JBL 4380
JBLのスタジオモニター、4380。
いまのところ、4380というモデルは存在しないが、今年創立80周年を迎えるJBLだから、
4300シリーズの80周年記念モデルとして4380は、現実味があると思うのだが。
今年4380が登場しなくても、五年後の85周年に4385、そのまた五年後の90周年に4390、いつか本当に出てきてほしい。
JBLのスタジオモニター、4380。
いまのところ、4380というモデルは存在しないが、今年創立80周年を迎えるJBLだから、
4300シリーズの80周年記念モデルとして4380は、現実味があると思うのだが。
今年4380が登場しなくても、五年後の85周年に4385、そのまた五年後の90周年に4390、いつか本当に出てきてほしい。
輸入盤と国内盤の音の違いは、LPの時代だけでなくCDになってからでもあった。録音がアナログからデジタルに移行してからでもあった。
輸入盤と国内盤の音の違いは、だからといって共通認識とはいえない、とも思っている。
たしかに音の違いがある。けれど、その音の違いをどう捉えているのかは、
輸入盤といっても、主に聴く音楽によってはアメリカ盤を指すこともあれば、イギリス盤、ドイツ盤を指すこともあるからだ。
私が二台の218を聴き比べて、輸入盤と国内盤の音の違いに通じると感じたのは、ここでの輸入盤はクラシックにおける輸入盤(それもLP)であり、
ヨーロッパからの輸入盤であり、主にドイツ盤といってもいい。
こんなことを書いていると、メリディアンの218の実力を誤解する人がいるかもしれない。
ノーマルの218と私が手を加えた218には、はっきりとした音の違いがあるけれど、
その違いがうまれてくるのは、218の素性がよく、しっかりしたものだからだ。
手を加えたといっても、それはマジックではない。
どうしようもないオーディオ機器に手を加えても、さほど成果は得られない。
どういう手を加えるかにもよるが、手を加えるほどに良くなっていく機種もあれば、
変ったことには変ったけれど……、となってしまう機種もある。
昨晩のaudio wednesdayでは、久しぶりに218同士の比較試聴をやった。
四谷三丁目の喫茶茶会記でやっていた時にノーマルの218との比較をやっているから、五年ぶり以上になる。
ここまで月日が経っていると、比較して、その音の違いをどう感じるのかに興味があった。
違いがあるのはわかっている。その違いをどう感じるのか、受け止めるのか。
MQAをメリディアンのUltra DACで初めて聴いた時、
アナログディスク再生にデジタルの良さが加わった、と感じた。
現在のハイエンドのデジタルオーディオ機器は、デジタルの良さを追求していくことでアナログ的な良さも感じられるようになってきた、と感じられる音も聴けるようになってきている。
どちらをとるか。両方とも、という人もいる。私も余裕があれば、両方ともと言いたいけれど、どちらかとなれば前者だ。
それはLPの再生からオーディオをスタートしているからも大きく関係しているだろう。
同じようにアナログディスク再生からオーディオが始まっている人でも、どういう音で聴いてきたのかも、大きな違いとなるように感じている。
EMTのTSD15があればいい、という時代が私にはあった。
方式、型式だけでは語れないことはわかった上で書いているのだが、MM型カートリッジがメインの人とMC型カートリッジがメインの人とでは、やはり違う。
それに国産カートリッジをメインに使ってきた人、海外製カートリッジをメインに使ってきた人、
海外製カートリッジといっても、アメリカ製なのか、ヨーロッパのどこかの国なのか。
製造国が同じでも、ハイコンプライアンス、軽針圧なのか、ローコンプライアンス、重針圧なのか。
トーンアームやターンテーブルに関しても、いろいろ言えるわけだが、
私と同じように若いころからEMTの音が常にあった者にとって、MQAの音は、アナログディスク再生にデジタルの良さが加わったと感じられた。
そんな私には、今回の218の比較試聴は、輸入盤と国内盤の音の違いと同種のものを感じた。
ロジャースのLS3/5Aは、私にとってどういう存在、位置づけかというと、
非常に私的なスピーカーシステムということだ。
オーディオを介して音楽を聴くという行為は、私にとってはひとりで音楽を聴く行為である。
ひとりで好きな音楽を聴く。
それは、その姿を誰かに見られたら気恥ずかしいと思える音楽を、その音楽にふさわしい音で聴く、ともいえる。
LS3/5Aで、好きな女性ヴォーカル、それも歌い上げる歌手ではなく、
そっとささやくように歌う歌手を聴いているところを想像してみてほしい。
私は、その時の姿を誰かに見られたくないと思うし、
そんなこと一度も想像したことがない、という人の鳴らすLS3/5Aの音は、
私が思い描いているLS3/5Aの音とは、まったく別ものでしかない。
何人かのオーディオマニアのお宅で鳴っていたLS3/5Aは、そうではなかった。
オーディオショウで聴いた、いくつかのLS3/5Aの音もそうではなかった。
だからといって、ひどい音で鳴っていた、というつもりではない。
LS3/5Aというスピーカーの捉え方がまるで違うだけのことだ。
1月のaudio wednesdayには、私が使っているメリディアンの218を持っていくつもりでいる。
この項で書いているように手を加えた218であり、四谷三丁目でaudio wednesdayをやっていた時に一度、
ノーマルの218と手を加えた218とを聴き比べでもらったことがある。
次回のaudio wednesdayで久しぶりに、また比較試聴をやろうと考えている。
(その9)を読まれた方の何割かは、LS3/5Aを嫌っている、あまり高く評価していないと受け止められたようだ。
そうではなくて、ロジャースのLS3/5Aの15Ω仕様は大好きなスピーカーだし、いまでも手に入れたいと思いつつも、
ヤフオク!を眺めていると、とんでもない金額で落札されていて、
遠い存在のスピーカーになってしまったなぁ──、と思うしかないし、ならば今時のレプリカモデルに手を加えて、ということを考えてしまう。
LS3/5Aの15Ω仕様と11Ω仕様の音に違いについて、時々きかれる。
どちらであっても他のスピーカーと比較すれば、LS3/5Aであることに違いはないのだが、
それでも直接比較でも、記憶の中での比較でも、違う、といえる。
細かく書いていけば幾つもあるが、些細なことだったりするが、私が個人的に大きく違うと感じるのは、低域の腰の強さだ。
11Ω仕様モデルは、15Ω仕様よりも弱い。同じスピーカーユニットなのにも関わらず、この差は、私には大きい。
11Ω仕様をもつ友人宅に、15Ω仕様のLS3/5Aを持っていったことがある。そして、なんとか15Ω仕様に近づけられないか、と頼まれた。
ネットワークを15Ω仕様のモノにすれば、と、いっても、それは当時はけっこうたいへんなことだった。
なので、ある方法を提案した。かかった費用は三十数年前で数千円ほど。
効果は大きかった。その音をいま思い出すと11Ω仕様を手に入れて、また試してみるのもいいかも、ぐらいには思っている。
10月にヴァイタヴォックスからT3 Systemが発表になったことは、別項で書いているが、
この新しいシステムで多くの人が注目しているのは、JBLの2405そっくりのトゥイーターの存在だろう。
ヴァイタヴォックス版2405を見て、すぐさまおもったことがある。
4343の2405を、このヴァイタヴォックスのトゥイーターに交換したら、どんな音がするのだろうかだ。
10kHz以上を受け持つトゥイーターであっても、替えてみた時の音の変化は、ほとんどの人が想像以上だ、と感じるはず。
知識としてわかっていても、実際に可聴帯域10オクターヴのうちの最高域の1オクターヴほどであってもだ。
audio wednesdayでエラックのリボン型トゥイーターを、いくつかのスピーカーシステムと組み合わせてみて、
改めて、トゥイーターの支配力といったものを実感していた。
けれど世の中には、スーパートゥイーターを導入したけれど、あまり音は変らなかった──、という人もいる。
おそらくだが、そういう人のシステムは聴感上のS/N比が悪いのだろう。
私の経験から言えるのは、聴感上のS/N比の良いシステムほど、トゥイーターを替えた際の音の変化は大きい。
ヴァイタヴォックスの2405型トゥイーターと4343の2405を交換する機会はないだろうけど、
その音を想像するだけで私はけっこう楽しめるし、
さらにはアルテックの6041のトゥイーター(瀬川先生があまり質の良くないと評価されていた)を、
このヴァイタヴォックス版2405にしたら、どうなるだろうか、妄想は広がっていくばかり。
BBCモニター系列のスピーカーの音に惹かれることは、すでに書いてきているが、
ここでBBCモニターの音と書いても、それがあまり意味を持たないこともわかっている。
私にとってのBBCモニター系列のスピーカーを挙げると、もちろんロジャースのPM510、それからロジャースのLS3/5A(15Ω)、
スペンドールのBCII、あとハーベスのMonitor HLあたりとなる。
LS3/5Aはいまでも人気の高いスピーカーだし、ロジャース以外にも製造していたメーカーはいくつかあったし、
いまも復刻モデルが手に入るから、上に挙げたスピーカーの中では最も聴かれているといっていい。
オーディオショウでも何度も聴いているし、個人宅でも聴く機会は複数回あった。
どれも同じ音で鳴っていたわけではない。同じ音で鳴っていることを期待していたわけではないし、オーディオとはそういうものではない。
けれど、それらで聴けたLS3/5Aの音に、私が惹かれるBBCモニターの音を感じたことはなかった。
私が初めて聴いたBBCモニターのスピーカーは、BCIIだった。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られた時に鳴らされたBCIIの音だ。
ベーゼンドルファーのスピーカーシステムは、ベーゼンドルファーがヤマハに買収されたことで、
いまではBrodmann Acousticsとなり、日本ではフューレンコーディネイトが取り扱うようになり、十二年ほどになる。
インターナショナルオーディオショウのフューレンコーディネイトのブースには、ほぼ毎年足を運んでいるが、
タイミングが悪いこともあって、一度も聴くことが叶わずなのだが、
最近ではBrodmann Acousticsのスピーカーシステムを見る目に、私の中で変化が起きている。
スピーカーシステムとしても魅力的に感じていることに変りはないが、
ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40と組み合わせるウーファーとしても見るようになってきた。
まだ誰も組み合わせたことはないと思っている。
数年前にヴァイタヴォックスのウェブサイトに、CN191でもBitoneMajorでもないエンクロージュアの写真が公開されていたことがある。
その写真も全体が写っていたわけではなく、詳細は全く不明だった。何か新しいスピーカーシステムを開発しているんだろうな、とうかがわせるだけだった。
そのスピーカーシステムがようやく登場した。しかも三システム同時にであり、さらにトゥイーターも一緒にである。
T3 Systemという。
TriStar、Triple5、Tritoneの三システムだ。
型番がTriから始まることからもわかるように、おそらくヴァイタヴォックス初の3ウェイシステムである。
それぞれのモデルについては私が書くよりもヴァイタヴォックスのウェブサイトを見たほうが早いし、
それにエンクロージュアの詳細がわかっていない。
それでも書いておきたいのは、トゥイーターの形状だ。JBLの2405のヴァイタヴォックス版といえる。
瀬川先生の文章に魅了され、熱心に読んできた者にとって、
瀬川先生が生きておられたら、スピーカーは何を鳴らされていただろうか、は永遠に答の出ないテーマであり、
早瀬文雄(舘 一男)さんとは、よく話したものだ。
瀬川先生はメインのスピーカーとして、JBLの4341、4343、4345と鳴らされていた。
4345の次は、いったいどのスピーカーにされたのか。
JBLのスピーカーを選ばれたのか。それとも──、楽しいオーディオ談義でもあった。
決定的なコレだ、というスピーカーはなかったけれど、ダリのSkyline 2000は、かなり高い評価をされたはず、と二人で納得したこともある。
それでもSkyline 2000を購入されるのかどうかは、なんとも言えなかった。
反対に、コレはないな、というスピーカーについても話していた。
1990年代のころ、アメリカのハイエンドオーディオを代表するブランド、
具体的に挙げればアヴァロン、ティール、ウィルソン・オーディオは、絶対にない、と、これも二人とも共通していた。
そんなことを話しながらも舘さんに話すことはなかったが、
私はJBLのパラゴンとヴァイタヴォックスのCN191のことも考えていた。
ステレオサウンド 43号(1977年6月発行)、
特集・「評論家の選ぶ ’77ベストバイ・コンポーネント」で瀬川先生は、ヴァイタヴォックスのCN191について、こう書かれていた。
*
いまの私には、これを鳴らす理想的なコーナーを整えるという条件を満たすことができないからあきらめているが、せめていつかは、この豊潤で渋い光沢のある独特の音質をわがものにしてみたいという夢を持っている。いまやこれだけが、現行製品の中で良き時代を残した最後の生き残りなのだから。
*
CN191のことは、「五味オーディオ教室」を読んでいたから、その存在だけは知っていた。
五味先生のタンノイのオートグラフと双璧をなすスピーカーシステム、
それもアメリカ製ではなく、イギリスのスピーカーシステム。
さらに私がオーディオに興味を持ったころ、オートグラフはタンノイでは製造しておらず、
輸入元のティアックがライセンスを得て日本でエンクロージュアを作っていたのだから、
イギリス・オリジナルのスピーカーユニットとエンクロージュアの組合せによるスピーカーシステムの音を聴けるのは、
もうそれだけで素晴らしい価値あることだと、中学生だった私は思っていた。
ステレオサウンド 47号(1978年6月発行)
特集・「評論家の選ぶ’78ベストバイ・コンポーネント」では、《コーナー型オールホーン唯一の、懐古趣味でなく大切にしたい製品。》と、
瀬川先生は書かれている。
1978年でも、CN191を懐古趣味として見る人はいたわけだ。
ましてそれから五十年近く経っているのだから、
ヴァイタヴォックスという会社すら知らない若い世代にとっては、
懐古趣味どころか化石のような存在なのかもしれない。
スピーカーユニットが何ひとつ見えない。
ウーファーはクリプッシュホーンによって隠れている。
中高域を受け持つドライバーとホーンも、化粧カバーに覆われていて見えない。
CN191は、そういうスピーカーである。
アルテックの604-8Gを中心としたワイドレンジなシステムの構築は、
おそらくなのだが、技術的な完成度を高めていこうとすればするほど、
604-8Gの限界もはっきりしてくるはず。
同軸型ユニットという構造、そして中高域をホーン型としたことによる制約が、
技術的に詰めれば詰めるほど、どうしても解消できない問題として残る。
そこを面白いと感じられるか、
限界が見えているから、といってその程度のモノと思ってしまうのか。
そういうところがあるから、アルテックの同軸型ユニットはスピーカーというモノ、
スピーカーシステムというモノを理解するのにつながっていると、私は思っている。
スピーカーというカラクリの面白さを、どこに見出すのか。こここそが肝心な一点のはずだ。
グラシェラ・スサーナのアルバムは、ほぼ全て、私にとっても青春の一枚といえる。
アナログ録音で、LPで聴いてきたスサーナのアルバムは、
十代を青春というのであれば、どれもが青春の一枚である。
グラシェラ・スサーナのアルバムで一番売れたのは、「アドロ/サバの女王」である。
ミリオンセラーと聞いている。
この「アドロ/サバの女王」を録音した時、スサーナはまだ十代だった。
そのことをこれまで長いことスサーナを聴いてきたけれど、意識したことはなかった。
カセットテープで聴いていた時も、LPで聴いていても、
CDで聴くようになっても、意識したことはなかった。
それがMQA-CDを、メリディアンのULTRA DACで、スピーカーはフランコ・セルブリンのKtêmaで聴いて、初めて気づいた。
喫茶茶会記でもアルテックのシステムで、ULTRA DACで、
スサーナのMQA-CDは聴いている。
けれど、その時はスサーナが十代とは意識しなかった。
Ktêmaというスピーカーを通じて、初めて気づいた。
JBL D44000 Paragon。
死ぬまでに一度鳴らしてみたいスピーカーの筆頭だ。
パラゴンが、私にとっての終のスピーカーとなることはあまりないけれど、
一年間、じっくりと取り組んでみたい、といまでも思う。
パラゴンとともに大きな部屋が欲しいわけではない。
オーディオ専用の空間であれば、六畳間くらいの部屋でもいい。
パラゴンにグッと近づいて聴く。小音量で鳴らしたい。
だから、静かなオーディオ機器を用意したい。
電源トランスも唸らず、空冷用のファンもないアンプで鳴らす。
ローレベルのリニアリティ、S/N比の良さだけでなく、
ローレベルのリアリティの優れたアンプを持ってきたい。