Archive for 5月, 2012

Date: 5月 8th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その7)

スイングジャーナルの1972年11月号の録音評のところに、こんなことを書かれている。
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オレ自身では44年から49年にわたって録音された「バード・オン・サヴォイ」をベストにと思うのだが読者の誤解、あいつかぶれてるなとか、演奏評にまで口を出すな、とかいわれそうなので、一応ロルフ&ヨアヒムの「変容」にすべきか結論は編集者まかせにした。
     *
スイングジャーナルの古いバックナンバーを提供してくださった方のおかげで、
昨年から岩崎先生の文章の入力を頻繁に行っている。
作業しながらいつも思っていることは、なぜ、当時のスイングジャーナルの編集者はジャズのレコードについて、
岩崎先生に書かせなかったのか、ということ。
スイングジャーナル後半のオーディオのページでは活躍されていても、
レコードについては毎月の短い録音評と、ときどき(ほんとうにときどき)単発で書かれているぐらい。

当時のスイングジャーナルには書き手が揃っていた、ということも関係しているとは思っていたが、
もしかすると上で引用した文章からうかがえることも関係していたのかもしれないと思う。

岩崎先生がジャズについて語られているものを読みたい、と思っている。
スイングジャーナルでは無理でも、他の雑誌、ジャズやジャズランドにもこれから先、目を通していきたい。

岩崎先生が亡くなられたとき所有されていたレコードの枚数は1万枚ほどあった、と今回きいた。
いまでこそこのくらいの枚数を所有されている方は多いとはいわないまでも、珍しくはない。
でも、1977年当時にこの枚数は、やはりすごいと思う。
それだけレコードで音楽を聴いてこられた岩崎千明の音楽についての文章を読んでいきたい。
なにもジャズだけに限らない、音楽について書かれているものを読みたい。

どのくらいあるのかはまだわからない。
とにかく岩崎先生の文章を、これからも探していくつもりである。

Date: 5月 8th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明のこと(2012年5月2日・その6)

五味先生、岩崎先生、ベートーヴェンについて書いていこうと思ったとき、
ひとつ、どうしてやってくれなかったんだろう……と思っていることがある。
五味先生のオーディオ巡礼に関することだ。

ステレオサウンド 16号で五味先生は山中先生、菅野先生、瀬川先生のリスニングルームを訪問されている。
その後に上杉先生のところにも行かれている。
岩崎先生のところには行かれていない。

16号は1970年発行の号だから、私が実際に読んだのはステレオサウンドで働くようになってからだ。
そのときは、この人選について不満はなかった。
でも、いまは違う。

五味先生はクラシック、岩崎先生はジャズ……だからというのは理由にはならない、と思う。
なにか別の理由があったのだろうか。

元編集者として言わせてもらうと、岩崎先生のところに行かれていたら、
どちらにどうころぶか予想はできないけれど、どちらに行ったとしても非常に面白いことになったはずだ。

このことを5月2日に話したところ、当日来てくださった方から、
スイングジャーナルの別冊で五味先生がジャズ喫茶めぐりをされている記事がある、という情報をいただいた。
そこで岩崎先生のジャズオーディオにも行かれた、らしい。
近々図書館に行って、調べるつもりである。
どういう内容の記事なのか、まったく想像できない。それにしても、すごい企画だな、と思う。

Date: 5月 7th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その5)

岩崎先生の息子さんの宰守さんは、
音楽を聴いている時、気がつくと椅子の上であぐらをかいていることがあるそうだ。

岩崎先生の写真で、私がつねにまっ先に思い浮べるのも椅子の上であぐらをかかれているものだ。
「オーディオ彷徨」でも、ステレオサウンド 38号でもパラゴンを背にした岩崎先生は椅子の上であぐら、である。
しかも素足。

椅子の上であぐらで思い出す人物がいる。五味先生だ。
ステレオサウンド 47号のオーディオ巡礼の扉の使われている写真。
煙草を手に持ち椅子の上であぐら。

私も椅子の上であぐら、ということが多い。
だから五味先生の、岩崎先生のあぐらは、うんうん、と勝手に思っていた。
私のことはどうでもいいのだが、五味先生と岩崎先生にはあぐら以外に共通するところがある。

岩崎先生は12月4日、五味先生は12月20日うまれ。
ふたりとも射手座である。
そして岩崎先生は1977年3月24日、五味先生は1980年4月1日に亡くなられている。
3月24日、4月1日はどちらも牡羊座にあたる。

射手座の季節に生を受け、牡羊座の季節に亡くなられている。
単なる偶然と片づけることもできる。
でも、ここには単なる偶然とは片づけられない不思議な一致があるような気がする。

そして、もうひとり、ベートーヴェンがいる。
ベートーヴェンもまた1770年12月16日ごろ、射手座に生れ、1827年3月26日、牡羊座の季節に亡くなっている。

ずいぶん前からこのことには気がついていて、
この共通することから何か書いていける気もしているのだが、
まだ書き始めていないし書き続けられるのか……、ということろで止っていたけれど、
5月2日、岩崎綾さん、宰守さんによる岩崎先生の話をきいていて、書ける気がしている。

Date: 5月 6th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その4)

岩崎先生の文章は、ジャズを聴いてきた人の文章だ。

だからといって、ジャズを聴いていれば、岩崎先生のような文章が書けるようになるとはいえないけれど、
ジャズを真剣に聴いてこなければ書けない文章、そう以前から思っている。

ジャズをあまり聴いてこなかった私でさえつき動かされるわけだから、
ジャズを熱心に聴いてきた人は、私なんかよりももっと早い時期から、もっと強くつき動かされてきたはず。
そういう人は少なくないと思う。

オーディオ業界の中では、細谷信二さんと朝沼予史宏さんがそうだ。
きっとメーカーや輸入商社に勤めている人の中にもつき動かされた人はいるはずだが、
オーディオ雑誌に名前が出てくる人では、細谷さんと朝沼さんのふたりが、いる。

ステレオサウンドから出た遺稿集「オーディオ彷徨」は、
当時ステレオサウンド編集部にいた細谷さんがまとめられた、ときいている。
それだけでなく岩崎先生が亡くなられた後も、
たびたび岩崎先生のお宅を訪ねてはオーディオ機器の手入れをされていた、ともきいている。

岩崎先生が愛用されていたエレクトロボイスのエアリーズ。
ウーファーのエッジがダメになってしまったのを元通りにされたのも細谷さん。
ジャズオーディオで使われていたトーレンスのTD224のチェンジャー機構は壊れてしまってそのままだったのを、
レコパルでの撮影のため借り受けたときにきちんと動作するように手配したのも細谷さんである。

朝沼さんは、まだ編集者だったころ(つまり本名の沼田さんとして仕事をされていたころ)、
なかば居候といえるくらい、岩崎先生のお宅で夜を明かされていた、そうだ。

そういえば朝沼さんはダルキストのスピーカーシステムDQ10を使われていたことがある。

DQ10はQUADのESLによく似た外観の、しかしダイナミック型スピーカーユニットによる5ウェイ。
DQ10は、岩崎先生も新しいタイプのスピーカーシステムとして注目され、評価も高かった。
DQ10はESLを意識したスピーカーシステムで、そのESLを岩崎先生も朝沼さんも使われていた。

岩崎先生も、朝沼さんも細谷さんも小学館が発行していたFMレコパル、サウンドレコパルで仕事をされている。

朝沼さんは2002年12月に、細谷さんは2011年2月に亡くなられた。
細谷さんと朝沼さんとはステレオサウンドで何度も会っていた。
岩崎先生のことを訊いておけば……、と思っている。

Date: 5月 5th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その3)

岩崎先生の万年筆を手にしたからといって、ああいう文章が書けるようになるわけではない。
そんなことはわかっている。
そして、岩崎先生の文章の魅力は?、ときかれたら、読む人を惹きつけるところにある、とまず感じている。

私はこれまでにも書いているとおり、岩崎先生に関しては「遅れてきた読者」である。
しかもジャズよりも、圧倒的にクラシックを聴いている時間が長い。
にも関わらず、深夜ひとりで「オーディオ彷徨」を読んでいると、
無性にジャズが聴きたくなってくる。

ステレオサウンドを辞めて、すぐに就職したわけではない。
しばらくぶらぶらしていた時期がある。
冬の寒い時期であった。「オーディオ彷徨」を読んでいた。
それ以前にも「オーディオ彷徨」を読みたいところから読むことはしていたが、
最初から最後まで読み通すことははじめてやったのは、実はこのころのことだった。

そういう心理的なものも作用してのことだったのかもしれない。
でも「オーディオ彷徨」を読んだ友人も、まったく同じことを言っていたから、私だけのことでは決してない。
近所に深夜までやっているレコード店がもしあったら、
すぐさま駆け込んで、
いま読んだばかりの「オーディオ彷徨」の章に出てくるジャズのレコードを買いに行きたくなる。
読み手を駆り立てるものが、岩崎先生の文章にはある。

いま岩崎先生の文章を集中的に入力している。
レコード(ジャズ)についての文章だけでなく、オーディオ機器についての文章を読み入力していると、
昨日まではほとんど関心をもてなかったカートリッジなりアンプなりスピーカーシステムなりが、気になってくる。
聴いたことのあるオーディオ機器はもう一度聴いてみたい、と思うし、
かなり古く聴いたことのなかったオーディオ機器は、一度聴いてみたい、と思ってしまう。

岩崎先生が書かれたオーディオ機器すべてではないけれど、
岩崎先生の文章によって気になってきたオーディオ機器がいくつも、すくなからず浮上してきている。

岩崎先生の文章には、読む者をつき動かす衝動(impulse)がある。

Date: 5月 4th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その2)

audio sharingの公開当初は、瀬川先生の文章と岩崎先生の文章は、いわば無断公開していた。
本来なら許諾を得ての公開なのだが、ご家族の連絡先がわからず、ことわりをいれた上での公開だった。

だから岩崎綾さんのメールを届いたとき、
本文を読むのは、半分不安だった。もし公開しないでほしい、と書かれてあったら……。
でもクリックしてメールを読むと、嬉しい内容のメールだった。
メールの最後に、「母も喜んでいます」と書いてあった。
公開の許諾をきちんといただけたこと以上、この最後の行が嬉しかった。

このメールが届いた日から、ほぼ12年。
何度かメールのやりとりはあったものの、お会いしたことも電話で話したこともなかった。
だから5月2日が初対面だった。

5月2日の夜は楽しかった。
楽しかったうえに、「おみやげがあります」といって万年筆をいただいた。
岩崎先生が使われていたパーカーの万年筆を、2本も。

そういえば、深夜、検問で止められたとき「職業は?」ときかれ、
ひと言「物書き」と岩崎先生は答えられた、という話が、ジャズ・オーディオに通い、
岩崎先生の運転する車に同乗されたこともある方からのメールにあった。

岩崎先生は、小学校のとき担任から「いい文章を書くから、物書きになったらいい」といわれたとのこと。
担任の名前は角川源義氏。
角川書店の創立者の角川氏からそう言われた岩崎少年は、物書きを夢見ていたのか、目ざしていたのか──、
はっきりとしたことはわからないけれど、「物書き」と答えられたのだから……、と思ってしまう。

そんな岩崎先生の万年筆が、いま手もとにある。

Date: 5月 3rd, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日)

昨夜(5月2日)は毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会であり、
テーマは「岩崎千明氏について語る」であり、
ここで何度かお知らせしたように岩崎先生の娘(綾さん)さんと息子さん(宰守さん)が来てくださった。

夜7時開始で、3時間ちょっと夜10時すぎまで話が尽きることはなかった。
昨夜の例会での3時間、その後、帰り道が途中まで同じということもあって、さらに2時間弱、
ずっと話をしていた。

ほぼ5時間の会話によって、「やっぱりそうだったのか」「えっ、そうだったのか」と思うことがいくつもあった。
昨夜のことは、これから先このブログのあちこちに書いていく。

岩崎綾さんは私が降りる駅の数駅前で下車された。
それからの10数分間、ひとり、電車のなかで思っていたことがある。

ステレオサウンドで働いていたときは、
こうやって岩崎先生のご家族の会う日がくるなんてまったく想像できなかった。
岩崎先生だけではない、瀬川先生のご家族と会うことも思いもよらなかった。

それが、昨夜、初対面にも関わらず、ずっと話が続いていく──

岩崎綾さんは、私が2000年8月にaudio sharingを公開して数ヶ月後、メールをくださった方だ。
audio sharingを公開したばかりとはいえ、まったく反応はなかったときに、
いつもの同じように、今日もaudio sharing宛のメールは届いていないんだろうな……
と思いながらメールチェックしていた。
その日の嬉しさはいまでもはっきりと憶えている。
メールの件名は「岩崎千明の娘です」だった。

目を疑った。
目を疑う、とはこういうことなのか、と思い、もう一度件名を確認した。

Date: 5月 2nd, 2012
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その22)

オーディオは音楽を聴くものであるから、
聴く音楽(再生するディスク)によって、その表情をがらりと変えてくれないと困る。

音楽はひとときたりとも同じ音、同じ表情をしていない。
つねに変化していく。同じフレーズをくり返していてもまったく同じということはない。

録音では、同じフレーズのくり返しに最初のフレーズの演奏をそのまま使うこともできる。
そうすれば物理的にはまったく同じフレーズであり、そのくり返しになるといえるわけだが、
音楽としては、そのくり返しのフレーズの前後に出てくる別のフレーズによって、
まったく同じくり返しであっても、聴き手にとっては、音楽的にはまったく同じくり返しにはならない。

だから千変万化していく音を、オーディオに求めるし、音の判断の重要なポイントでもある。
いわゆる音色的魅力の濃厚な、特にスピーカーシステムにおいては、
その音色の濃さが音楽の表情の変化への対応を鈍らせてしまうことになる。

スピーカーシステムには、どんなスピーカーシステムであろうと固有の音色がある。
その固有の音色は、オーディオを介して音楽を聴く上では、
必ずしも不要なものであったり、悪であったりするわけではない。
録音から再生までを広く眺めたときには、その固有の音色はうまく作用することがあるからだ。
このことについて述べていくと長くなってしまうから、ここではこれ以上書かないが、
そうであっても濃すぎる音色は、過剰であり、その音色が支配的になってしまうことが多い。

そうなってしまうと、音(音色)を聴いているのか、音楽を聴いているのか、その境が曖昧になる。

聴き手として音楽を聴くこと(再生すること)を最優先すれば、濃すぎる音色は邪魔になる。
とはいうものの、音色の魅力は、オーディオマニアにとっては格別のものがある。
良質の好きな音色がたっぷりと出てくれれば、音楽の聴き手としての強い気持が揺らいでしまうところが、
すくなくとも私にはある。

私にとって以前のBBCモニター系列のスピーカーシステムの音がそうだし、
フィリップスのフルレンジユニットの音がまさにそういう存在である。

Date: 5月 2nd, 2012
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その21)

その音を聴いて、コロッと参ってしまったフィリップスのフルレンジユニットはAD7063/M8である。
17.8cm口径のダブルコーンの、このフルレンジをおさめた知人による自作スピーカーから出てきた音は、
冷静に判断すれば非常に個性的な音であり、この音がダメな人にとっては癖の強い音ともなろう。

フィリップスのユニットは、素直な音、癖の少ない音を出そうとしてつくられたスピーカーユニットではないことは、
誰の耳にはっきりとわかるくらいに、その音は人工的な、といいたいところがあり、
この音が好きな者にとってはなんとも心地よく、巧みな音の美しさ、とも思えてくる。

プレス製のフレームに、ダブルコーン仕様、価格も1979年当時で6500円。
物量を投入したつくりではないし、高性能を追求したユニットではない。
周波数特性のグラフをみても、音を聴いても、ワイドレンジを狙ったものではない。

すべてがほどほどに、バランス良くうまくまとめられたユニットであるから、
このAD7063/M8で高忠実度再生を目指そうとは思わないし、
たとえばこのユニットから始めて、トゥイーターを追加してその次にはウーファー……、
といった瀬川先生が発表されている発展的4ウェイ自作スピーカーに使いたいとは思わない。

このフルレンジユニットは、もうこれ一本だけで使おう、というところで心が落ち着く。

なぜ、そういう気持になるのかといえば、フィリップスのフルレンジユニットの音には、
このユニット、この音ならではの説得力があるからではないだろうか。

Date: 5月 1st, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その7)

CD(Compact Disc)はフィリップスによる名称であり、
CDに規格が統一される前、メーカー各社から発表されていたいくつもの規格のディスクのことを、
DAD(Digital Audio Disc)と呼んでいた。

1982年のCD登場から30年後のいまになって考えているのは、
フィリップスによる名称には、digitalの文字はないこと、である。

カセットテープのオリジネーターであるフィリップスだから、
コンパクトカセットテープのディスク版ということでのコンパクトディスク(Compact Disc)なのは、
誰でも気がつくことで、私もそう理解していた。

CDはフィリップスとソニーによる規格である。
もしCDが日本のメーカーだけによってつくられた規格であったとしたら、
間違いなく名称のどこかにdigitalの文字が入っていた、と思う。
DADのままだったり、Digital Compact Disc(略してDCD)とかなどである。

なぜ、フィリップスはDigital Discということを名称で謳わなかったのだろうか。
深い意味はなかったのかもしれない。
名称にはなくても、CDのロゴにはDIGITAL AUDIOの文字があるからだ。
それでも、digitalを使わなかったことは、いまになって考えると意味深長な名称だと思う。