Archive for 1月, 2014

Date: 1月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その4)

二台のLNP2(岡先生所有のモノとステレオサウンド試聴室常備のモノ)の試聴は、1983年のこと。
もう30年の前のことになる。

今回のモジュールの比較試聴は、30年前といくつかのところが異る。
まず個人のリスニングルーム。しかも初めて伺うところである。
それから複数台のLNP2の比較ではなく、ベースとなるLNP2は同じである。
そして、30年の分だけ私が歳をとっている。

最初にLD2モジュールでのLNP2の音を聴き、
それからバウエン製のUM201モジュールでのLNP2の音を聴いた。

その第一印象は、30年前ほどの差は感じられなかった、ということ。
違いはある。けれど、30年前ははっきりとLD2をとる、私にはバウエン製は不要だ、とまで言い切れたけれど、
今回はバウエン製モジュールもなかなかいいな、と思っていた。

ベースとなるLNP2が同じなのだから、30年前の比較試聴の結果とは違ってくるところもあることは予想していた。
けれど、電源を含めてベースが同じだと、
このベースが共通ということの音にしめる割合にも興味がわいてきた。

数枚のCDを聴いた。
私だけがCDを選んで聴いていたわけではなくて、
今回モジュールを持参してくれ人のかけるCDも聴いている。
それで30年前には気がつかなかった、意外な発見が私にはあった。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その3)

今回モジュールの比較試聴のために使ったLNP2はシリアルナンバーが1960番台である。
このLNP2のモジュールを差し替えての試聴だったことが、
ステレオサウンドでの、シリアルナンバー1010と1614との比較試聴との違いである。

LNP2は熱心なマニアは、シリアルナンバーをチェックする。
どの時期のLNP2を最上とするのかは、その人によって違ってくる。
事実、内部をいくつか比較しすれば、部品の変更や配線の仕方の違い、
プリント基板の使い方など、細部にいくつもの発見がある。

おそらくモジュールそのものも同じLD2であっても、
初期、中期、後期では音は違っていると考えてもいい。

シリアルナンバー1010と1614の比較ではモジュールの違い以外にも、こういった細かな違いがあった。
レベルコントロールのポテンショメーターにしても、
1010などの初期型はウォーターズ製の100kΩなのに対し、
1614などの中期型はスペクトロール製の35kΩ、最終型はスペクトロールの10kΩという違いがある。

つまり純粋にモジュールの違い(バウエン製とマークレビンソン製)の違いだけを聴いていたわけではない。
モジュールが取り付けられるベースとなるLNP2に少なからぬ違いがあり、
外付けの電源も大きく違っている。
それらを含めて、二台のLNP2を聴きくらべた時、
私はLD2搭載の、シリアルナンバー1614のLNP2の方がいいと感じていた。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続々・番外)

瀬川先生のModel 7は井上先生のところに行っている。
そのことは井上先生から直接きいていたし、
管球王国のVol.1にもはっきりと書かれている。

ステレオサウンド 38号に載った瀬川先生のリスニングルームの写真をみると、マランツ Model 7が写っている。
ただし一台だけである。
JBLのSG520は二台写っている。

38号の他にも、いくつかの瀬川先生のリスニングルームの写真をみても、
マランツのModel 7が二台写っているものは見つけられなかった。

瀬川先生はModel 7を二台以上所有されていたのだろうか。

こんなことを書くのは、以前、あるオーディオ店から瀬川先生が使われていたModel 7を買った、
という話を読んでいるからだ。
そのときは、井上先生のことを忘れてしまっていた。

いまは違う。
瀬川先生のModel 7を一台だけであったならば、
そのオーディオ店が売ったModel 7は誰が使っていたのか、ということになる。

二台所有されていた可能性がないわけではないし、
井上先生にはステレオサウンド 38号以前に譲られていたことだって考えられるから、
そのModel 7についてははっきりとしたことは、まだいえない。

とにかく、あの人が使っていた、というモノには怪しいものがあることは確かである。
私は、この手のモノはまったく信用しないわけではないが、疑ってかかるほうである。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続・番外)

facebookをみていたら、インターネットのオークションにあるオーディオ機器が出品されていて、
その製品説明に、あるオーディオ評論家が使っていたもの、と書いてある。

そこにははっきりと誰とは書いてなく、イニシャルだけだった。
それでもながくオーディオをやってきた人であれば、すぐにあの人だとわかる。

オーディオ店でもそうだが、ときどきこうやって、
オーディオ界で名の知られた人が使っていたモノが出てくる。

売る方としては、オーディオ評論家の名前を出すことで高く売りたいわけだ。
買う方としては、あの人が使っていたモノであれば、という思い入れがあって、手を出す。

ほんとうに、そこで名前の出ている人が使っていたモノであれば、
他の人にはそのことはなんら価値がなくても、
ある特定の人には、そのことがなによりもうれしいことであるから、まわりがそのことにあれこれいうことでもない。

でも、世の中にこれまで出廻った、そういうオーディオ機器のうちに、
ほんとうにそうだったモノはどれだけあるのだろうか。
ほとんどの場合が、なんらかの保証があるわけではない。

昨日伺ったオーディオマニアのところで、管球王国のVol.1を見ていた。
それで、あっそうだった、と思い出したことがある。
瀬川先生のマランツのModel 7のことだ。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(番外)

昔欲しかったオーディオ機器は、誰にでもあろう。
予算が足りずに買えなかった……、
買いにいったらすでに誰かに買われていた……、
すでに製造中止になっていた……、
などの理由であきらめたモノを、どうしても欲しいというおもいを捨て切れずに、
ずっとあとになって手に入れることがある。

となると中古品ということになる。
思い入れのあるモノだけに、程度のいいモノを手に入れたいと誰もがおもう。
だが、なかなか程度のいいモノがうまいぐあいに目の前にあらわれてくれるとは限らない。

それに一見程度の良さそうに見えるモノでも、
自分のリスニングルームに持ち帰ってみるとそうではなかった、ということだってある。

中古品の入手にはいくつかの方法がある。
中古品を扱っているオーディオ店からの購入。
友人・知人からの購入。いまならインターネットのオークションでの購入もある。

友人・知人から譲ってもらうのであれば、誰が使っていたのかがわかる。
それ以外の入手だと、どんな人が使っていたのかはまったくか、ほとんどわからない。

わからないほうがいいことだってある。
知っていることがいいこともある。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その2)

ステレオサウンド 68号のLNP-2 Storyには四台のLNP2が登場している。
シリアルナンバー1001(RFエンタープライゼス社長・中西康雄氏所有)、
シリアルナンバー1010(岡先生所有)、
シリアルナンバー1614(ステレオサウンド試聴室常備)、
シリアルナンバー2667(日本に輸入された最後のLNP2)である。

1001と1010のLNP2はバウエン製モジュールが搭載されていて、
1614と2667はマークレビンソン製モジュールで、
1614は六つのモジュールすべてLD2だが、
2667ではフォノイコライザーのみローノイズ仕様のLD3に変更になっている。

それから1614のLNP2には、瀬川先生が何度か書かれているように、
音質上のメリットからオプションモジュール(LD2)を搭載している。

通常フォノ入力では三つのLD2を通過する。
オプションモジュールを追加すると四つのLD2を信号は通過するわけで、
鮮度重視の人にとっては、モジュールの追加・イコール・音質劣化ということになるわけだが、
追加するメリットもまたあるところが、このアンプをあえて使う面白さにつながっている。

外付けの電源は1001と1010についてきているのは、型番のないタイプで、
サイズものちのPLS150、PLS153よりもふたまわりほど小さい。

こういう大きな違いの他にも、内部を見ていくとさらに細かな違いがいくつもある。

私が試聴室で聴いたのは、1010と1614のLNPである。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その1)

二日前に誘いの電話があって、今日とあるオーディオマニアのお宅に伺っていた。
そこにはある人から借りているというマークレビンソンのLNP2があった。

シリアルナンバーは1960番台。
入出力端子はCAMAC(LEMO)になっているモノだ。
このLNP2には、マークレビンソン製のモジュールLD2が入っている。

今日は、このLNP2にはバウエン製のモジュールUM201を差し替えて、比較試聴をやってみよう、ということだった。

LD2かUM201か。
その評価は人によって違う。

絶対にバウエン製(UM201)でなければ、という人も少なくない一方で、
私のようにLD2を選ぶ人もいる。

UM201とLD2を聴き比べした人はそう多くはないはず。

私が最初に聴くことができたUM201搭載のLNP2は、岡先生所有のLNP2だった。
ステレオサウンド 68号掲載のLNP2の記事のために岡先生からお借りしたLNP2を、
ステレオサウンドの試聴室で、ステレオサウンドに常備してあったLNP2Lとの比較でだった。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: 再生音

続・聴きたいのは……

フルトヴェングラーがいっている。
《感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。》と。

五味先生が、音の肉体にあれほどこだわられた、その理由は、
このフルトヴェングラーの言葉が語っている。

そういうことだとおもう。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その2)

もともと能率の高いドライバーとホーンの組合せ。
その中でも2441は能率の高いドライバーのひとつであり、
さらにダブルで使うことで能率はさらに増す。

いったいそこまでの能率が家庭で、しかもそう広くない空間で鳴らすのに必要なのか。

それだけではないどんなに精密につくられていようと、
シリアルナンバーが連番であろうと、
スピーカーというメカニズムはまったく同じモノを作ることの難しさは、
実際に同じ製品をいくつか集めて比較試聴してみるとよくわかる。

連番だから、という期待はしないほうがいい。

そういうモノだからふたつのドライバーを同時に鳴らすことは、
メリットもあるけれどデメリットもある。

広いコンサート会場で使うのであれば、デメリットよりもメリットの方が大きくても、
家庭で常識的な音量で鳴らすのであれば、メリットよりもデメリットのほうが大きいのかもしれない。

そんなことは指摘されなくてもわかっている。

でも目の前に2441を二発取り付けた2397とのカタチをみていると、
いつからオーディオは、コマゴマとした理屈をいうようになってきたのだろうか、と思う。

(理屈なんて)どうでもいいじゃないか、このカタチ(姿)を見てみろよ、
と2441(二発)と2397と言っているような気がしてくる。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その1)

JBLのコンプレッションドライバー2441は17.8φ×D13.6cmで、重量は11.3kg。
実際に手に持ってみると、指がひっかかるところがほとんどないため、
11.3kgよりもずっと重たく感じる。
黒くて重い鉄のかたまりともいえる。

これと組み合わせているディフラクションホーン2397は、
扇状の形をしていてW66.0×H9.5×34.0Dcm、重量は、JBLには珍しい木製ということもあって4.4kg。

写真でみるよりも実際にふたつ合わせた重量と、その重量のアンバランスさを実感してみると、
余計に、このふたつの組合せからなる形がユーモラスな雰囲気もある。

大型の金属製のマルチセルラホーンとの組合せより、
2397と大型ドライバーの組合せは、趣味のモノとしてみれば、実にいいカタチをしている、と思う。

これは理屈ではない。
オーディオが男の趣味として、オーディオ機器が存在していると感じさせる。

今日、試しに2397にスロートアダプター2329を利用して、2441をダブルで取り付けてみた。
2441は二個しかないから、ステレオ用として音を出すためではなく、
2397+2441×2の実物を見て、それを手にとり実感したい、と思ってやってみた。

2397に2441を二発取り付けてある写真はステレオサウンドのバックナンバーにも載っている。
どんな感じになるのかはだいたいはわかっていた。

それでも実際に取り付け作業を一人でやっていると、
ずしっとした重量が、なんともたのもしいと思えてくる。

11.3kgがふたつで22.6kg。2397の4.4kgがそれに加わり、
2329の重量(2kg以上はあるだろう)を合計すると30kg近くなる。

しかも重量バランスのアンバランスさは、さらに増す。
ユーモラスな印象も増してくる。全体の、モノとしての迫力はもっと増している。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: background...

background…(その3)

ポール・モーリアの「恋はみず色」を初めて聴いているのだとしたら、
聴いている途中で電話がかかってきたり、宅急便が届いたりすることは、いわば邪魔といえる。

「恋はみず色」を、その時初めて聴いている聴き手は、
邪魔がはいればそこで、いま鳴っている「恋はみず色」を止め、用事をすませた後で、
スピーカーの前に座り直して、聴きつづけることだろう。

その際に、中断したところから聴きはじめるのか、それとも頭から聴き直すのか。

ポール・モーリアの「恋はみず色」を家庭で聴くときは、
レコードに頼るかラジオから流れてくるのかのどちらかである。

ラジオの場合、自分の好きな時に聴けるわけではないし、
次にいつ放送されるのかもわからないから、
「恋はみず色」をすでに聴いたことのある聴き手であっても、
ラジオからの「恋はみず色」に、いいメロディだな、と思っていた時に、
電話、宅急便がそこに割りこんできたら、邪魔だと感じるのか。

レコード(アナログディスク、CD、カセットテープなど)で聴いていれば、
電話、宅急便が割りこんできても、もう一度、というより何度でも、
「恋はみず色」のレコードを手放さないかぎり、いつでも聴くことができるわけで、
だからこそ、電話、宅急便などの割り込みがあったとしても、
その間、「恋はみず色」を流しぱなしにするとはいえないだろうか。

レコードで「恋はみず色」を聴く場合でも、
初めて聴くときと、二度目以降に聴くときとでは、
電話、宅急便などの割り込みに対する感情も変っていくのだろうか。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その22)

こんなふうにコーネッタのことを書いていくのは、思っていた以上に楽しい。
そしてタンノイが、いまコーネッタを作ってくれないかな、とも思ったりする。

アルニコ磁石の10インチの同軸型ユニットを搭載して、
いまの時代コーナー型というだけで拒否反応が出るかもしれないから、
オートグラフがウェストミンスターになり、
コーナー型からレクタンギュラー型に変更されたように、
コーネッタもレクタンギュラー型になってもいいと思う。

ただしフロントショートホーンだけは絶対に譲れないけれど。

あと鍵付のサランネットは無しにしてほしい。

でもタンノイがコーネッタを作ってくれることは、可能性としてはまったくゼロに近い。
ならば以前のようにスピーカーユニットを単売してくれないだろうか。

ユニットが手に入れば、コーネッタを現代に甦らせることはそれほど大変なことではない。

こんなことも夢想しながら、なぜこんなにもコーネッタのことが、いまも気になっているのだろうか。
その理由も書きながら考えていた。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その3)

あるオーディオマニアが自分のためのアンプをつくる。
それが仲間内で、音がいい、と話題になり、
メーカーを興したらどうか、ということになり、オーディオメーカーをつくった。

こんな話が、以前はよくあった。
1970年代だけに限らない。

マランツにしても、最初はこれと似たようなところからのスタートである。

まわりにいるオーディオの仲間というのは、
どんなに多くの人がそこにいようとも、
実際に会社を興し市場に乗り出すことに比べれば、圧倒的に小人数でしかない。
それは小さな世界での評価であり、
それがいきなり大きな世界に参入するということは、
どんなに仲間内で評価が高くとも、必ずしも成功するとは(高い評価をえるとは)いえないし、
仲間内での評価よりもずっと高い評価を得ることだってある。

自国ではそれほどではなくとも、他の国では高く評価されることだってあり得る。

自分が欲しいと思うアンプ、自分が理想と考えるアンプ、
とにかくそういうアンプを製品化することで世に問うわけで、
評価とともに、仲間内では得られなかった指摘もフィードバックされる。

仲間内とは、往々にして好みの合う人たちの集団であったりするのだから、
そこでの音の評価は多少の違いはあっても、大筋では一致していても不思議ではない。

だからそこでの評価にどっぷりと浸ってしまうのか、
そこから抜け出して、広い世界からの評価に飛び込んでいくのか。
それをどう受けとめ、どう次の製品にいかしていくのか。

それによって、「音」が変っていく。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その2)

ガレージメーカーという言い方がある。
オーディオでは、1970年代ごろから盛んに使われるようになってきた。

この時代、アメリカでは、アンプメーカーを中心として、
ガレージメーカーというしかない規模のオーディオメーカーがいくつも誕生していった。

マークレビンソンのそのひとつであり、GAS、AGI、DBシステムズ、クレル、スレッショルド、
カウンターポイント、コンラッド・ジョンソン、ビバリッジ、スペイティアルなどがある。
思いつくまま書き並べていって、すくにこれだけ出てくるし、
あまりブランドだけを書いていってもあまりここでは意味がないのでこのへんにしておくが、
雨後の筍といえるほど、多くのガレージメーカーが生れ、消えていったメーカーも多い。

このころよく引き合いに出されていたのが、マークレビンソンの成功であり、
マークレビンソンに刺戟されて、というメーカーも実際にあったようだ。

マーク・レヴィンソンというひとりの男(オーディオマニア)が、
自分のつくりたいアンプをつくり、世に問い成功した。
ならば、同じように自分のつくりたいアンプをつくり世に問う人が、レヴィンソンに続いた。

1970年代のオーディオは、ベンチャー企業でもあった。
だから企業した人すべてがオーディオマニアだったのかどうかは断言できない。
電子工学を学び、とにかく成功したい、ということでオーディオのメーカーを興した人がいても不思議ではない。

でも多くのガレージメーカーの主宰者(創業者)は、オーディオマニアだった、と私は思っている。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その6)

だが、まだビリー・ホリデイのLady Dayはかけずに(かけられずに)いる。
理由は特にない。
ただ、まだ鳴らすには早いような気がしているだけだ。