Archive for 11月, 2008

Date: 11月 11th, 2008
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その1)

川崎和男の名前を知ったのは、1991年9月ごろだったと記憶している。

当時、MacのClassic IIを使いはじめたばかりの私は、Mac関係の雑誌をすべて買っていた。
MacPower、MacLife、MacJapan、MacWorldである(いまはどれもない)。

Macに関して何の知識もなかったので、手当たり次第、読んでいた。
そして出会ったのが、川崎先生の連載「Design Talk」だった。

正直、書いてあることの半分も理解できなかった。
それでも、「この人はすごい」と直感でわかった。

「Design Talk」というタイトルの下に、ドリームデザイナー/川崎和男、とあった。

他の人が使っていたら、陳腐に感じていただろう。
でも、本文を読み終わると、とてもカッコよく感じたのを思い出す。

Date: 11月 11th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー
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現代スピーカー考(その18)

#105の2年ほどあとに登場した303というブックシェルフ型スピーカーは、
ペアで12万4千円という、輸入品ということを考えれば、かなりのローコストモデルだ。

20cm口径のコーン型ウーファーとメリネックス振動板のドーム型トゥイーターで、
エンクロージュアの材質は、木ではなく、プラスチック樹脂。
外観はグリルがエンクロージュアを一周しているという素っ気無さであり、
合理的なローコストの実現とともに、製造時のバラツキの少なさも考慮された構成だ。

303の音は、当時、菅野先生と瀬川先生が高く評価されていた。
たしかおふたりとも、ステレオサウンド 55号(ベストバイの特集号)で、
マイベスト3に選ばれている。

こういうスピーカーは、従来の、技術者の勘や経験を重視したスピーカーづくりではなしえない。
理知的なアプローチと、それまでのスピーカーづくりの実績がうまく融合しての結果であろう。
#105の誕生があったから生れたスピーカーだろうし、
303も優れた現代スピーカーのひとつだと、私は思う。

瀬川先生が書かれていたように、303のようなローコスト設計を日本のメーカーが行なえば、
もっと安く、それでいて、まともな音のするスピーカーをつくれただろう。

Date: 11月 11th, 2008
Cate: 105, KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その17)

KEFの#105が日本であまり芳しい売行きでなかったのは、
なにも上にモノを乗せられないばかりではないと思う。

#105と同時期のスピーカーといえば、価格帯は異るが、JBLの4343があり、爆発的に売れていた。
#105と同価格帯では、QUADのESL、セレッションのDitton66(662)、
スペンドールBCIII、ダイヤトーンの2S305、タンノイのアーデン、
すこし安い価格帯では、ハーベスのMonitor HL、スペンドールBCII、JBLの4311、
BOSEの901、パイオニアのS955などがあった。

これらのスピーカーと比較すると、#105の音色は地味である。
現代スピーカーの設計手法の先鞭をつけたモデルだけに、周波数バランスもよく、
まじめにつくられた印象が先にくるのか、
魅力的な音色で楽しく音楽を聴かせてくれる面は、薄いように思う。
もちろんまったく無個性かというと決してそうではなく、
昔から言われるように、高域に、KEFならではの個性があるが、
それも#104に比べると、やはり薄まっている。
それにちょっと骨っぽいところもある。

もっともKEFが、そういうスピーカーづくりを嫌っていただろうから、
#105のような性格に仕上がるのは同然だろうが、
個性豊かなスピーカー群に囲まれると、地味すぎたのだろう。
少なくとも、いわゆる店頭効果とは無縁の音である。

店頭効果で思い出したが、
上にモノが乗せられないことは、オーディオ店に置いてもらえないことでもある。
当時のオーディオ店では、スピーカーは山積みで展示してあり、
切換スイッチで、鳴らしていた。
#105のスタイルは、オーディオ店でも嫌われていた。

おそらく、このことは輸入代理店を通じて、KEFにも伝えられていたはず。
それでも、KEFは、スタイルを変えることなく、105.2、105.4とシリーズ展開していく。

Date: 11月 11th, 2008
Cate: 105, KEF, LS3/5A, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その16)

推測というよりも妄想に近いとわかっているが、#105のスタイルを、
レイモンド・クックは、LS3/5A+ウーファーという発想から生み出したように思えてならない。

LS3/5Aに搭載されているスピーカーユニットはKEF製だし、KEFとBBCの関係は深い。
時期は異るが、KEFからもLS3/5Aが発売されていたこともある。

#105は、セッティングを緻密に追い込めば、精度の高い音場再現が可能だし、
内外のスピーカーに与えた影響は、かなり大きいといえるだろう。

にも関わらず、少なくとも日本では#105は売れなかった。

#105は、より精度の高さを求めて、105.2に改良されている。
もともとバラツキのひじょうに少ないスピーカーではあったが、105.2になり、
全数チェックを行ない、標準原器と比較して、
全データが±1dBにおさまっているモノのみを出荷していた。

またウーファーの口径を30cmから20cmの2発使用にして、
ウーファー・エンクロージュアを小型化した105.4も出ていた。
ということは、#105はKEFにとって自信作であり、主力機でもあったわけだが、
日本での売れ行きはサッパリだったと聞いている。

この話をしてくれた人に理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「(スピーカーの)上にモノが乗せられないから」らしい。
いまでは考えられないような理由によって、である。

Date: 11月 11th, 2008
Cate: 105, KEF, LS3/5A, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その15)

KEFの#105の写真を見ていると、LS3/5Aにウーファーを足したスタイルだなぁ、と思ってしまう。

スコーカーは10cm口径のコーン型で、
トゥイーターはT27でこそないが、おそらく改良型といえるであろうソフトドーム型。
これらを、ただ単にウーファーのエンクロージュアに乗せただけではなく、
左右上下に角度調整ができる仕掛けがついている。

#105の、見事な音像定位は、LS3/5Aの箱庭的定位に継がっているようにも思えてくる。
LS3/5Aも、#105の中高域部と同じように、仰角も調整して聴いたら、
もっと精度の高い、音の箱庭が現われるのかもしれない。
LS3/5Aを使っていたときには、仰角の調整までは気がつかなかった。

セレッションのSL600を使っていたときに、カメラの三脚の使用を検討したことがある。
スピーカーの仰角も、左右の振り、そして高さも、すぐ変更できる。
いい三脚は、ひじょうにしっかりしている。

スピーカーのベストポジションを見つけたら、そこからは絶対に動かさないのと対極的な聴き方になるが、
被写体に応じて、構図やカメラのピントを調整するように、
ディスクの録音に応じて、スピーカーのセッティングを変えていくのも、ありではないだろうか。

Date: 11月 10th, 2008
Cate: Glenn Gould

グールドの椅子

グレン・グールドが、終生愛用した、父親製作の折畳み式の椅子。
2年前、そのレプリカが、フランスで作られ、現在購入できる。
990ユーロ+送料で、世界中に配送してくれる。
The Glenn Gould Chair

1991年だったか、カナダ大使館で開催された「グレン・グールド1988」展。

グールドが亡くなった翌年(1983年)に、カナダ国立図書館に寄贈された遺品は、
25万点以上あり、その整理に時間がかかり、カナダで最初に開かれたのが1988年。

日本での公開は3年後で、約200点が展示されていた。
平日とはいえ、会場はガラガラだった。
日本でのグールドの人気を考えると、信じられないくらいの人の少なさ。

椅子も展示されていた。

グールドの晩年、椅子の状態は相当にボロボロの状態だったと話はきいていたが、
実物は想像以上にひどかった。
「こんなのに座っていたの?」というぐらいに。

その椅子のレプリカ──。

グールドがその椅子に座り、ピアノ(音楽)と向き合ったように、
この椅子に坐ったからといって、グールド的リスナーになれるわけでもないけれど、
グールドの演奏を聴くときには、この椅子で、と思う。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その3)

グレン・グールドが語っている。
     *
地理的ギャップというものもある。東へ行くほど、レコードは録音によるコンサート効果をねらっていることがわかる。もちろんさらに遠く日本にでも行けば、西欧化されたコンサート・ホールの伝統による禁忌などはとりたててないから、レコーディングはレコーディング独特の音楽経験として理解されている
     *
グールドは日本に来たことはないはずなのに、
なぜ、日本でのレコードの聴かれ方について、こう認識しているのだろうか。
少なくとも、この言葉は、レコードをコンサート代用品とか、
カンヅメ音楽といって軽視している人たちのことではなく、
オーディオにつよい関心をもっている人たち、
菅野先生が提唱される、レコード演奏家そのものであろう、というより、であると断言していいだろう。

「日本のオーディオはアメリカのハイエンドに比べると10年くらい遅れている」
という発言をしている人を、ときおりネットでみかけると、かなしくなる。

グールドの全CDやDVDが手に入り、多くの関連書籍が読めるその日本から、
グレン・グールド的リスナー(インタラクティブで創造的な聴き手)が出てきても不思議ではないのに、
と思っているからだ。

グールド的リスナーからの視点による、オーディオの機能性を語れれば……と思う。
1993年に「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」という拙文を書いた。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 川崎和男, 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その2)

2002年夏、TEPCO銀座館プラスマイナスギャラリーで開催された
「ヒューマン・センター・デザインの視展(ユニバーサルデザインを超えて)」の会場で、
設置されていたモニターでは、デザインの「機能性、性能性、効能性」について、川崎先生が語られていた。

オーディオの「機能性、性能性、効能性」──。
オーディオマニアが音について語るのも、
オーディオ雑誌が、オーディオ機器の評価をするのも、
オーディオの「性能性」のところであろう。
音がどんなふうによいのか、どれだけよいのか、という性能性についてである。

80年代からオーディオは斜陽産業と言われてきた。
なぜそうなったのかは、いろんなことが絡みあってのことだろうが、
そのひとつの理由が、オーディオに関心のある人たち、プロもアマチュアも、
オーディオの性能性ばかりについて語ってきたためだと思う。

オーディオ好きな人に対しては、それで十分だろうが、
音楽が好きだけど、オーディオにはさほど、もしくはまったく関心のない人たちに対して、
オーディオの性能性ばかりを伝えても、大半のひとは振り向いてくれない、と思っていい。

いい音を聴くためだけに、少なくとも数十万円、できれば百万円以上、
さらに上には一千万円以上必要なんて、と思われてしまってもむべなる哉。

エジソンが蝋管によるアコースティック蓄音器を発明したのをオーディオの始点としても、
オーディオの機能性は発展は多岐にわたり、素晴らしいものだと思う。

蝋管が円盤になり、複製が容易になり、取り扱いも楽になったことも、機能性に関することである。
そして蓄音器がアコースティック式から電気式になり、音量の調整が可能になり、モノーラルからステレオになり、
低音、高音だけの増減だけのトーンコントロールから、
パラメトリックイコライザー、グラフィックイコライザーなども登場し、
デジタル技術が、さらなる機能性をもたらしている。

オーディオの機能性の魅力を把握してこそ、
個人個人のオーディオの世界は広がりを増すだろうし、
これまで、音楽は好きだけど、なぜかオーディオに関心をもってくれなかった人たちに、
オーディオの機能性を、正しく伝えること、説明することは重要なことである。

Date: 11月 9th, 2008
Cate: 提言

いま、そしてこれから語るべきこと(その1)

金曜の夜、「瀬川冬樹氏のこと」その17と18を公開して、
ほぼ1時間後に傅さんから電話をいただいた。

「読んでいたら、ほろっとくるものがあって、それを伝えたくて」ということだった。
つづけて、「ぼくらが大事にしてきたことは、こういうことなんだよなぁ」とも言われた。
約1時間、あれこれ、オーディオについて話していた。

いまインターネットの普及で、誰でも簡単にいつでも、言いたいことを発信できる。
そこにプロとアマチュアの境界線はなくなりつつある、曖昧になりつつある。
本とは異り、編集者不在の発言。そして匿名でも発言できる。

そして、その発言への評価はアクセス数によって決っていく、とも言えよう。
時価総額で企業を判断するのに似ているような気もする。

傅さんとの話が終った後、
いまの時代、ひとりのオーディオマニアとして語るべきことは、なんだろうと考えてしまった。

言葉を尽くして語っていくことだけは、忘れてはならない。

Date: 11月 8th, 2008
Cate: よもやま

意外と汚れているのかも

テレビを持っていないので、DVDを観る時は、すこし古めのパソコンを使っている。
そのせいもあるのだろうが、信号面は、見た目キレイなのに、
どうしても読み込めないディスクが、たまにある。

CDでも同じことを体験している。
やはりすこし古めのCDプレーヤーだと、TOCを読めなかったり、かなり時間がかかるものがある。

そんなときディスクをクリーニングすると、何の問題もなく読み込む。
もっとも、そういうCD、DVDも、新しいプレーヤーだと、別にクリーニングしなくても大丈夫。

CDが登場したときに、ディスク表面には、プレス時の離型剤が完全に取り除かれているわけでなく、
わずかに残っていて、それがピックアップに影響をおよぼすと言われていた。

各社からクリーナーが登場し、なかには超音波クリーナーもあった。

5年ほど前、J-WAVEの番組で、オーストラリアの博士が、
CDにビールをかけると音が良くなる、と電話インタビューで話していたのを聞いたこともある。

数年前に購入したクラシックのCDに、
接着剤のカスのようなものが、がんこに付着していたことが2度続けてあった。

意外と汚れているのかもしれない、と最近思っている。

ディスクではないが、コンデンサーや抵抗、トランジスターなどの電子パーツのリード線も、
意外に汚れているものがある。汚れの有無で、ハンダのノリが違ってくる。

Date: 11月 7th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 菅野沖彦

瀬川冬樹氏のこと(その18)

瀬川先生への追悼文の中で、菅野先生は
「僕が高校生、彼は僕より三歳下だから中学生であったはずの頃、
われわれは互いの友人を介して知り会った。いわば幼友達である。」と書かれている。

菅野先生は1932年9月、瀬川先生は1935年1月生まれだから、学年は2つ違う。
ということは、菅野先生が高校一年か二年のときとなる。

けれど、去年の27回忌の集まりの時、菅野先生が、
「瀬川さんと出会ったのは、ぼくが中学生、彼が小学生のときだった」と話された。
みんな驚いていた。私も驚いた。

27回忌の集まりは、二次会、三次会……五次会まで、朝5時まで6人が残っていたが、
「さっき菅野先生の話、びっくりしたけど、そうだったの?」という言葉が、やっぱり出てきた。

それからしばらくして菅野先生とお会いしたときに、自然とそのことが話題になった。
やはり最初の出会いは、菅野先生が中学生、瀬川先生が小学生のときである。
「互いの友人」とは、佐藤信夫氏である。
「レトリックの記号論」「レトリック感覚」「レトリック事典」などの著者の、佐藤氏だ。

佐藤氏の家に菅野先生が遊びに行くと、部屋の片隅に、いつも小学生がちょこんと正座していた。
大村一郎少年だ。いつもだまって、菅野先生と佐藤氏の話をきいていたとのこと。

何度かそういうことがあって、菅野先生が佐藤氏にたずねると、紹介してくれて、
音楽の話をされたそうだ。いきおい表情が活き活きとしてきた大村少年。
けれど3人で集まることはなくなり、菅野先生は高校生に。
ある日、電車に乗っていると、「菅野さんですよね?」と声をかけてきた中学生がいた。
中学生になった大村少年だ。

「ひさしぶり」と挨拶を交わした後、
「今日、時間ありますか。もしよかったら、うちの音、聴きに来られませんか。」と菅野先生をさそわれた。

当時はモノーラル。アンプもスピーカーも自作が当然の時代だ。
お手製の紙ホーンから鳴ってきた音は、
「あのときからすでに、オームの音だったよ、瀬川冬樹の音だった」。

瀬川冬樹のペンネームを使われる前からつきあいのある方たち、
菅野先生、長島先生、山中先生、井上先生たちは、大村にひっかけて、
オームと、瀬川先生のことを呼ばれる。
瀬川先生自身、ラジオ技術誌の編集者時代、オームのペンネームを使われていた。

菅野先生と瀬川先生の出会い──、
人は出会うべくして出逢う、そういう不思議な縁があきらかに存在する。ほんとうにそう思えてならない。

Date: 11月 7th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その17)

今日で、瀬川先生が亡くなられて27年経つ。1年前は、27回忌だった。

26年という歳月は、
人が生れ、育ち、結婚し、子どもが生れ、家庭を築くにも十分な、そういう時間である。
当時、瀬川先生より若かった人も、いまでは瀬川先生の年齢をこえている。

熊本のオーディオ店での瀬川先生のイベントに毎回かかすことなく通っていただけでなく、
毎回一番乗りだったし、最初のころは学生服で行っていたこともあり、顔を覚えてくださっていた。

私がステレオサウンドに入ったとき、すでに亡くなられていた。瀬川先生と仕事をしたかった、
と、思っても仕方のないことを、いまでも思う。

そんな私が、27回忌の集まりの幹事をやっていいものだろうか、
私がやって、何人の方が集まってくださるのか、そんなことも思っていた。

おひとりおひとりにメールを出していく。
メールを受けとられた方が、他の方に声をかけてくださった。

オーディオ関係の仕事をされている方にとって、この時期はたいへん忙しい。
にもかかわらず、菅野先生、傅さん、早瀬さんをはじめ、
瀬川先生と親しかった輸入商社、国内メーカーの方たち、
ステレオサウンドで編集部で、瀬川先生と仕事をされた方たち、
サンスイのショールームの常連だった方たち、
みなさんに連絡するまでは、数人くらいの集まりかな……、と思っていたのに
多くの方が集まってくださった。

幹事の私でも、初対面の方がふたり、
約20年ぶりにお会いする方がふたり、数年ぶりという方がふたり。

「おっ、ひさしぶり」「ご無沙汰しております」という声、
「はじめまして」という声と名刺交換が行なわれてはじまった集まりが、
26年の歳月を感じさせず、盛り上がったのは、みんなが瀬川冬樹の熱心な読者だからであろう。

集まりの最後、菅野先生が仰った、
「みんなの中に瀬川冬樹は生きている」

みんなが、この言葉を実感していたはず。

Date: 11月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹

11月6日(2年前)

2年前の11月6日、そのころはmixiに登録していたので、そこそこ利用していた。
mixi内に瀬川先生のコミュニティがあるのは知っていたが、参加者も少なく、
発言もほとんどないので登録することはなかったが、
この日は、ふと、もしかして、と思いがあって、のぞいてみた。

参加者がひとり増えていることに気がついた。
そして、その人のハンドルネームと写真(加工してあったが)を見て、
すぐに「あっ、Kさんだ」と気がついた。

ステレオサウンドにも、スピーカーの自作記事を書かれていたし、
資料的価値の高いイラストも描かれていた人で、
瀬川先生のデザインのお弟子さんだ。

ステレオサウンドを辞めて以来だから、ほぼ20年ぶり。
さっそくmixiを通じてメッセージを送った。
Kさんの連絡先はわからなくても、mixiに登録しているだけで連絡がとれる、ありがたい。
返事がとどいた。憶えていてくださった。

それから、Kさんを通じて、サンスイに勤務されていて、
西新宿にあったショールームで、
瀬川先生、菅野先生のイベントを企画されていたNさんの連絡先もわかった。

それから2ヶ月後には、やはりmixiを通じて、
オーデックスに勤められていたYさんとも連絡がとれた。

みなさん、瀬川番と呼ばれていた方たちだ。

インターネットの普及と、その力のおかげだが、不思議なものである。

明日、11月7日は立冬。
瀬川冬樹先生の命日だ。

Date: 11月 5th, 2008
Cate: サイズ, 傅信幸

サイズ考(その27)

ワトソン・オーディオのModel 10の外形寸法は、横幅60×高さ120×奥行き55cmである。

全体の構成は、横幅60×高さ40×奥行き55cmほどのエンクロージュアの上に、薄い衝立が立っている。
5ウェイで、ウーファー(20cm口径を2発)をエンクロージュアにおさめ、
上の帯域のユニットは、衝立に取りつけられている。
ダルキストのDQ10に、このへんのつくりは似ている。
ウーファー部分だけ、サブウーファー単体として発売されていた。

>Model 10の公称周波数特性は、17〜25000Hz(±5dB)である。
ウーファー部分を、単体のサブウーファーとして発売するのも頷けるレンジの広さである。
しかもさほど大きいサイズでもない。
板厚が不明なので内容積は正確にはわからないが、70リットル前後か。
ブックシェルフ型スピーカー程度の大きさだ。

このウーファー・エンクロージュアには、ヘリウムガスを封入されていた。
ヘリウムガスの音速は、通常期空気のおよそ1/3程度だ。
つまり内容積は、縦・横・奥行きがすべて3倍になるため、3の3乗で27倍に相当する、
というのがワトソン・オーディオの説明であり、特許を取得していたはずだ。

70リットルとして、27倍となると、1890リットル。
壁にユニットを取りつけて、隣室をエンクロージュア代わりに使うようなものだ。

残念ながら、このスピーカーも実物を見たこともない。

けれど、ステレオサウンドにいたころ、傅 信幸さんの試聴中に、なにかのきっかけで、
このスピーカーの話になったときに、
「あのスピーカーの、低音はすごかった、新品の時はね。」

やはりヘリウムガスが、どうしても抜けてくる。
エンクロージュア内部にはビニールを使うなどして、もちろん工夫してあったのだが、
完全な密閉構造は、たやすくない。

ヘリウムガスが抜けてしまった後の音は、
「ふつうの、あのサイズのスピーカーの低音」だそうだ。

とはいえ、このスピーカーの指向しているものは、いまでも興味深い。

Date: 11月 4th, 2008
Cate: サイズ

サイズ考(その26)

1980年ごろ、日本に一時期輸入されたブランドに、ワトソン・オーディオがある。
クレルを創立する前に、ダニエル・ダゴスティーノが在籍していたことや、
ガス入りのコンデンサー型スピーカー、XG8を開発したカナダのデイトンライトのグループ企業である。

XG8は、ガスを入れることでコンデンサー型スピーカーの弱点である耐入力を改善するとともに、
フルレンジの8枚のパネルを上下に4枚ずつ配置。それぞれに角度を持たせることで、
たしか斜め方向への指向性を強くしていたように記憶している。
ステレオ再生に求められる指向性を研究しての結果らしい。
残念ながら、実物を見たこともないので、どんなふうに音場感が展開するのかは不明。

コントロールアンプのSPSも、奥に長いシャーシで、リアパネルのラッチを外すと、
シャーシ全体が二分割されるという、メインテナンスに配慮した構造を持っていた。

それから、この時代にめずらしい、本格的なヘッドフォンアンプも製品化していたはずだ。

そういう、他社の製品とは、どこか一味違う製品をつくっていた会社のもうひとつのブランド、
短命で終ったものの、ユニークなスピーカーだった。

小型スピーカーではなく、コンパクトスピーカーと呼べる、はじめての製品かもしれない。