続・瀬川冬樹氏の「本」
昨日(11月7日)は、このブログを読み続けてくださっている方には説明はいらないだろうが、
瀬川先生の命日だった。
この日に、とにかく間に合わせるために瀬川先生が書かれたものをできるだけ多くまとめたものを公開したい、
そう思ったのが7月末だった。
これに集中するために、8月で仕事をやめて、最初のうちは独自の記事を加えたものを、
この日までにつくりあげるつもりでいたけれど、
以前書いたようにやっていく途中で構想がふくれあがり、今回は第一弾として公開した。
この二ヵ月はずっと入力作業をしてきた。
じつは今回公開したもの以外にも入力したものはある。
対談、座談会での発言も入力しているし、未発表原稿もじつは入力が済んでいる。
ただ未発表原稿に関しては、どうしても判読できない文字が2、3あって、
それに元の原稿と同時に表示できるようにしたい、とか、そういう想いがあって、今回は発表済みのものだけにした。
結局、10年前に audio sharing をつくったときと同じことをやっていた。
audio sharing を公開して、しばらくしたころからPalmが流行ってきた。
私が最初に買ったのはHandspringのもの。
まだモノクロ画面の、Macでいえば漢字Talk6を思い出させるインターフェースで、
じつはこのとき、Palmの中に瀬川先生、五味先生の文章を収めていた。
audio sharing をつくっておきながら、こんなことを言うのもなんだが、
やはりパソコンの画面で読むことに、なにがしかの、小さな異和感があった。
馴れの問題だけでは片づけられないことで、だから画面が小さくても文字の表示品質は劣っても、
Palmで読んでみたいと思った。
でも、当時のPaimでは、私にとっては、読む、というよりも、
ただ瀬川先生、五味先生の文章を持ち歩けるということだけの満足にとどまっていた。
そのあとにカラー表示のPalmも買った。でも同じだった。
いつか、手にとって読める日がくることを、このときから待っていた。
audio sharing を公開してからちょうど10年目の今年、iPadが発表・発売された。
これだ、と感じた。
友人、知人からは、「iPadって、iPod touch(iPhone)が大きくなっただけでしょ?」ときかれた。
そういうところはあるけれど、そのサイズがの違いこそ、私がずっと待ち望んでいた。
目的に適した大きさは存在する。iPadのサイズが理想なのかどうかはおいておくとしても、
少なくとも、私にとって、瀬川先生、五味先生の文章を読むのに適した大きさである。
(個人的には7インチiPadよりも、もうすこし大きめのモノがほしい)
今回、電子書籍(EPUB形式)に仕上げる作業にとりかかったのは、11月にはいってからだった。
途中途中でどんな感じに仕上るのかを確認することは一度もやらず、
とにかく仕上げたあとにはじめてiPadにインストールした。11月7日の午前3時近くになっていた。
今回のは第一弾ということで、やっている私には、達成感はなかった。
とりあえず、ここまでできた、という感じだけだった……。
でも、iPadに表示してみると、手にとってそれを読みはじめたら、達成感とは違うけれど、
なにか実感がわいてきた。手にとって読んでいる、という実感がたしかにある。
じつは昨日、櫻井さん(瀬川先生の妹さん)から荷物が届いた。
そのなかに、瀬川先生が愛用されていたであろう革製の鞄がはいっていた。
見た瞬間、iPadがおさまる、と思った。実際に、ぴったりの大きさだった。
瀬川先生の文章をおめさたiPadが、瀬川先生の愛用されていた鞄のなかにおさまる。