいていあった。

国産のブックシェルフ型スピーカーの中にあっても、4311は目立っていた。
サテングレーの塗装仕上げで、木目ではないことも大きな理由であった。
ウーファーのコーン紙が白いことも、目立っていた理由のひとつである。

それに3ウェイなのだが、ウーファーがいちばん上にあり、
トゥイーターとスコーカーが下側にある、という4311独自のユニット配置も目立っていた。

これだけ目立つスピーカーシステムなのに、不思議と国産メーカーがマネしなかったのは、
いま考えると不思議でもある。
やはり一般的なユニット配置と反対なところがネックとなっていたのだろうか。

4311の音。
これが思い出せない。
記憶をたどってみても、聴いていないようなのだ。
4312になってからは何度か聴いている。

知人が購入して、オーラのプリメインアンプVA40と組み合わせていたのは、素直にいいな、と思えたし、
4312のころになると、クラシックを苦手とするスピーカーというイメージはほとんとなくなっていた。

Date: 10月 1st, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その8)

私が勤めていたころのステレオサウンドは社員の数は20名くらいだったか。
社員の数だけで判断すれば、小さな会社ということになる。

輸入商社もそんなに大きな会社ではなかった。
同じくらいだろうか。

国内メーカーは、ほとんどが大きな会社といえる。
資本金、社員数からして、桁が違う。

そんな大きな会社の中でも、さらに大きな会社というのは存在する。
さらに大きな会社は、大きな会社よりも桁が違う。

私がステレオサウンドにつとめていた七年間で、
「やはり大会社の人たちは違う」と感じたことが、二回あった。

キヤノンの人たちとテクニクス(松下電器産業)の人たちである。

私はこれまで大きな会社で働いた経験はない。
誰もが会社名を知っている一部上場企業で働くということが、
どういうものなのかは勝手に想像することしかできない。

キヤノンや松下電器産業といった規模の会社で働くということが、
20人くらいの規模の会社で働くということと、何が同じで何が決定的に違うのか。
それについて、はっきりしたことは何も書けなくとも、はっきりと違うものを感じていた。

最近、このことを思い出させることに出会すことが増えてきている──、そんな気がしているし、
今年のインターナショナルオーディオショウでも、そんなふうに感じてしまうことがあった。