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Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その43)

瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、
最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。
だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。

Date: 4月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その42)

スイングジャーナルの試聴室にて、鳴り響いた音を、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう……劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
     ※
この日、鳴らされたレコードは、記事には、2枚だけ表記してある。

「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52)

試聴が終ったのが深夜1時ごろだったと、Kさんから聞いている。
だから、最初にかけられたチェンバロのレコード、それに上記のレコード以外にも、
かなりの枚数のレコードをかけられたはすだ。

そのなかの1枚がアース・ウィンド&ファイヤーの「太陽神」である。
瀬川先生が、Kさんに「最近、どんなレコードを聴いているんだ?」とたずねられたとき、
彼が取り出してきたのが「太陽神」であり、かなり気にいられた、とのことだ。

「太陽神」のエピソードは、ステレオサウンドに書かれている。
世田谷・砧の新居のリスニングルームで、
4343をマイケルソン&オースチンのモノーラルのパワーアンプM200を鳴らされたときのことだ。

ステレオサウンドの52号のセパレートアンプの特集号の巻頭エッセーをお読みいただきたいが、
あるオーディオ関係者が瀬川先生のお宅を訪ねられたとき、
ちょうど「太陽神」をものすごい音量で鳴られていたときで、
遮音には十分な配慮が施されたリスニングルームにも関わらず、外までかなり大きい音が洩れていた、
そして、その人はなんど玄関の呼出しのベルを鳴らしても、瀬川先生が気づいてくれなくて、
「太陽神」が鳴り終るまで、玄関で待っておられた、こんなことを書かれていた。

M200はEL34を8本使用した、かなり大規模な構成で、
出力は型番が示すように200W(Aクラス動作にすることも可能で、その時は60W)。

このとき瀬川先生のリスニングルームで鳴っていた音も、「劇的なひとつの体験」だったのだろう。

Date: 3月 29th, 2009
Cate: 傅信幸

傅さんのこと(その3)

無線と実験でのハンダの試聴記事で、傅さんのことを知り、
FM fanの、オーディオ評論家4氏のリスニングルーム訪問記事で、私の中での存在感は、ぐんと大きくなった。

そして、すこし羨ましくも思った。
菅野先生、瀬川先生のリスニングルームを訪問されているからだ。

この訪問記事はくり返し読んだだけあって、けっこう細部まで記憶していたことが、
昨夜、読み返して確認できたとともに、
長岡鉄男、上杉佳郎、両氏のリスニングルームの記事も読んでいたことを思い出した。

1ヵ月ほど前か、傅さんと電話で話しているとき、この訪問記が話題になった。
でも、そのときは、どうしても長岡・上杉両氏の訪問記のことを思い出せなかった。
「載ってたかなぁ。読んでたら、わずかでも憶えているはずなのに……」、
記憶をどれだけ辿っても、まったく思い出せずにいた。

昨日、傅さんからの郵便物を受けとった。
記事のコピーだ。2回分、記事のすべてだ。

まず瀬川先生のところを、まっさきに読んだ。
それから菅野先生のところを。
「そうだった、そうだった」と、あのころ、この記事を読んだときの、
いくつかのことを思い出しながら読んでいた。

そして最初から、つまり長岡氏の訪問記から読み返しはじめた。
たしかに読んでいた。
なのに思い出せなかったのは、買わずに(買えずに)立読みで、おそらくすませていたためだったせいだろう。

Date: 3月 28th, 2009
Cate: 傅信幸

傅さんのこと(その2)

高校生だったとき、FM誌と呼ばれている雑誌は3つあった。
音楽之友社の週刊FM、小学館のFMレコパル、共同通信社のFM fan。
3誌とも隔週で出ていて、オーディオに関心のない同級生も、
エアチェックのために買っていた者が、割と多かった。

3誌とも買っている同級生はいなかったし、どれを読んでいたかは人それぞれ。
私が、毎号とまではいかないまでも、頻繁に買っていたのはFM fanだった。
理由は、瀬川先生の「オーディオあとらんだむ」を読むため。

それでも高校生のこづかいでは、ステレオサウンドを買った後に出た号は、
200円くらいの定価だったが、買わずにすませてしまうこともあった。

1979年秋のFM fan、No.22は、書店で手にとってパラパラと目を通して、即レジに持っていった。
傅さんの記事を読みたかったからであり、当時、何度も読み返した。

記事のタイトルは「人・オーディオ・リスニングルーム訪問記」、
今夜、30年ぶりに読み返している。

Date: 3月 27th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(余談)

早瀬さんのウェブサイト、SoundFrailの3月24日のMy Audio Lifeに、私の名前が出ている。

井上先生と早瀬さんの試聴には、数多く立ち合ってきた。
たしかに一度だけ、睡魔に勝てなかったことがある。

マッキントッシュのMC275で、アポジーのカリパー・シグネチュアやボーズの901を、
CDプレーヤーをMC275のTWIN INPUTに接いで聴いたときのことだ。

試聴が終ったのは深夜1時をまわっていたと記憶している。
それもMC275の電解コンデンサーがパンクしたためであり、
ちょうどノリに乗っていたときに起こった、この故障がなかったら、
おそらく3時4時まで試聴は続いていただろう。

試聴が強制的に終了となり、井上先生の話を録音した後、雑談になった。
2時はすぎていた。3時近かっただろうか。眠たくなってきた。

このとき井上先生が真ん中、右側に早瀬さん、左側に私。
早瀬さんが書かれているグラフィックイコライザーを使い、
左右チャンネルの音を可能な限り近づけていくという試聴は、私が辞めた後のことだ。
早瀬さんからの話で、いちど聞いたことがある。

だから井上先生、早瀬さんの後ろで爆睡していたのは、私以外の編集者である。

井上先生の試聴はおもしろい、気は抜けない。
どんなに寝不足のときでも、試聴が続いている限りは睡魔は押さえ込める。
音が鳴っているときに寝てしまうとは、なんともったいないことか。

Date: 3月 26th, 2009
Cate: ジャーナリズム, 井上卓也, 傅信幸

オーディオにおけるジャーナリズム(その10)

この項の(その1)に書いた井上先生の言葉。

井上先生は何を言われようとされたのか。

傅さんの書かれた最近のもの(CDジャーナル4月号の「素顔のままで」と
ステレオサウンド 170号のジェフ・ロゥランドD.Gの新製品クライテリオンの記事)を読んでいて、
「物語」であると、はっきり確信できた。

Date: 3月 25th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その22)

いまも言われているようだが、音場重視・音像重視がある。
古くからのオーディオマニアは音像重視のひとが多く、
比較的若い世代は音場重視だったりするようなことも、言われている。

井上先生が、1987年ごろからくり返し言われていたのは、
「音場は、文字通り、音の鳴っている場、音楽が演奏されている空間であって、
その空間・場がきちんが再現されなければ、
その空間に存在する音像がまともに再現できるわけがないだろう。」という主旨のことだ。

私なりに言いかえれば、音場「感」重視、音像「感」重視はあっても、音場重視、音像重視はあり得ない話なのだ。

Date: 3月 24th, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その39)

長島先生は、マランツ#7を、フォノイコライザーのみ使用されていた。
トーンコントロールやフィルターを含むラインアンプはパスされ、
REC OUTから出力を取り出し、DAVENのアッテネーターを外付けにするという構成だった。

SPA1HLの構成も、また、ほぼ同じである。
出力は固定と可変の2系統を備え、回路構成もマランツ#7と同じ3段K-K帰還型のフォノイコライザーである。
3段構成ということは、真空管はECC83/12AX7(双三極管)だから、
左右チャンネル合わせて3本、つまり6ユニットで足りる。

マランツ#7では、初段と2段目で1本のECC83、つまり左右チャンネルで独立しているが、
終段のカソードフォロワーは、1本のECC83を左右チャンネルに振り分けて使っている。

SPA1HLを取りあげた号のステレオサウンドも手もとにないため、
SPA1HLがどのように真空管を使っているのか、はっきりと思い出せないが、
おそらく長島先生は、初段に、ECC83の並列接続を試されたのではないか、というよりも、
間違いなく試され、その音を聴かれていると、ほとんど根拠らしい根拠はないけれど、私は確信している。

Date: 3月 23rd, 2009
Cate: 真空管アンプ, 長島達夫

真空管アンプの存在(その38)

SMEではなく、オルトフォン・ブランドのSPA1HLが登場したとき、取材・試聴は長島先生だった。

普段どおり試聴ははじまった。
数枚のレコードを聴いた後で、満足げな顔をされた長島先生が、「どうだい?」と、
私がどう感じたのか、きいてこられた。
その後、「内部を見てみよう」と言って、天板を取り、説明してくださった。

その詳しさと言ったら──
長島先生が設計者本人なんだな、ということがわかるほどだった。

説明は、裏板まで取って、続いた。
さらに「このコンデンサーを見つけ出すのが大変だったんだよ」まで言われた。
国内外の著名なコンデンサーは、ほとんどすべて試聴した上で、選択されたもので、
いわゆるオーディオ用と呼ばれている部品ではないし、私も初めて見るコンデンサーだった。

間接的に、自分が設計者と言われている発言だが、それでも「設計した」とは言われないので、
だから、こちらもあえて問わずに、
誰かに、説明するのが楽しくて嬉しくて、といった長島先生の話を、楽しく、ずっと聞いていた。

Date: 3月 22nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その41)

サンスイのショールールで4350を鳴らされたのは、6月13日の金曜日。
スイングジャーナルの試聴室で鳴らされたのは、その後で、
Kさんによると蒸し暑い日で、梅雨に入ったかどうかということだから、6月下旬だろうか。

瀬川先生以外に、試聴に立ち合ったのは、Kさんと、当時のJBLの輸入元だったサンスイJBL課の増田氏だけ。

Kさんによると、「精緻で近寄り難い荘厳な響きが、今も耳に残っている」とともに、
ML2L、6台の発熱量はハンパじゃなく凄まじく、試聴室のエアコンでは追いつかず、
3人とも団扇を扇ぎながら聴いていたことも、つよく印象に残っているとのことだ。

この日、Kさんは、瀬川先生からチェンバロの再生に関しての、
大切な要素や注意点などについて教えを受けた、と言っていた。

この日の組合せだ。

カートリッジ オルトフォン MC30 ¥99,000
トーンアーム オーディオクラフト AC-4000MC ¥67,000
ターンテーブル マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430,000
ヘッドアンプ マークレビンソン JC1AC ¥145,000×2
チャンネル・デバイダー マークレビンソン LNC2L ¥630,000
プリアンプ マークレビンソン ML6L ¥980,000
パワーアンプ マークレビンソン ML2L ¥800,000×6
スピーカー JBL 4350AWX ¥850,000×2
計¥8,996,000

Date: 3月 21st, 2009
Cate: 傅信幸

傅さんのこと(その1)

傅さんのことを知ったのは、1978年ごろの無線と実験の記事で、
そこで傅さんはハンダの試聴をされていた。

プリント基板のパターンとパターンをハンダを盛ってつなぐことで、
パターン・ハンダ・パターン・ハンダ・パターン……というワイヤーをつくり、聴きくらべるというものだった。

面白いことをやられているな、と感心するとともに、記事を読むと、傅さん自ら、
このハンダとパターンによるワイヤーを自作されたとある。

やってみるとわかるが、これはかなり面倒な作業である。
しかも、そうやって作ったワイヤーは、ハンダの音を聴くためのものであり、
自分のオーディオ機器・システムのためのモノではない。
あくまでも試聴・取材のためだけのモノである。

そういうことは、たいてい編集者がやることだろうに、なぜ、この傅さんという人は、
自分でやられているのだろうか。

当時10代半ばだった私は、不思議に思った。
そして、無線と実験に執筆されている他の筆者とは、
伊藤喜多男先生とともに、あきらかに違う人だということも感じていた。

インターネットの掲示板を見ていると、ときどき傳さんと書く人がいる。
よく似ている漢字だが、これでは「でん」さんになってしまう。

傳ではなく、傅(ふう)さんが正しい。

Date: 3月 20th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その40)

「JBL#4350を鳴らした話」では、夕方6時から8時までの2時間の予定ではじまった、
このときの試聴会では、のこり30分となったときに、チェンバロをかけられている。
     ※
与えられた八時まであと三十分あまりというあたりから、どうやらカンどころが掴め始めた。ハルモニアムンディの、少し古い録音だがバッハのチェンバロ協奏曲(ニ短調。レオンハルトとコレギウム・アウレウム。ドイツ原盤)を鳴らすころから、会場がシンとしてきた。スピーカーの鳴らす音に、どことなく血が通うような気がしてきた。アルゲリッチの新しい録音(ショパンのスケルツォ第二番。独グラモフォン原盤)を鳴らし、この日の会の進行役N君の持ってきたカウント・ベイシーの新録音から一曲聴き終ったら、N君が思わず拍手した。素敵なクラブで素敵な一曲を聴き終った、そんな気分がけっこう出てきたのである。
     ※
ひどい状態で鳴っているときのJBLで聴くチェンバロの音は、まさしく「聴くに耐えない」音の代表である。
チェンバロ特有の響きに耳をすましている聴き手を、容赦なく音の棘が引っ掻いていくからだ。

サンスイのショールームでは手応えを感じられてきたときに鳴らされたチェンバロを、
スイングジャーナルの試聴では、最初に、である。

だからスイングジャーナルでの4350の組合せの取材に立ち合っていた、なんと幸運な友人のKさんの話を聞いていて、
すこし意外に感じながらも、そういうことなのかな、と納得もしていた。

Date: 3月 19th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その39)

虚構世界の狩人」に所収の、「JBL#4350を鳴らした話」では、
西新宿に当時あったサンスイのショールームでのことを書かれている。

そのしばらく後に、スイングジャーナルの記事でも、4350を、
マークレビンソンのML2L、6台で鳴らされている。

もちろんバイアンプ駆動で、ウーファーはML2Lのブリッジ接続。
4350は、2231Aのダブル構成なのでインピーダンスは4Ω。
このときのML2Lブリッジの出力は200Wに達する。
ウーファーの駆動だけで、左右チャンネルでML2Lが4台必要になり、消費電力は1台あたり400W。

4350の中高域は高能率ということと、ML2Lの、おそろしく滑らかな質の高さ、透明度の高さを損なわないように、
ブリッジ接続ではなしで、1台ずつ。これで6台、消費電力の合計は2400W。

これにML6L、JC1AC(これもモノーラル使い)、LNC2(これは2台用意できなかったようだ)、
アナログプレーヤーのマイクロのRX5000/RY5500の消費電力が加わると、2500Wぐらいになろう。

これだけの電力を確保するために、試聴は夕方からはじめ、
そして試聴に立ち合う編集者以外は、みな早めに帰宅してもらい、
試聴室以外のコンセントからも、電源をとったときいている。

瀬川先生が、この組合せで最初にかけられたのは、チェンバロだったとのこと。
(昨夜、友人のKさんから、この話を聞いていた。残念ながら曲名、演奏者名などの詳細は忘れてしまったらしい)

おそらく、この時期、ステレオサウンドの試聴でも使われていた、
プヤーナのチェンバロによるクープランのクラヴサン曲集だと思う。

Date: 3月 18th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 長島達夫

瀬川冬樹氏のこと(その38)

サプリーム「瀬川冬樹追悼号」に、長島先生は書かれている──
     ※
僕は、そのとき、不覚にもずいぶん裕福な人だなとうらやましく思ったのだが、その後付き合いが重なるうちに、彼が、どんな想いでこれらの製品を買っていったのかがわかるのである。
彼は、決して裕福などではなかったのである。
彼の家は、年老いた母君と、まだ幼い妹さんとの三人暮しであった。日本画家であった父君とはなにかの理由で早くに別れられていたのだ。一家の生活は、一手に彼が背負っていたのである。そのなかで、これらの製品を購っていくことは、どれほど大変なことだったろう。しかし、彼は、そのことを一度たりとも口にしたことはなかった。以上の事情は、付き合いが深くなるにつれて、自然とわかってきたことなのである。
彼の晩年も、けっして幸福なものではなかった。人一倍苦しく、つらい想いをしている。しかし、昔と同じに、苦しさ、つらさを絶対に口にすることがなかったのである。
     ※
苦労やつらさは、顔や態度、そして言葉に、ややもすると出てきてしまいがちだ。

瀬川先生と何度かお会いしている。けれど、そんな印象はまったく受けなかった。
柔和な表情が、瀬川先生の第一印象として、いまも私の中に残っている。
ステレオサウンド 62、63号の瀬川先生追悼特集記事を読んで、だから驚いた。

なぜ、ここまでそういったことを表に、いっさい出されなかったのだろうか。
瀬川先生の美学ゆえだったのだろうか……。

瀬川冬樹の凄さである。

Date: 3月 17th, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その21)

私もよく使う「聴感上のSN比」。
この言葉をもっともよく使われ、おそらく最初に言われたのも井上先生であろう。

頻繁に使われ始められたのは80年代にはいってからだが、
いつごろから使い始められたのかは、はっきりとは知らない。

いまのところ、私が知っているかぎりでは、ステレオサウンド 39号(1976年発行)に出てくる。
     ※
聴感上のSN比とは、聴感上でのスクラッチノイズの性質に関係し、ノイズが分布する周波数帯域と、音に対してどのような影響を与えるかによって変化する。物理的な量は同じようでも、音にあまり影響を与えないノイズと、音にからみついて聴きづらいタイプがあるようだ。また、高域のレスポンスがよく伸び、音の粒子が細かいタイプのカートリッジのほうが、聴感上のSN比はよくなる傾向があった。
     ※
いまのところ、これより前に「聴感上のSN比」という言葉は見つけていない。