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Date: 9月 15th, 2008
Cate: 104aB, KEF, 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その6)

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。 

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。 

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。 

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。 
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。 
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 黒田恭一

ホセ・カレーラスの歌

ホセ・カレーラスがいったい何枚のディスクを出しているのか、知らない。 
ネットで調べれば、すぐにわかることだろうが、数にはあまり興味がないため、
だから、すべて聴いているわけではない。

そういう聴き手である私にとって、
ホセ・カレーラスの数あるディスクの中で、 大切なのは、二枚だ。 
一枚はラミレスの「ミサ・クリオージャ」。 
はじめて、このディスク(というかこの曲)を聴いた時、 
ヨーロッパのクラシックとは違う、こういう美しさもあったのかと驚き、柄にもなく敬虔な気持ちになったものだ。
いまも、ときおり聴く。 

もう一枚は「AROUND THE WORLD」。
タイトルどおり、各国の代表的な歌をカレーラスが、その国の言葉で歌っている。 
国内盤のタスキで、黒田先生の文章が読める。
これが、また素晴らしくいい。 
     ※
汗まみれの、力まかせの熱唱なら、未熟な歌い手にだってできる。 
しかし、声をふりしぼっての熱唱では、ききての胸にしみじみとしみる歌はきかせられない。
充分に経験をつんだ歌い手が表現の贅肉をそぎおとして、静かに、淡々とうたったときにはじめて、
耳をすますききての心の深いところで共鳴する歌がある。
このアルバムで、ホセ・カレーラスのきかせてくれているのが、そういう、味わい深い歌である。
今のカレーラスだけに咲かせられた、いろどり深く、香り幽き秋の花にでもたとえるべきか。 
     ※
この黒田先生のすてきな文章を読みたくて、 
輸入盤のほかに国内盤も買ったほどである(国内盤は友人にプレゼント)。

Date: 9月 14th, 2008
Cate: 4345, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その1)

瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。

4343と4345の鳴り方の違い、マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。

そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。

Date: 9月 13th, 2008
Cate: 4343, JBL, 五味康祐, 瀬川冬樹

五味先生とJBL

五味先生のJBL嫌いは有名である。
ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。
     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オートグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、
奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
《瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。》
とステレオサウンド16号に書かれている。

Date: 9月 12th, 2008
Cate: 五味康祐

「神を視ている。」

「神を視ている。」──、
これは「天の聲」に収録されている「マタイ受難曲」のなかに出てくる五味康祐氏の言葉である。 

「神を」のあとに、どの言葉を続けるか……。五味先生は「視ている」である。 

五味先生の文章を読んでいて、こちらの心につき刺さってきた言葉はいくつか、というよりもいくつもある。
そのなかで、もっともつよく深く刺さってきたのが、「神を視ている。」 

五味先生について語るとき、「神を視ている。」は、重要な言葉のひとつだといまも思っている。
同時に、素晴らしい言葉だとも思っている。
     ※
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 
     ※
五味先生の裡にあった神とは……。

五味先生の最後の入院のとき、病室に持ち込まれたのは、
クレンペラーとヨッフムのマタイ受難曲。
「自分のお通夜に掛けてほしい」と書かれていた盤である、どちらも。

最期に聴かれたのは、ケンプの弾くベートーヴェンの作品111。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: ML2L, 瀬川冬樹

思い出した疑問

1980年のことだから、ずいぶん昔のことだが、そのとき、感じていた、ある疑問を思い出した。
ステレオサウンドの夏号(55号)のベストバイの特集(このころベストバイは夏号だった)で、
各筆者がそれぞれのマイベスト3をあげられている。 

瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
コントロールアンプは、マークレビンソンのLNP2LとML6L、それにアキュフェーズのC240。
パワーアンプは、たしかアキュフェーズのP400に、マイケルソン&オースチンTVA1、
それにルボックスのA740だった(と記憶している)。 
プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。 

疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
なぜマークレビンソンのML2Lをあげられていないかだった。 
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
価格的に高価なものを除外されているわけでもないにも関わらず、ML2Lがない。 

このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
新シリーズに移行していたので、Mark2500がないのはわかる。 

ML2Lがないのはなぜ? 
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その9)

2005年夏、ある人から、瀬川先生に関する話をきいた。

1981年(亡くなられた年)の春、 スイングジャーナルの組合せの取材でのこと。 
当時スイングジャーナルの編集部にいたその人が、 
取材前に、瀬川先生に組合せに必要な器材をたずねたところ、 
「スピーカーはアルテックの620Bを用意してほしい、 
アンプはマークレビンソンはもういい、 
マイケルソン&オースチンのTVA1とアキュフェーズのC240がいい、 
プレーヤーはエクスクルーシヴのP3を」ということだったとのこと。 

そして取材当日、620Bのレベルコントロールを、大胆に積極的にいじられたりしながら、
最終的に音をまとめ終わり、満足できる音が出たのか、 
「俺がほんとうに好きな音は、こういう音なのかもなぁ……」と 
ぽつりとつぶやかれた、ときいた。 

そのすこし前に使われていたのは、
JBLの4343に、 マークレビンソンのアンプのペア、
そしてアナログプレーヤーは、EMTの927DstかマイクロのRX5000+RY5500(それも二連仕様)。 

JBLの組合せとアルテックの組合せの違い、
表面的な違いではなく、本質に関わってくる違いを、どう受けとめるか。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: Mark Levinson, 川崎和男

ずっと心にあったこと

1970年代の後半にオーディオに興味をもち始めた私にとって、 
MLAS(Mark Levinson Audio Systems)を主宰していたマーク・レヴィンソンは、 
ミュージシャンであり、録音エンジニアでもあり、 
そしてひじょうにすぐれたアンプ・エンジニア──、 
憧れであり、スーパースターのような存在でもあり、 
マーク・レヴィンソンに追いつき、追い越せ、が、じつは目標だった。 

LNP2やJC2をこえるアンプを、自分の手でつくり上げる。 
もっと魅力的なアンプをつくりあげる。 
そのために必要なことはすべて自分でやらなければ、 マーク・レヴィンソンは越えられない。 

そう、中学生の私は思い込んでいた、それもかなり強く。

とにかくアンプを設計するためには電子回路の勉強、 
これもはじめたが、一朝一夕にマスターできるものじゃない。 
(中学生の私にも)いますぐカタチになるのは、パネル・フェイスだな、 
かっこいいパネルだったら、なんとかなるんじゃないかと思って、 
夜な夜なアンプのパネルのスケッチを何枚も書いていた時期がある。 

フリーハンドでスケッチ(というよりも落書きにちかい)を描いたり、 
定規とコンパス使って、2分の1サイズに縮小した図を描いたことも。 
横幅19インチのJC2を原寸で描くための紙がなかったもので、 2分の1サイズで描いていたわけだ。 
(とにかく薄型のかっこいいアンプにしたかった) 

「手本」を用意して、いろいろツマミの形や大きさ、数を変えたりしながら、 
中学生の頭で考えつくことは、とにかくやったつもりになっていた。 

1977〜78年、中学3年の1年間、飽きずにやっていた。 
授業中もノートに片隅に描いてた。
けれども……。 

そんなことをやっていたことは、すっかり忘れていた。 
当時はまじめにやっていたのに、きれいさっぱり忘れていた、このことを、 
ある時、ステージ上のスクリーンに映し出されている写真を見て思い出し、 驚いた。 

このときのことは、ここで、すこしふれている。 

1994年の草月ホールでの川崎先生の講演で、 
スクリーンに映し出されたSZ1000を見た時に、
中学時代の、そのことを思い出した。 

あのころの私が「手本」としたアンプのひとつが、そこに映っていたからだ。 
デザインの勉強なんて何もしたことがない中学生が、 
アンプのデザインをしようと思い立っても、なにか手本がないと無理、 
その手本を元にあれこれやれば、きっとかっこよくなるはず、と信じて、 
落書きの域を出ないスケッチを、それこそ何枚と書いていた。

当時、薄型のコントロールアンプ各社から出ていた。
ヤマハのC2、パイオニアのC21、ラックスのCL32などがあったなかで、 
選んだのはオーレックスのSZ1000、そしてもう一機種、同じくオーレックスのSY77。

SZ1000のパネルの横幅は、比較的小さめだったので、 
まずこれを1U・19インチ・サイズにしたらどうなるか。
ツマミの位置と大きさを広告の写真から計算して、
19インチのパネルサイズだと、どの位置になり、どのくらいの径になるのか。 
そんなことから初めて、ツマミの形を変えてみたり、位置をすこしずつずらしてみたり、 
思いつく限りいろんなことをやっても、手本を越えることができない。 

SY77に関しても、同じようなことをやっていた。 
SY77は、オプションのラックハンドルをつけると、 19インチ・サイズになる。
これを薄くすると、どんな感じになるのか、という具合に。 

1年間やっても、カッコよくならない。 
「なぜ? こんなにやっているのに……」と当時は思っていた。 

その答えが、十数年後の、1994年に判明。 
同時に、われながら、中学生にしてはモノを見る目があったな、と、すこしだけ自惚れるとともに、
敗北に似たものを感じたため、やめたことも思い出していた。 

あらためて言うまでもSZ1000もSY77も、川崎先生の手によるデザインだ。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: 「かたち」, 川崎和男, 菅野沖彦

「かたち」

菅野先生がときおり引用される釈迦の言葉、
最近ではステレオサウンド167号の巻頭言で引用されている──
「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」。

デザイナーの川崎先生の言葉、 
「いのち、きもち、かたち」。 

このふたつに共通している「かたち」。
オーディオに限らずいろんなことを考える時に、 
この、ふたりの言葉は、私にとってベースになっているといえる。 
いままでは「いのち、きもち」が「心」で、 
それが「私」だと、なんとなく思ってきた……。

けれど「かたち」が加わって、はじめて「私」なんだということに、 4年ほど前に気がついた。 

川崎先生の「いのち、きもち、かたち」をはじめてきいたのが、 
2002年6月だから、2年半かかって気がついたことになる。 

正直に言うと、いままで、なぜ「心はかたちを求める」のかが、 よくわからなかったけど、 
「いのち、きもち、かたち」こそが「私」だとすると、 
「かたちを求める」のところが、自然と納得できる。

そして、よく口にしておきながら、 
これもなぜそうなのかが、よくわからなかった 
「音は人なり」という言葉も、すーっと納得できる。 

そして「音は『かたち』なり」とも言いたい。

Date: 9月 9th, 2008
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その1)

菅野先生がお使いのスピーカーは、 
JBLの375+537-500(蜂の巣)を中心としたシステム、 
マッキントッシュのXRT20、 
そして4年前に導入されたジャーマン・フィジックスのDDDユニットを中心としたシステムの3組である。

中高域以上は、JBLはホーン型、XRT20はドーム型の複数使用、 
ジャーマン・フィジックスはウォルッシュ・ドライバー。 
振動板の素材もまったく異る。

JBLはアルミ、ジャーマン・フィジックスはチタンで、同じ金属と言っても、
ジャーマン・フィジックスのチタンはひじょうに薄い膜であり、
指で軽く触ってみると、プニョプニョした感触で、剛性を高めるための金属の採用ではない。

まったく異る型式・方式・素材のスピーカーが三組と受けとめられがちだが、
「中高域の拡散」ということでは、三つとも共通していると、私は考えている。

なぜ菅野先生は、375と組み合せるホーンに、蜂の巣を選択されたのか。 
菅野先生のリスニングルームの壁の仕上げ、
JBLのシステムに数年前から導入さてれているリボン・トゥイーターの理由、 
そして音を聴かせていただくと納得できるのが、 中高域の拡散、ということ。 

なぜ菅野先生は、JBLのトゥイーター075だけでは満足されなかったのか。 
それは高域レンジの問題だけではなく、375と蜂の巣の組合せによる中域の拡散と比べると、 
高域の拡散が不十分と感じられたためではないかと思っている。

Date: 9月 8th, 2008
Cate: 瀬川冬樹

たおやか

瀬川先生の求められていた音を簡潔な言葉ひとことで表すと、
なんだろうと、ぼんやり考えていた。

こんなことを考えるのは無理なことだとわかっていても、
あえて、ぴったりの言葉さがしをやってみた。

洗練という言葉が好きだし、剥き出しの音は嫌いだ、と言われている。 
だから「洗練」でもいいのだろうけど、これだけだと足りないものを感じる。
もっと適確で簡潔な言葉はないだろうかとずっと思っていた。

「たおやか」である。 
私がイメージする瀬川先生の音を一言で表すなら、これである(いまのところ)。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: ワイドレンジ, 岩崎千明, 瀬川冬樹

ワイドレンジ考(その1)

ワイドレンジの話になると、周波数レンジのことばかり語られることが多い。 
けれども、ワイドレンジ再生とは、
周波数レンジとダイナミックレンジの両方をバランスよく広げることだと考える。 
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。 

このことを教わったのは、
ステレオサウンド43号の「故岩崎千明氏を偲んで」のなかの瀬川先生の文章。
そのところを引用する。 
     *
岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」 
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その8)

瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 
     *
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。 
(中略) スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 
     *
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
いきなりケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか……。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、理解されていないように感じることがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 五味康祐, 再生音

再生音に存在しないもの(その1)

五味先生は、「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」で次のように書かれている。 
     *
「色はあるが光はない」とセザンヌは言った。画家にとって、光は存在しない、あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを、画家は視ておればいい。もともと、画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない、他のものとは、即ち色だ──「そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した」と、ルノアールも言っている。セザンヌの言うところも同じだろう。──この筆法でゆけば、ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない、そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが、ナマの音は存在しない、そう言いかえてもいいだろう。 
     *
絵画に関しては素人だが、フェルメールの絵がすごい、のは、 
光が存在しない画布に絵具を重ねただけなのに、
光を感じさせてくれるところにあるのはわかる。 
この一点においてもフェルメールは天才だと思うし、 
素人の私は、ゴッホやピカソよりも天才だと思える。 

再生音にないのは、いったいなんなのか。 
五味先生は上のように書かれている。 
納得できるけれど、なにかすこし違うようにも、これを読んだとき、 
もう20年以上前になるが、その時からそういう思いが続いている。 

再生音にないものをはっきりといえるようになったとき、
大きく一歩前進する、といってもよいだろう。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 五味康祐

そんなことはない

家族の犠牲の上で成り立っていた──、そういうふうに五味先生のオーディオを捉えている人がいる。 
そんなことはない。 

亡くなられた後に読売新聞社から出た「いい音いい音楽」に収められている
五味由玞子氏の「父と音楽」を読んでほしい。 
いくつか書き写しておく。 
     * 
夢中になると、父は一晩中でも音楽を鳴らしている。母と私は、真夜中、どんなに大きな音で鳴っていようと、目を覚ますことはない。時折り今でも、父の部屋で音楽をかけるのだが、不思議と私はよく、絨毯の上にころりと横になりねむってしまう。たとえようのない安らぎがそこにはある。そこには父がいる。 
母は音楽を聴いているときの父がいちばん好きだという。 
 
父が音いじりをするとき、また、テープを編集するときは、たいがい、だぼだぼのパジャマに母お手製の毛糸で編んだ足袋。冬には、駱駝色のカーディガンを羽織り、腰紐を締め、木樵のおじさんのような恰好で、蓬髪おかまいなく、胡坐をかいて一心に、テープを切ってつないだり、コードを差し換えたりしている。短気のせいか、無器用なのか、うまくいかないとよくヒステリーをおこし、ウォーッとか、エーイといった奇声が居間に聞こえてくる。すると、私と母は、またやっている、と目を見合わせほほえむ。試行錯誤の結果、気に入った音がでたときは、それはもう大喜びで、音楽にのって、親愛なるタンノイの前で踊っている。たまらなく幸福そうな表情で、そんな顔が私はいちばん好きであった。 

父は、ひとくちに言ってしまえば、純真な音キチである。いい音を求め、音楽を愛した一人の青年である。私はこの父の娘として生まれて本当に幸福であった。心からの感謝を献げたい。そして、これからも、すばらしい音楽を心をこめて聴いてゆきたい。音楽は、なにものにもかえがたい父の遺産なのだから。
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3箇所書き写した。
これらを読んでもなお「家族の犠牲の上に成り立っていた」としか思えないのであれば、
そんな人はオーディオを通して音楽を聴くことはやめたほうが賢明である。