Archive for 11月, 2010

Date: 11月 8th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

続・瀬川冬樹氏の「本」

昨日(11月7日)は、このブログを読み続けてくださっている方には説明はいらないだろうが、
瀬川先生の命日だった。

この日に、とにかく間に合わせるために瀬川先生が書かれたものをできるだけ多くまとめたものを公開したい、
そう思ったのが7月末だった。
これに集中するために、8月で仕事をやめて、最初のうちは独自の記事を加えたものを、
この日までにつくりあげるつもりでいたけれど、
以前書いたようにやっていく途中で構想がふくれあがり、今回は第一弾として公開した。

この二ヵ月はずっと入力作業をしてきた。
じつは今回公開したもの以外にも入力したものはある。
対談、座談会での発言も入力しているし、未発表原稿もじつは入力が済んでいる。
ただ未発表原稿に関しては、どうしても判読できない文字が2、3あって、
それに元の原稿と同時に表示できるようにしたい、とか、そういう想いがあって、今回は発表済みのものだけにした。

結局、10年前に audio sharing をつくったときと同じことをやっていた。
audio sharing を公開して、しばらくしたころからPalmが流行ってきた。
私が最初に買ったのはHandspringのもの。
まだモノクロ画面の、Macでいえば漢字Talk6を思い出させるインターフェースで、
じつはこのとき、Palmの中に瀬川先生、五味先生の文章を収めていた。

audio sharing をつくっておきながら、こんなことを言うのもなんだが、
やはりパソコンの画面で読むことに、なにがしかの、小さな異和感があった。
馴れの問題だけでは片づけられないことで、だから画面が小さくても文字の表示品質は劣っても、
Palmで読んでみたいと思った。

でも、当時のPaimでは、私にとっては、読む、というよりも、
ただ瀬川先生、五味先生の文章を持ち歩けるということだけの満足にとどまっていた。
そのあとにカラー表示のPalmも買った。でも同じだった。

いつか、手にとって読める日がくることを、このときから待っていた。

audio sharing を公開してからちょうど10年目の今年、iPadが発表・発売された。
これだ、と感じた。

友人、知人からは、「iPadって、iPod touch(iPhone)が大きくなっただけでしょ?」ときかれた。
そういうところはあるけれど、そのサイズがの違いこそ、私がずっと待ち望んでいた。
目的に適した大きさは存在する。iPadのサイズが理想なのかどうかはおいておくとしても、
少なくとも、私にとって、瀬川先生、五味先生の文章を読むのに適した大きさである。
(個人的には7インチiPadよりも、もうすこし大きめのモノがほしい)

今回、電子書籍(EPUB形式)に仕上げる作業にとりかかったのは、11月にはいってからだった。
途中途中でどんな感じに仕上るのかを確認することは一度もやらず、
とにかく仕上げたあとにはじめてiPadにインストールした。11月7日の午前3時近くになっていた。

今回のは第一弾ということで、やっている私には、達成感はなかった。
とりあえず、ここまでできた、という感じだけだった……。

でも、iPadに表示してみると、手にとってそれを読みはじめたら、達成感とは違うけれど、
なにか実感がわいてきた。手にとって読んでいる、という実感がたしかにある。

じつは昨日、櫻井さん(瀬川先生の妹さん)から荷物が届いた。
そのなかに、瀬川先生が愛用されていたであろう革製の鞄がはいっていた。
見た瞬間、iPadがおさまる、と思った。実際に、ぴったりの大きさだった。

瀬川先生の文章をおめさたiPadが、瀬川先生の愛用されていた鞄のなかにおさまる。

Date: 11月 7th, 2010
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏の「本」

瀬川先生の「」(電子書籍)を公開しました。
EPUB形式ですので、iPadで読めます。

今回の「本」は第1弾であり、いわば予告的なものです。
いままで入力してきた瀬川先生の文章の大半を、一冊にまとめてあります。
いまiPadで見てみたところ、4000ページをこえています。

そのためか、ページをめくるのは問題ないのですが、
目次のページのスクロールが、かなりもっさりした感じです。

タイトルだけのページもありますが、ひたすらテキストだけの「本」です。
時間の関係で、写真・図版・グラフはいっさい掲載していません。
これらに関しては、来春以降に予定している第3弾にてまとめるつもりです。

いいわけになりますが、時間の関係で、校正が不十分のままです。
変換ミス・誤入力など気づかれましたら、ご連絡いただければ助かります。

またざっとiPadで見たところ、半角スペースをいれたところで、字間がひらきすぎて、
一部見苦しいところがあります。

とにかく今回のものをベースにして、来春発行予定の第3弾はきちんとします。
ただ、フォーマットに関しては変更する可能性もあります。

第2弾は、1月10日に公開します。
今回の「本」の増強版になります。

私の手もとには、瀬川先生のみ発表原稿、企画書、試聴メモ、写真、デザイン・スケッチなどがあります。
これらの公開は、第3弾にて行ないます。

Date: 11月 6th, 2010
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その3)

こちらの4ウェイは、3ウェイにスーパートゥイーターを追加した、いわば3.5ウェイ的な構成ともいえる。
フルレンジから構想がはじまる4ウェイと区別するために、こちらのほうは3.5ウェイと呼ばせてもらう。

この3.5ウェイの中域は、先に書いたように2420と2397ホーンの組合せ。
ここで疑問がひとつある。

2397は、2440にしろ2420にしろ、そのままでは取りつけられない。
スロートアダプターが必要とする。
2420だと、たしか2328というスロートアダプターを使う。
2420だと、この2328に、さらに2327という中型のものを用意しなければならなかったはずだ。

とうぜん、このことは瀬川先生はご存知だったはず。
スロートアダプターを2段重ねにしてまで、の2420の選択なのか。

ウーファーとのクロスオーバー周波数は800Hz。2420でもホーンが2397だから問題はないだろうけど、
より大型のダイアフラムの2440のほうが、より安心して使える、という心理的な面もある。

しかもウーファーは2231Aを2本使うという構想だから、
頭の中で考えるかぎりは、2440が向いているに決っている。

なのに2420である。
なにも価格の制約がある組合せでもない。

ちなみに、当時、2420は1本91,000円。2440は150,000円していた。
でも2420にはスロートアダプター2327がさらに必要になるから、2327の分だけ価格差は縮まる。

瀬川先生は、どういう音質的なメリットから2420を選択されたのだろうか。

Date: 11月 5th, 2010
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(四季を通じて・その1)

今年の気候がとくにおかしいのか、それともこれから先、こういう気候がつづいていくのか……。
そのへんのことは、わからない。
それでも、日本には、まだ四季がある。

日本でオーディオを通して音楽を聴くということは、四季を完全に無視することはできないだろう。

瀬川先生は、日本の四季に馴染ませる時間が、スピーカーの使いこなしにおいて最低限必要だといわれている。

反論をお持ちの方もいるだろう。
瀬川先生が、この発言をされた頃からすると、いまの時代の新しいマンションで、
エアコンを四六時中かけている空間(リスニングルーム)においては、四季なんて関係なくなっている。
いつも快適な温度設定と湿度設定によって、そこにはじめじめした梅雨も、空気が乾燥しきった冬、
そういった要素からはほとんど切り離されている、と。
たしにそういう生活をおくっている人もいる。
そういう人のスピーカーでも、四季は、別の意味である。

常に一定の温度と湿度の部屋から一歩も出ないで生活できる人は別だが、少なくとも人は外出する。
暑い日もあれば寒い日もある。外には、まだまだ四季がある。

そういうふうにでも四季を感じていれば、聴きたいと思う音楽は、1年のうちで自然と変化していくはず。
暑い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽と、
寒い日に帰ってきたときに聴きたくなる音楽は、
その音楽を聴く空間はつねに快適であっても、異ってくるもの。

閉じられた空間に四季はなくなっていくのかもしれないけれど、
鳴らす音楽には四季は残っているはず。

もしそこからも「四季」がなくなっていたら、
なにか別のものを知らず知らずのうちに失っていたのかもしれない。

Date: 11月 4th, 2010
Cate: 表現する

音を表現するということ(聴く、ということ)

聴きとれない音は、自分の音として表現することはできない、と思っている。

人は、スピーカから出ている音のすべてを聴き取っているわけではないだろう。
人によって、敏感なところと鈍感なところがある。
いろんな音を聴き、音楽を聴き、音に真剣に向き合ってくることで聴きとれる音は増えてくる。
鈍いところは減ってくる。それでも、すべての音が聴きとれるわけではないはず。

うまく聴き取ることができない種類の音に対しては、自分の音として表現することは難しい。
出せないわけではない。オーディオは機器の組合せだから、それぞれの機器のもつポテンシャルのおかげで、
持主である聴き手がうまく聴き取ることのできない音も、いわば勝手に出してくれるところがある。

だから、音としては、出せる。でも出せているから、といって、表現している、とはいえないところがある。

表現する音をふやしていくためには、ひたすら聴く。聴いて、聴きとれる領域をひろげていくしかない。

そして、人が聴き取っている音は、ほんとうのところはわからない。
何度か、同じ音を聴く機会があれば、
この人は、こういうところには敏感で、鈍感なところはあのへんだな、とはなんとなく感じることはあっても、
それは私の勝手な推測でしかなくて、実のところ、わかりあえるものではない。

ただそれでも、音の空間認識に関しては、私の体験では人によってかなりの差がある、と感じている。

短期記録の場として知られている、脳の中にある海馬は、空間認知、空間記録にも関わっている、ときく。
この空間認知・記録が視覚的な情報に対してだけなのか、聴覚的な情報にも関わっているのか、
医学的なこと、専門的なことは知らないけれど、聴感にもふかく関わっているはず、という直感はある。

海馬は、新しく細胞がつくられるところだともきいている。
そして、川崎先生が以前いわれていた「ロドプシンへの直感」が、ここに関係している、そんな直感もある。

Date: 11月 3rd, 2010
Cate: コントロールアンプ像
1 msg

私がコントロールアンプに求めるもの(その7)

ブロックダイアグラムを描くということは、レベルダイアグラムをつくることでもある。

フォノイコライザーアンプにはどのくらいの入力信号が入ってくるのか。
MM型カートリッジとMC型カートリッジとでは、ずいぶん違うし、
MC型カートリッジでも、ローインピーダンス型とハイインピーダンス型とでは違う。

アンプ設計の経験をのある方には説明の必要のないことだが、
カートリッジのカタログに載っている出力電圧は、あくまでも1kHzのもの。

レコードには低音のレベルを下げ、高音のレベルは反対に高く刻まれる。
つまり低域の信号は、1kHzの信号に対して20Hzでは1/10までさがるし、
それがピアニシモだと、そのレベルはさらに低くなる。
オルトフォンのようなローインピーダンスのMC型カートリッジだと、ピアニシモの低音の電圧はほんとうに低い。
こんな低い電圧を増幅するんだ、というと感心とともに、ほんとうにきちんと増幅できるだろうかと疑問のわく値だ。

高域は、それもフォルティシモ時の電圧となると、低音のピアニシモに対してひじょうに高い値。
それぞれがどのくらいの値になるのかは、ご自身で計算してみるのがいい。

とにかく微小レベルの信号をフォノイコライザーアンプは、ラインレベルまで増幅する。
当時はまだCDが登場していなかったから、いまと較べるとライン入力感度は高い。
1970年代のコントロールアンプのライン入力の値には、100mV、250mVといった数字が多かった。
ラインアンプのゲインは、たいていは20dB(10倍)のモノが大半だった。

ラインアンプのゲインを仮に20dBとしたら、フォノイコライザーアンプのゲインも自動的に決ってくる。

いまでも大半がそうだが入力セレクターのあとにボリュウムがあり、ラインアンプという構成になっている。
ラインアンプの手前で信号は減衰させられるわけだ。
ここで40dBも絞ったら、ラインアンプへの入力信号は1/100になる。
増幅する前に信号を減衰させて……、というのは不合理にしか思えない。
だからといってラインアンプの出力にボリュウムを設ければ、それで解決でもない。

ならばラインアンプの出力にボリュウムをおいて、
そのあとにゲイン0dBのバッファーをおけば、ということも考えていた。

Date: 11月 2nd, 2010
Cate: 瀬川冬樹, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(番外)

瀬川先生とグッドマンのAXIOM80について、いつか書きたいと思っているが、
今日、ステレオサウンド 62号をめくっていて気がついたことがある。

瀬川先生がAXIOM80のためにUX45のシングルアンプをつくられたことは知られている。
     *
暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンプを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80のほんとうの音だと、私は信じている。
     *
ステレオサウンド 62号には、上杉佳郎氏が「プロが明かす音づくりの秘訣」の3回目に登場されている。
そのなかで、こう語られている。

「試みに裸特性のいい45をつかってシングルアンプを作って鳴らしてみたら、予想外の結果なんです。
AXIOM80が生れ変ったように美しく鳴るんです。」

45のシングルアンプが、ここにも登場してくる。

瀬川先生の先の文章につづけて書かれている。
     *
誤解しないで頂きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたまよい音で鳴ったというだけの話である。
     *
出力管に UX45を使えば、それでシングルアンプを組めさえすれば、
AXIOM80に最適のアンプができ上がるわけでないことはわかっている。
どんな回路にするのか、どういうコンストラクションにするのか、配線技術は……、
そういったことがらも有機的に絡んできてアンプの音は構成されている。

それでも45のシングルアンプ、いちど組んでみたい気にさせてくれる。

Date: 11月 1st, 2010
Cate: 音楽性

AAとGGに通底するもの(その12)

演奏者は作曲者の息吹をつたえる。
作曲者は……というと、ベートーヴェンにおいては神の息吹だろう。

ベートーヴェンは神の息吹をつたえてくれる。
神の息吹は、ときとして神の鼓動にもなり、「聲」にもなる……。

私はまだそう思うだけだが、
五味先生はベートーヴェンに神の息吹を感じておられたのだろう。
だからカラヤン(モノーラル時代の演奏をのぞいて)を、あれだけ否定された、そんな気がしてならない。