Archive for category テーマ

Date: 5月 22nd, 2024
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その15)

月曜日から三日連続で、野口晴哉記念音楽室に行っていた。
(その14)で書いたように、月曜日の夜おそくに、オイロダインから音が鳴ってきた。

野口晴哉氏が亡くなられたあとも、ときおり鳴らされていたと聞いている。
といっても、鳴らされなくなってかなり経っているのも事実。
どのくらいそうだったのかはわからないが、長いこと鳴らされていなかったことは確か。

今日、やっとアナログプレーヤーでの音出しだった。
26日当日のラインナップは、
スピーカーシステムがシーメンスのオイロダイン、
パワーアンプがマッキントッシュのMC275、
コントロールアンプがマランツの Model 7、
アナログプレーヤーはガラードの301に、SMEの3012R、
カートリッジはEMTのTSD15である。

トーンアームが3012Rなのことに、疑問を抱く人もいる。
3012Rは野口晴哉氏が亡くなられて四年後に登場しているからだ。

本来ガラードの301のシステムには、SMEの3012SIIが取りつけてある。
ガラードの他に、トーレンスのTD124/IIがあり、こちらもトーンアームは3012SII。
けれど故障したのか、3012Rに交換されていて、
元からついていた3012SIIは3012Rの箱にしまってあった。

ガラードの方の3012SIIも万全とはいえず、3012Rをトーレンスのほうから外してきて交換。
この作業を、今日やってきた。少しばかりの木工作業も。

Model 7とMC275も別項で触れているように、
テクニカルブレーンでのメンテナンスが施されている。

ひさしぶりに3012Rに触れて調整してきた。
ひさしぶりにTSD15の音を聴いた。

グレン・グールドのブラームスの間奏曲集をかけた。
日本盤なのに、艶のある音で鳴ってきた。

Date: 5月 21st, 2024
Cate: 音の毒

音の毒(オイロダインのこと・その1)

音の毒、もしくは毒のある音。
シーメンスのオイロダインを知った時から、ずっと頭のなかに居続けている。

ステレオサウンドの姉妹誌であったサウンドボーイの編集長のOさんは、
シーメンスのオイロダインに惚れ込んでいた人で、鳴らしていた人である。

そのOさんのいっていたことで、いまも憶えている、
そして昨晩、わずかな時間ではあったけれどオイロダインの音を、
野口晴哉記念音楽室で聴いて、思い出していた。

Oさんは、歌舞伎でもある、と。
歌舞伎、つまり女形である。

男性が女性を演じる。
そのことによってうまれてくる毒みたいなものが、オイロダインの音にはある、と。

Date: 5月 21st, 2024
Cate: ディスク/ブック

フィガロの結婚(クライバー・その4)

モーツァルトが天才なことを疑う人は、まずいないだろう。
そのモーツァルトの天才性がもっともつよく感じられるのは、
やっぱりオペラだろうと、
エーリッヒ・クライバーによる「フィガロの結婚」を聴き終って、そうおもっていた。

Date: 5月 20th, 2024
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その14)

野口晴哉記念音楽室からの帰りの電車の中で書いているのは、
先ほどまで26日の準備をやっていたため。

野口晴哉記念音楽室のオイロダインから、音が鳴ってきた。
静謐な音で音楽が鳴ってきた。

Date: 5月 19th, 2024
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その10)

電車の降り口のドア上部には液晶ディスプレイがあって、
広告が流されていたりする。

そんな広告を眺めていると、オーディオ機器がインテリアとして扱われているのが、
すこしばかり気になる。

ブックシェルフ型スピーカーを床に直置きにしている広告もあった。
またプリメインアンプなのに、その上に管球式パワーアンプを置いている広告もある。
他にもいくつかあるけれど、どの広告にも共通していえるのは、
オーディオのことが多少なりともわかっている人が制作スタッフのなかに一人でもいたら、
そんなことをやったりはしないだろうに……、そんな使われ方である。

単なる小道具、インテリアの一部としてのオーディオの扱いなのだと思うしかない。
そして、そういう広告にはCDではなくLPが使われていたりする。
このことも、なんだかぁ〜、と思う。

LP(アナログディスク)といえば、
アナログディスク・ブームとかで、壁一面のレコードラックの部屋が、
雑誌やソーシャルメディアにも登場してくるのをよく見かけるようになった。

これらすべてがそうだというわけではないが、
ここでも気になることがある。

けっこうな割合で、ディスクが斜めに収納されている。
壁一面のラックのマスのいくつかで斜めになっているのをみかけると、
なぜ、この部屋の主は、こんなひどい置き方をしているのか、と思う。

レコードの枚数からいえば、かなりのマニアのはずだ。
けれどレコードの保存に関してはなにも考えていないのか。

昔のオーディオの入門書には、斜めにしてはいけない、と書いてあったものだ。

Date: 5月 19th, 2024
Cate: ディスク/ブック

フィガロの結婚(クライバー・その3)

エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」を聴くたびに感じていることがある。
この録音、序曲はあまり冴えないような感じを受ける。

特に悪いというわけではないが、曲がすすむにつれて、
音の冴えが増してくるように感じるものだから、相対的に序曲が冴えないと感じてしまう。

エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」の録音時、
デッカの録音スタッフもステレオ録音について、まだ手さぐりの段階だったのかもしれない。
だからこそ、序曲よりも第一幕、第二幕……、と音が良くなっていっているのではないのか。

ここでいう音のよさとは、音の美しさでもあるし、
モーツァルトの音楽としての美しさともいいたくなる。

とにかく曲の進行とともに、なんて美しい音楽だ、とおもう気持が強くなっていく。
特にMQAで聴いていると、そのことをより強く感じる。

Date: 5月 18th, 2024
Cate: 新製品

新製品(その24)

一ヵ月ほど前に、B&OのBeosystem 9000cのことを書いた。
型番からわかるように、Beosystem 9000の復刻(再構築)版である。

写真をみるかぎり、見事な仕上がりだ。
Beosystem 9000cをみて、パチモン的新製品という人はいないはずだ。

この項で書いているパチモン的新製品。
今度はQUADから登場する。

33と303の復刻モデルが、そうである。
QUADのウェブサイトのトップページに写真が公開されている。

のっぺりしているな、が最初の感想だった。
見慣れれば、そんなふうに感じなくなるのか。

QUADの33と33のサイズ、そしてデザインのままに、
最新の技術を投入してくれれば──、と思ったことは何度もある。

今回の33と303の復刻はそれにあたるといえば、そうなるのだろうが、
そこにパチモン的新製品臭を感じてしまう。

自社の過去の製品のパチモン的新製品を出すことが、流行りつつあるのか。

Date: 5月 17th, 2024
Cate: 日本の音

日本の音、日本のオーディオ(その42)

その37)と(その38)で、四つのマトリクスのことを書いた。

アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。

この四つのマトリクスが考えられる。

その41)で例に挙げたダイヤトーンのP610は、パッシヴなスピーカーといえる。

このP610を、どう鳴らすのか。
アクティヴな聴き手とパッシヴな聴き手が、P610を鳴らすとして、
同じ組合せで鳴らすとは思えないし、
たとえ同じ組合せであったとしても、鳴らし方は違ってくるし、
結果として鳴ってくる音は、違って当然である。

その音を聴いた人はどう感じるのか。
パッシヴな聴き手が鳴らしたP610の音を聴いて、P610らしい音ですね、という感想をもつのか。
アクティヴな聴き手が鳴らすP610の音を、P610らしくない音と感じるのか。

P610は16cm口径のフルレンジユニットだから、高性能をねらったモデルではない。
ダイナミックレンジも周波数レンジもほどほどのところでまとまっている。

いいかえれば、鳴らし手の要求すべてに十全に応えるだけの性能をもたない。
そういうP610だから、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が、
それぞれ鳴らす音に違いはあっても、その違いは大きく出るのか、
もしくはさほど大きな違いとはならないのか。

同じダイヤトーンの2S305を、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手が鳴らした場合、
さらにはもっと新しいDS10000の場合は、どうなるのだろうか。

スピーカー(変換器)としての性能の高さによりかかってしまえば、
むしろ違いは小さくなっていくだろう。

上記の四つのマトリクスを考えてはみたものの、
実際のところ、それらの音を聴くことはまずない。

それでも、このことを考えずに、日本の音について語れるのだろうか。

Date: 5月 16th, 2024
Cate: きく

野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会(その13)

5月26日(日曜日)開催の野口晴哉記念音楽室レコード鑑賞会、
そこで鳴らすのはシーメンスのオイロダイン。

野口晴哉氏がオイロダインを手に入れられたのがいつなのかは知らない。
かなり以前のはずで、五十年は優に超えているはず。

それゆえコンディションが気になるところだが、
非常に程度がよかった。後部にカバーが掛けられていたことが幸いしてのことだが、
ウーファーのコーン紙が非常にきれいである。シミひとつない、と言い切れるほどだ。

コーン紙だけではない、全体にほんとうにコンディションがいい。
このオイロダインを鳴らせるのか。
そうおもうだけでわくわくしてしまう。

前売り券は完売で、当日券の発売もないので、
こんなことを書くのは少し気が引けるのだが、
それでも書いておきたくなるほどのコンディションなのだ。

Date: 5月 16th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その18)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
自恃があってこそだ。

Date: 5月 15th, 2024
Cate: ディスク/ブック

“盤鬼”西条卓夫随想録(達成後……けれど)

「“盤鬼”西条卓夫随想録」のクラウドファンディングは達成して、
2月には手元に届くはずだったが、結局届かず──、と二ヵ月前に書いた。

4月にも届かなかった。5月、あと半分あるけれど無理であろう。
かなりぐちゃぐちゃになっている模様だからだ。

ラジオ技術の進行具合からみても、
年内に出ればいいかな、ぐらいの気持でいるしかないようだ。

Date: 5月 15th, 2024
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その20)

終のスピーカーとは直接関係ないようなことかもしれないが、
特別なスピーカーを持たない人がいてもかまわないと思っている──、
けれど、それがオーディオ評論家となると違ってくる。

これも人によって違ってくることなのはわかっている。
それでも特別なスピーカーを持たない(持っていないであろう)オーディオ評論家の
いっていること書いていることは、私は信用できないと感じている。

信用できない──、がいいすぎならば、薄っぺらだと感じている。

Date: 5月 14th, 2024
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(その19)

より完璧に近いスピーカー、最高といえるスピーカーが、
終のスピーカーとなることは絶対にない、といいきる。

その人にとって特別なスピーカーだけが、
終のスピーカーとして選ばれる(なっていく)ものなのだろう。

瀬川先生にとって特別なスピーカーは、やはりAXIOM 80だったはずだ。

Date: 5月 13th, 2024
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その12)

四日前の5月9日、
ノイズキャンセリングできる「遮音カーテン」が登場』というニュースが目についた。

詳しいことはリンク先を参照していただきたいが、
やっとこういうモノが実用になる時代が来た、と思いながら読んでいた。

このノイズキャンセリングが可能な遮音カーテンの性能が向上すれば、
外から入ってくるノイズをキャンセリングするだけでなく、
部屋の中の音までもキャンセリングしてくれるようになる。

つまり疑似的な無響室が作れるようになるだろう。

そして私がいちばん期待していることは、その一歩先であり、
遮音カーテンが新たな残響を作り出してほしい、ということだ。

疑似的な無響室が可能になれば、
その空間は疑似的には広くできるはずでもある。
そう錯覚させることはできるだろう。

その上で、残響を遮音カーテンが作り出すことで、
理想的な音響特性を作り出せる可能性を感じている。

残響時間、そのスペクトラムなどこまかなパラメータを調整することで、
文字通り、部屋をコンサートホールへと変えることが夢ではなくなる。

個人的にはリスニングルームをコンサートホールにしたいわけではないが、
この遮音カーテンのもつ可能性をあれこれ考えてみるのは楽しいだけでなく、
オーディオがこれから先、趣味としてずっと続いていくためにも、必要だと思う。

Date: 5月 12th, 2024
Cate: ショウ雑感

2024年ショウ雑感(その4)

(その1)で、今年のOTOTENには、
ジャーマン・フィジックスの輸入元のタクトシュトックが出展しないようだ、と書いた。

5月9日の時点でも、出展社のところに、タクトシュトックの名はない。

6月8日、9日、
京都オーディオフェスティバルが開催される。
こちらにタクトシュトックは出展する。

昨年のショウ雑感(その7)で、
2024年のOTOTENでは、
オーディオショウとしては初めて、
ジャーマン・フィジックス(ベンディングウェーヴ)とMQA、
この組合せの音が鳴るのかもしれない──、と書いたが、
少なくとも東京では聴けそうにない。

そのかわり京都では聴けるのだろうか。