Archive for 1月, 2012

Date: 1月 11th, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(その1)

「40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏)」で測定のことについてふれていることもあって、
facebookの機能を利用して行っているaudio sharingという非公開のグループで、
昨夜、なぜステレオサウンドだけでなくオーディオ雑誌は測定をやらなくなってきたのか、というコメントがあった。

ステレオサウンドだけでなく、他のオーディオ雑誌も、あきらかに測定はやらなくなっている。
ステレオサウンドが155号、156号でスピーカーシステムの測定を行なったとき、
それだけで話題になっていたぐらいだから、
技術系の雑誌以外では測定データを見る機会は減った、というよりもなくなった、といいたくなるほどだ。

なぜ、測定をやらなくなったのか──、
その理由は、いくつものことがからみ合ってことである、と私は思っている。
なにかひとつ、これだ、という理由があるわけではない。

私が41号に続いて買った、ステレオサウンド 42号はプリメインアンプの特集号だった。
35機種のプリメインアンプが取り上げられている。
この特集は65ページから始まっていて、最終ページは392である。
途中途中に広告ははいっているものの、このボリュウムは最近のステレオサウンドからはなくなっている。
ひとつの特集記事が一冊のステレオサウンドの半分以上を占める。
42号の編集後記が載っている奥付は、536ページである。

なぜこれだけのボリュウムなのか。
いまのステレオサウンドでは1機種あたり、見開き2ページで取り扱うのが当り前となっている。
42号ではプリメインアンプ1機種に5ページを割いている。
測定データもほぼ1ページ使っている。
5ページという物理的なページ数があるからこそ、できる内容である。

44号、45号はスピーカーシステムの特集号で、こちらも1機種あたり4ページを割いている。
その一方で、新製品紹介のページ数は42号では32ページと、いまのステレオサウンドからみるとかなり少ない。

Date: 1月 10th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その18)

ステレオサウンド 44号は、41号から読みはじめた私にはやっと1年が経った号。
いまと違い、3ヵ月かけてじっくりステレオサウンドをすみずみ(それこそ広告を含めて)読んでいた。
実測データも、もっと大きな写真にしてくれれば細部までよく見えるのに……、
と思いながらも、じーっと眺めていた。

同じスピーカーシステムの周波数特性なのに、サインウェーヴで無響室での特性と、
ピンクノイズで残響室でスペクトラムアナライザーで測定した特性では、
こんな違うのか、と思うものがいくつかあった。
どちらも特性も似ているスピーカーシステムもあるが、それでも細部を比較すると違う傾向が見えてくる。

とはいうものも、このころはまだオーディオの知識もデータの読み方も未熟で、
データの違いは見ることで気がつくものの、それが意味するところを、どれほど読み取れていたのか……。
それでも、このトータルエネルギー・レスポンスは面白い測定だ、とは感じていた。

このトータルエネルギー・レスポンスについては、
瀬川先生もステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES-3(トゥイーター特集号)で触れられている。
     *
(トゥイーターの指向周波数特性についてふれながら)残響室を使ってトゥイーターのトータルの周波数対音響出力(パワーエナージィ・レスポンス)が測定できれば、トゥイーターの性格をいっそう細かく読みとることもできる。だが今回はいろいろな事情で、パワーエナージィは測定することができなかったのは少々残念だった。
ただし、指向周波数特性の30度のカーブは、パワーエナージィ・レスポンスに近似することが多いといわれる。
     *
サインウェーヴ・無響室での周波数特性よりも、
私がトータルエネルギー・レスポンスのほうをさらに重視するきっかけとなった実測データが、
ステレオサウンド 52号、53号で行われたアンプの測定データのなかにある。

Date: 1月 10th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その17)

ステレオサウンドは44号で、サインウェーヴではなくピンクノイズを使い、
無響室ではなく残響室での周波数特性を測定している。

44号での測定に関する長島先生の「測定の方法とその見方・読み方」によると、
36号、37号でもピンクノイズとスペクトラムアナライザーによる測定を行なっている、とある。
ただし36号、37号では無響室での測定である。
それを44号から残響室に変えている。
その理由について、長島先生が触れられている
     *
(残響室内での能率、リアル・エフィシェンシーについて)今回はなぜ残響室で測ったのか、そのことを少し説明しておきましょう。スピーカーシステムの音はユニットからだけ出ていると思われがちですが、実はそれだけではないのです。ユニットが振動すれば当然エンクロージュアも振動して、エンクロージュア全体から音が出ているわけです。そして実際にリスナーが聴いているスピーカーシステムの音は、スピーカーからダイレクトに放射された音、エンクロージュアから放射された音、場合によっては部屋の壁などが振動して、その壁から反射された音を聴いているわけです。
ところが一般的に能率というと、スピーカー正面、つまりフロントバッフルから放射される音しか測っていないわけです。これは無響室の性質からいっても当然のことなのですが、能率というからには、本来はスピーカーがだしているトータルエナジー──全体のエネルギーを測定した方が実情に近いだろうという考え方から、今回は残響室内で能率を測定して、リアル・エフィシェンシーとして表示しました。
(残響室内での周波数特性、トータルエネルギー・レスポンスについて)今回のように残響室内で周波数特性を測定したのは本誌では初めての試みです。従来の無響室内でのサインウェーブを音源にした周波数特性よりも、実際にスピーカーをリスニングルーム内で聴いたのに近い特性が得られるため、スピーカー本来の性格を知る上で非常に参考になると思います。
(中略)この項目も先ほどの能率と同様に残響室を使っているため、スピーカーシステムの持っているトータルエナジーがどのようなレスポンスになっているかが読み取れます。
     *
ステレオサウンドでの測定に使われた残響室は日本ビクター音響研究所のもので、
当時国内最大規模の残響室で、内容積280㎥、表面積198㎡、残響時間・約10秒というもので、
壁同士はだけでなく床と天井も平行面とならない形状をもっている。
ただ、これだけの広さをもっていても、波長の長い200hz以下の周波数では部屋の影響が出はじめ、
測定精度が低下してしまうため、
掲載されているデータ(スペクトラムアナライザーの画面を撮った写真)は、200Hz以下にはアミがかけられている。

Date: 1月 10th, 2012
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹(1935年1月10日 – 1981年11月7日)

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その16)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4で、菅野先生は2115Aについて、こう語られている。
     *
オーケストラのトゥッティの分解能とか弦のしなやかさという点では、LE8Tに一歩譲らざるを得ないという感じです。ところがジャズを聴きますと、LE8Tのところでいった不満は解消されて、むしろコクのある脂の乗った、たくましいテナーサックスの響きが出てきます。ベースも少し重いけれど積極的によくうなる。そういう点で、この2115はLE8Tの美しさというものを少し殺しても、音のバイタリティに富んだ音を指向しているような感じです。
     *
瀬川先生は、こんなふうに、2115AとLE8Tの違いについて語られている。
     *
2115の方がいろいろな意味でダンピングがかかっていないので、それだけ能率も高くなり、いま菅野さんがいわれたような音の違いが出てきているんだと思うんです確かに。2115は緻密さは後退していますが、そのかわり無理に抑え込まない明るさ、あるいはきわどさすれすれのような音がしますね。どちらが好きかといわれれば、ぼくはやはりLE8Tの方が好ましいと思います。
(中略)そもそもJBLのLEシリーズというのは、能率はある程度抑えても特性をフラットにコントロールしようという発想から出てきたわけですから、よくいえば理知的ですがやや冷たい音なんです。ですからあまりエキサイトしないんですね。
     *
LE8Tは優秀なフルレンジユニットだということは実測データからも読みとれるし、試聴記からも伝わってくる。
D130はマキシマム・エフィシェンシー・シリーズで、LE8Tはリニア・エフィシェンシー・シリーズを、
それぞれ代表する存在である。
だからD130はとにかく変換効率の高さ、高感度ぶりを誇る。そのためその他の特性はやや犠牲にされている──、
おそらくこんな印象でD130はずっとみてこられたにちがいない。

たしかにそれを裏付けるかのようなHIGH-TECHNIC SERIES 4での実測データではあるが、
私が注目してほしいと思い、これから書こうとしているのは、
周波数・指向特性、高調波歪率ではなくトータルエネルギー・レスポンスである。

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その15)

HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場しているJBLのユニットは、
LE8T(30000円)、D123-3(32000円)、2115A(36000円)、
D130(45000円)、2145(65000円)の5機種で、
2145は30cmコーン型ウーファーと5cmコーン型トゥイーターの組合せによる同軸型ユニットで、
いわゆる純粋なシングルボイスコイルのフルレンジユニットはLE8T、D123-3、2115A、D130であり、
これらすべてセンターキャップにアルミドームを採用している(価格はいずれも1979年当時のもの)。

LE8Tは20cm口径の白いコーン紙、D123-3は30cm口径でコルゲーション入りのコーン紙、
2115Aは20cm口径で黒いコーン紙、D130は38cm口径。
2115AはLE8Tのプロフェッショナル・ヴァージョンと呼べるもので、
コーン紙の色こそ異るものの、磁気回路、フレームの形状、それにカタログ上のスペックのいくつかなど、
共通点がいくつもある中で、能率はLE8Tが89dB/W/mなのに対し2115Aは92dB/W/mと、3dB高くなっている。
この3dBの違いの理由はコーン紙の色、
つまりLE8Tのコーン氏に塗布されているダンピング材によるものといって間違いない。

LE8Tはこのことが表しているように、全体に適度にダンピングを効かしている。
このことはHIGH-TECHNIC SERIES 4に掲載されている周波数・指向特性、第2次・第3次高調波歪率からも伺える。
周波数・指向特性もLE8Tのほうがあきらかにうねりが少ないし、
高調波歪率もLE8Tはかなり優秀なユニットといえる。
高調波歪率のグラフをみていると、基本的な設計が同じスピーカーユニットとは思えないほど、
LE8Tと2115Aは、その分布が大きく異っている。

2115AにもD130と同じように5kHzあたりにアルミドームの共振によるピークががある。
D123-3にもやはり、そのピークは見られる。
さらにこのピークとともに、第2次高調波歪が急激に増しているところも、D130と共通している。
ところがLE8Tこの高調波歪も見事に抑えられている。

LE8Tのこういう特徴は、試聴記にもはっきりと出ている。

Date: 1月 9th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その14)

スピーカーユニット、それもコーン型ユニットの測定はスピーカーユニットだけでは行なえない。
なんらかの平面バッフルもしくはエンクロージュアにとりつけての測定となる。

IECでは平面バッフルを推奨していた(1970年代のことで現在については調べていない)。
縦1650mm、横1350mmでそれぞれの中心線の交点から横に150mm、上に225mm移動したところを中心として、
スピーカーユニットを取りつけるように指定されている。

日本ではJIS箱と呼ばれている密閉型エンクロージュアが用いられる。
このJIS箱は厚さ20mmのベニア板を用い、縦1240mm、横940mm、奥行540mm、
内容積600リットルのかなり大型のものである。

ステレオサウンド別冊HIGH-TRCHNIC SERIES 4で、後者のJIS箱にて測定されている。
IEC標準バッフルにしても、JIS箱にしても、
測定上理想とされている無限大バッフルと比較すると、
バッフル効果の、低域の十分に低いところまで作用しない点、
エンクロージュアやバッフルが有限であるために、ディフラクション(回折)による影響で、
周波数(振幅)特性にわずかとはいえ乱れ(うねり)が生じる。

無限大バッフルに取りつけた状態の理想的な特性、
つまりフラットな特性と比べると、JIS箱では200Hzあたりにゆるやかな山ができ、
500Hzあたりにこんどはゆるやかで小さな谷がてきる。
この山と谷は、範囲が小さくなり振幅も小さくなり、周期も短くなっていく。

IEC標準バッフルでは100Hzあたりにゆるやかな山ができ、400Hzあたりにごくちいさな谷と、
JIS箱にくらべると周期がやや長いのは、バッフルの面積が大きいためであろう。

どんなに大きくても有限のバッフルなりエンクロージュアにとりつけるかぎりは、
特性にもバッフル、エンクロージュアの影響が多少とはいえ出てくることになる。

ゆえに実測データの読み方として、複数の実測データに共通して出てくる傾向は、
いま述べたことに関係している可能性が高い、ということになる。

Date: 1月 8th, 2012
Cate: 言葉

直向き(その1)

前向きであるべきだ、とか、自分はつねに前向きである、とか、
後向きではだめだ、とか──。

だが、誰が前か後なのかをわかっているのか。
そういっている本人が前だと思い込んでいるのが前なのであって、
その反対側が後だけなのかもしれないのに……、と思うことがある。

そんな前向き、そんな後向きなんかどうでもいい。
直向きであれば。

音楽に直向きであれば、音楽が示すのが前だと信じていい。
音楽が示す道が見えないのであれば、後向きなのかもしれない。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その13)

D130は厳密にはJBLの出発点とは呼びにくい。
実質的にはD130が出発点ともいえるわけだが、事実としてはD101が先にあるのだから、
D130はJBLの特異点なのかもしれない。

そのD130の実測データは、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に出ている。
無響室での周波数特性(0度、30度、60度の指向特性を併せて)と、
残響室でのピンクノイズとアナライザーによるトータルエネルギー・レスポンスがある。

このどちらの特性もお世辞にもワイドレンジとはいえない。
D130はアルミ製のセンターキャップの鳴りを利用しているため、
無響室での周波数特性では0度では1kHz以上ではそれ以下の帯域よりも数dB高い音圧となっている。
といってもそれほど高い周波数まで伸びているわけではなく、3kHzでディップがあり、その直後にピークがあり、
5kHz以上では急激にレスポンスが低下していく。
これは共振を利用して高域のレスポンスを伸ばしていることを表している。
周波数特性的には0度の特性よりも30度の特性のほうが、まだフラットと呼べるし、グラフの形も素直だ。

低域の特性も、38cm口径だがそれほど低いところまで伸びているわけではない。
100dBという高い音圧を実現しているのは200Hzあたりまでで、そこから下はゆるやかに減衰していく。
100Hzでは200Hzにくらべて約-4dB落ち、50Hzでの音圧は91dB程度になっている。
トータルエネルギー・レスポンスでも5kHz以上では急激にレスポンスが低下し、
フラットな帯域はごくわずかなことがわかる。

周波数特性的にはD130よりもずっと優秀なフルレンジユニットが、HIGH-TECHNIC SERIES 4には載っている。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するフルレンジユニットの中には、
アルテックの604-8GやタンノイのHPDシリーズのように、
同軸型2ウェイ(ウーファーとトゥイーターの2ボイスコイル)のものも含まれている。
それらを除くと、ボイスコイルがひとつだけのフルレンジユニットとしてはD130は非常に高価もモノである。
HIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するボイスコイルひとつのユニットで最も高価なのは、
平面振動板の朋、SKW200の72000円であり、D130はそれに次ぐ45000円。このときLE8Tは30000円だった。

Date: 1月 7th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その12)

JBLのD130の息の長いスピーカーユニットだったから、
初期のD130と後期のD130とでは、
いくつかのこまかな変更が加えられ、音の変っていることは岩崎先生自身も語られている。
とはいえ、基本的な性格はおそらくずっと同じのはず。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4(1979年)で試聴対象となったD130は、
いわば後期モデルと呼んでもいいだけの時間が、D130の登場から経っているものの、
試聴記を読めば、D130はD130のままであることは伝わってくる。

同程度のコンディションの、製造時期が大きく異るD130を直接比較試聴したら、
おそらくこれが同じD130なのかという違いは聴きとれるのかもしれない。
でも、D130を他のメーカーのスピーカーユニット、もしくはスピーカーシステムと比較試聴してしまえば、
D130の個性は強烈なものであり、いかなるほかのスピーカーユニット、スピーカーシステムとは違うこと、
そして同じJBLの他のコーン型ユニットと比較しても、D130はD130であることはいうまでもない。

そのD130は何度か書いているようにランシングがJBLを興したときの最初のスピーカーユニットではない。
D101という、アルテックのウーファー、515のフルレンジ版といえるのが最初であり、
これに対するアルテックにクレームがあったからこそ、D130は生れている。

ということは、もしD101にアルテックのクレームがなかったら、
D130は登場してこなかったはず。
となれば、その後のJBLの歴史は、いまとはかなり異っていた可能性が大きい。
かりにそうなっていたら、つまりD130がこの世に存在してなかったら、
岩崎先生のオーディオ人生はどうなっていたのか、
いったいD130のかわり、どのスピーカーユニット、スピーカーシステムを選択されていたのか、
そしてスイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告で書かれた次の文章──、
この項の(その11)で引用した文章をもう一度引用しておく。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
この文章(表現)は生れてきただろうか──、そんなことを考えてしまう。

おそらくD101では、D130のようにコーヒーカップのスプーンのように音は立てない、はずだからだ。
そう考えたとき、ランシングのD101へのアルテックのクレームがD130を生み、
そのD130との出逢いが……、ここから先は書かなくてもいいはず。

Date: 1月 6th, 2012
Cate: 言葉

ひたむき

13のときに「五味オーディオ教室」で出逢って、これまでがある。
いまふりかえって思うのは、ひたむきだったのか、ということ。

ひたむきの意味は、ひとつのことに集中する様、ひとつのことに一生懸命になる様、と辞書にはある。
この意味では、ひたむきであった、ともいえるけれど、
それでも、ひたむきとは、これだけの意味だけだろうかと思うと、
やはりひたむきであっただろうか、と自問することになる。

昨年秋から「ちやはふる」というテレビ番組の放送がはじまった。
どういう内容の番組かはリンク先を見てもらえばすぐにわかる。
リンク先に表示されるものをみて、こういうものなんだぁ、とか、こんなもの、とか思われる人もいるだろうし、
あいつはこんなものを見て、それをわざわざブログに書くのか、と思われる方もいてもいい。
それでも、この「ちはやふる」を見ていると、自問せずにはいられない。

作り事の主人公のひたむきさはしょせん作り事、とは思えない。
テレビは持っていないから、GayO!での配信で見ている。
毎週見ているし、先週から昨日まで1話から7話まで、
今日からおそらく12日まで8話から12話まで配信されている。
すでに一度見たものをまた見て、ひたむきだったのか、とまた自問していた。

同じ話を2度見れば、答えらしきものは出てくる。

「ちはやふる」の主人公は、「ちはやふる」というタイトルからわかるように小倉百人一首に向き合っている。
それだからひたむきなのではない、「ちやはふる」の主人公には仲間がいる。
仲間とも向き合っているから、
仲間とともに小倉百人一首と向き合っているから、ひたむきなのだと感じたのだと思う。

「ちはやふる」の主人公と同じ年齢のとき、私にはオーディオの仲間はいなかった。

ひたむきは、直向き、と書く。

Date: 1月 5th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その10)

昨年秋、ピーター・ガブリエルの「new blood」が出た。
「new blood」、新しい血、である。

組織には新しい血が必要だ、的なことがいわれている。
新卒、中途採用などによって新しい人がはいってきて、定年や自己理由などで出ていく人もいる。
そうやって新陳代謝して組織は生きのびていく、──こんなふうにいわれている。

けれど新しい人がはいってきたから、といって、組織の新陳代謝が行われているのかは疑問だ。

以前菅野先生からこんな話をきいたことがある。
あるオーディオメーカーが、いままでの音から脱却するため、イメージを一新するために、
このメーカーとは異る音を実現しているメーカーから優秀な技術者を引き抜いてきた。
ただ引き抜いてきただけでは、それだけでは不充分だということで、
設計・開発だけでなく、製造に関しても、この彼にまかせたそうだ。
ところが、実際に出来上ってきたオーディオ機器は、
そのメーカーがそれまでつくってきた製品と同じ音のイメージで、
わざわざ引き抜いてきた技術者が以前在籍していたメーカーの音は、そこにはなかったそうだ。

それまでの設計・開発、それに製造まですべて一新して、中心となる人間も引き抜いてきたにもかかわらず、
音は変らなかったのはなぜだろうか。

これはたとえ話ではなく、実際の話である。

他社から引き抜かれてきた技術者は、いわば、新しい血だったはず。
その新しい血にほぼ全権まかせることで組織は生れ変る、と多くの人が思うことだろう。

朱に交われば赤になる、といわれる。
組織という朱に交われば、新しい血も赤になる、ということなのか。

組織とはそういうものなのだろうか。
だとしたら、1977年春に岩崎先生ひとりいなくなっても、
スイングジャーナルにおけるジャズ・オーディオへの取組みは変化するわけがない、といえるのだが、
実際には、またくり返しになるが、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルは岩崎千明がいなくなり、おわった。

これはどういうことなのかと考えると、”new blood”ではなく、
組織に必要なのは”strange blood”ではないか、ということが頭に浮ぶ。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その9)

スイングジャーナルはおわった、と書いたことに異論・反論を抱いた方が多いのか少ないのか、
まったく見当がつかない。
私にとってスイングジャーナルはジャズ雑誌ではなくて、ジャズ・オーディオ雑誌だった。
ジャズ雑誌としてスイングジャーナルはおわっていなかったのかもしれないが、
ジャズ・オーディオ雑誌としては、岩崎先生が亡くなられたことでおわった、と言い切ろう。

スイングジャーナルのオーディオのページは、なにも岩崎先生ひとりだけが書かれていたわけではない。
菅野先生、瀬川先生、山中先生、上杉先生、長島先生、それにときどき黒田先生も登場されていたし、
ほかの方々もおられた。
岩崎先生はそのなかのひとりだろう、そのひとりがいなくなったからといって、
ジャズ・オーディオ雑誌としてのスイングジャーナルがおわるわけはないだろう。
編集部に変化はなかっただろうし、どれだけ岩崎氏がすごい存在であったとしても、
筆者・編集者をふくめて組織というものはそういうものではないはず──。

本来、「組織」とはそういうものでなければならないはず。
それでも一読者としてスイングジャーナルをジャズ・オーディオ雑誌として読めば、
やはり岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった、というところにたどりつく。

スイングジャーナルにとって、いいかえればジャズ・オーディオにとって岩崎千明という存在について、
スイングジャーナルのその後の変化をみた者としては、なんだったのかを、いま、きちんと見直していく必要がある。

ジャズ雑誌としてのスイングジャーナルについて、私はあれこれいえる資格はない。
ジャズの熱心な聴き手ではないし、ジャズ雑誌・スイングジャーナルの熱心な読者でもなかったから。
これは言い訳半分でもあるし、
だからこそジャズ・オーディオ雑誌としてスイングジャーナルをみることができた、ともいえる。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その8)

1970年代のスイングジャーナルのオーディオのページを読んでいて、
そして岩崎先生、菅野先生、それにときどき瀬川先生が参加される座談会を読み、
facebookページ「オーディオ彷徨」のための入力作業を行っているときに思っているのは、
菅野先生の著書「音の素描」の入力作業のときと同じことを感じて、思っている、ということだ。

これはほんとうに20年前、30年前、40年前に書かれた文章、行われた座談会なのだろうか、
と多くの人が思うのではなかろうか。
そこで問題提起されたことは、示唆的なことは、じつはそのまま現在にもほぼ(というよりもそっくり)あてはまる。
オーディオが抱えてきた問題は、じつのところ、なにひとつ変っていない、どころか、
むしろ昔はそういうことがきちんと語られていたのに、いまはどうだろう……。

問題は解決した、という認識なのだろうか、それともただ目をそむけているのか。
もしかするとただ気づいていないだけなのかも……。

すべてがそうだといっているのではない。
明らかに古いと感じさせるところもある。
それにしても、そうでない、むしろいまこそ多くの人に読んでほしいと思えるところが随所にある。
そして密度が濃い。

読み終れば、必ずいくつか心に刻まれる言葉と出くわすはず。
そして考えさせられることにも出会える。

つまり、おもしろい。
そのおもしろさは、つまりは人に通じる。
オーディオのおもしろさは、オーディオ機器のおもしろさだけだろうか。
オーディオ機器のおもしろさは認める。
だが、ほんとうにおもしろいのは、つねに人でしかない。

だから岩崎千明がいなくなり、スイングジャーナルはおわった。

Date: 1月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

公開対談について(その7)

1982年以降、ステレオサウンドで働くようになってからは、
編集部で毎号購入していたのか、それともスイングジャーナル社から届いていたのか、
そのへんは曖昧になってしまったが、毎号読むことはできた。
といっても、しっかり読むというよりも、目を通す、という感じだった。

岩崎先生は1977年3月に亡くなられている。
瀬川先生は1981年11月に亡くなられている。

1982年以降のスイングジャーナルには、岩崎先生も瀬川先生も登場しない。
私がスイングジャーナルの熱心な読者でなかったのは、そういうことも関係している。

スイングジャーナルに対して、そういう読み方(というより接し方)しかしてこなかった私に、
オーディオブームの頃のスイングジャーナルはオーディオ業界に対してステレオサウンドよりも影響力があった、
と会うたびに力説するKさんがいる(ここ2年ほど会っていないけれど)。

Kさんはスイングジャーナル編集部に在籍していた人であるから、
正直なところ、彼がその話をするときは話半分で聞いていた。
私にとって、オーディオ雑誌はステレオサウンドが、ほぼすべてという10代をおくってきたから、
そこでスイングジャーナルのほうが凄かった、と力説されても、素直に頷けない。
それだけステレオサウンドには思い入れがあって読んでいたし、
スイングジャーナルに対しては、上に書いたような読者でしかなかったのだから、
Kさんと私とでは、スイングジャーナルに対する想いには大きなギャップがあって当然のことだ。

Kさんがスイングジャーナル自慢をするたびに、また始まった、と思っていた私でも、
この1年、スイングジャーナルのバックナンバー、
つまり岩崎先生が健在だったころのスイングジャーナルをまとめて読んできて、
Kさんが言っていたことは、多少オーバーなところはあったとしても、
確かにステレオサウンドよりも影響力があった部分は、確実にあっただろう、と思っている。

私がそう思うようになったのは、facebookページの「オーディオ彷徨」で公開している座談会を、
どれでもいい、数本読んでみてもらえばおわかりいただけるはず。