オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その13)
五味先生はオーディオにおいて何者であったか、といえば、オーディオ研究家ではない。
いい音をつねに求められてはいたから求道者ではあっても、
オーディオ機器を学問として研究対象として捉えられていたわけではない。
評論家でもない、研究家でもない。
私は、オーディオ思想家だと思っている。
五味先生の、そのオーディオの「思想」が、瀬川先生が生み出したオーディオ「評論」へと受け継がれている。
五味先生はオーディオにおいて何者であったか、といえば、オーディオ研究家ではない。
いい音をつねに求められてはいたから求道者ではあっても、
オーディオ機器を学問として研究対象として捉えられていたわけではない。
評論家でもない、研究家でもない。
私は、オーディオ思想家だと思っている。
五味先生の、そのオーディオの「思想」が、瀬川先生が生み出したオーディオ「評論」へと受け継がれている。
ステレオサウンド 46号に、
瀬川先生によるHQDシステムの記事「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」が載っている。
試聴の場所は、ホテルの宴会場で、マーク・レヴィンソンによると、HQDシステムにとってやや広すぎて、
デッド過ぎる音響特性だったらしい。
最初に鳴ったのは、レヴィンソン自身の録音によるギターのソロ。
瀬川先生の次のように書かれている。
「ギターの音色は、スピーカーがそれを鳴らしているといった不自然さがなくて、全く誇張がなく、物足りないほどさりげなく鳴ってくる。左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置はマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子にかけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。」
つぎに鳴ったコンボジャズの印象は
「かなり物足りなさを憶えた。音質の点では、24インチ・ウーファーの低音を、予想したようなパワフルな感じでは彼は鳴らさずに、あくまでも、存在を気づかせないような控え目なレベルにコントロールして聴かせる。」
このコンボジャズもレヴィンソンによる録音で、一般市販のアナログディスクは、
セル指揮の「コリオラン」序曲をかけたとある。
「ハーモニィはきわめて良好だし、弦の各セクションの動きも自然さを失わずに明瞭に鳴らし分ける。非常に繊細で、粗さが少しもなく、むしろひっそりとおさえて、慎重に、注意深く鳴ってくる感じで、それはいかにもマーク・レビンソンの人柄のように、決してハメを外すことのない誠実な鳴り方に思えた。プログラムソースからスピーカーまでを彼自身がすべてコントロールして鳴らした音なのだから、試聴室の条件が悪かったといっても、これがマークの意図する再生音なのだと考えてよいだろう。」
4343をオール・レビンソンで鳴らした音の印象とはずいぶん異るように感じられる。
瀬川先生は、ステレオサウンドの創刊号、同じ年(1966年)に出たラジオ技術の増刊「これからのステレオ」に、
フルレンジからはじめ、2ウェイ、3ウェイ、そして最終的には4ウェイに発展させる記事を発表されている。
同じ内容のものは、1977年にステレオサウンド別冊の High Technic シリーズVol.1にも書かれている。
この記事を書かれた時、瀬川先生は木造の六畳の和室がリスニングルームだった。
この空間でクォリティの高い音を聴こうとして、瀬川先生が考えられたのは、
部屋のサイズに見合った小型スピーカーシステムによるものではなく、
その正反対の大型のスピーカーシステムを持ち込むことを提案されている。
小さな空間に大型のスピーカーシステムを持ち込む込んで聴くなんて、
自己満足でしかなく、いい音なんて得られっこない、と主張する人もいる。
そういわれる理由もわからないわけではないが、私も瀬川先生同様、
小さな部屋こそ大型スピーカーシステムの方が、表情豊かな音を聴けることが多いと考えている。
そして、響きの豊かな部屋であれば、むしろ広い部屋でも小型スピーカーシステムが、
意外にも朗々と鳴ってくれることもある。
少なくとも部屋の広さが……、ということは考えずに、本気で惚れこめるスピーカーがあれば、
そしてそれを購入できるのであれば、導入すべき、といいたい。
アセテートテープが、実際に長持ちするかについてだが、私の知るかぎりでは、けっこう持つ。
数ヵ月前に、マランツのコントロールアンプSC23の中を見る機会があった。
SC23は1992年に発売されたもの。私が見たものが何年製造なのかはわからないが、
少なくとも10数年は経過しているはず。
SC23では、ボリュウムや電解コンデンサーにアセテートテープが貼ってある。
布粘着テープであれば、これだけの日数が経過していれば、まったく用をなさなくなっているけれど、
アセテートテープには、劣化した感じはなかった。
たしかにかなり長持ちするテープのようだ。
絶縁テープでもビニール製だと、布粘着テープ同様、ダメになっているだろう。
アセテートテープは、井上先生のつぎの試聴までに用意することができたわけだ。
井上先生がアセテートテープをどう使われるのかは、
それまでの布粘着テープの使い方と基本は同じだから、先に自分で試してみた。
なぜ井上先生が、これを用意しておけ、といわれたのが、理解できる。
アセテートテープとは、電気絶縁用の布粘着テープのこと。
布粘着テープでも代用はできるのだが、短時間の試聴ではとくに問題はないけれど、長い時間貼っておくと、
接着面がベタベタになったり、パリパリに乾いたりして、適してはいない。
(よく布製粘着テープのことを、布製ガムテープと呼ぶが、ガムテープとは水をつけて使うもの。)
それに見栄えも、あまりよくない。
それで、布粘着テープのようなことの、ほとんどないアセテートテープを用意しろ、ということだった。
余談だけれど、国内メーカーのいくつかに、劣化のほとんどない布粘着テープを開発しろ、と言ったことがある、と、
井上先生からきいたことがある。
当時、アセテートテープがどういうものはまったく知らなかった。
井上先生にきけば、教えてくれることはわかっていたけれど、
少なくとも自分で探すだけ探して見つけ出せなかったときにたずねよう、と思い、
そのときは、とくに返事をしなかったように記憶している。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、というが、なにもしないで、ただきけばいいというものでもないだろう。
アセテートテープは、わりと簡単に見つかった。
秋葉原に、私用で部品を買いにいった時、なにげなくのぞいてみたオヤイデ電気に置いてあった。
ステレオサウンドの試聴室用と自分用を購入した。
ステレオサウンド 127号の「レコード演奏家訪問」の記事中の写真で気がついたことがある。
(ステレオサウンドのバックナンバーは、10冊程度しか手もとになかったけれど、
4月末、坂野さんから譲っていただき、目を通しているところ。127号のその中の1冊。)
長島先生が登場されている回で、マイクロのSX8000IIに、SMEの3012-Rがついていることだ。
SX8000IIを導入されたときに、SMEのSeries Vを取りつけておられた。
カートリッジはオルトフォンのSPU-A。
それがリンのArkivIIになっている。
それに合わせてSeries Vから、3012-Rに、トーンアームも変更されたのだろうか。
3012-Rもいいトーンアームだ。私も使っていた。
でも、Series Vは、トーンアームに関して、これ以上のモノは、その前もその後も登場していない、
あえて言うが、最高のトーンアームである。
長島先生の音楽の聴き方、望む音の方向からして、3012-RよりもSeries Vである。
Series Vが、ステレオサウンドの試聴室に届き、そのときの試聴は長島先生だった。
だからはっきりと憶えている、そのとき鳴ってきた音の素晴らしさ、長島先生の昂奮ぶりは。
なのに3012-Rへの変更。カートリッジが変っても、そのぐらいで、3012-Rにされるとも思えない。
なぜなのか。
4345を、生きておられたら瀬川先生は、どのくらいの期間を使われていたのだろうか、
そして、アンプは、どう変化していったのだろうか、そしてCDの登場以降は……、ということを夢想してみる。
マーク・レヴィンソンがはなれてしまったマークレビンソンのNo.シリーズの一連のアンプは、
評価はしながらも自家用として使われなかっただろう。
クレルのPAM2とKSA100の組合せへの評価は、きいてみたかった。
チェロの、オーディオ・スイート、オーディオ・パレットとパフォーマンスの組合せについては、
その価格のことについて、なんらか触れられただろう。
トーレンスのリファレンスのところで、
「であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、『リファレンス』、あるいはスレッショルドの『ステイシス1』あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。」
と書かれていることを思い出すからだ。
チェロの組合せは、リファレンスの価格を、はるかに超えている。
手もとに1980年代のステレオサウンドが、ほぼ揃った。
ぱらぱらめくってみても、これだ! ピンとくるものがない。
ほんと、何を使われただろうか……。
(個人的には、クレルのPAM2とKSA100のような気もする)
とにかく井上先生は、音が変化する要素は、基本的にすべて試される。
インシュレーターを追加したり、ケーブルをあれこれ交換して、といったことも、もちろんやられるが、
それ以前に、いまある状況において、何も追加せず、何も交換せずに、
どれだけ音を変化させられるか、ということについて、
井上先生ほど徹底的にやられている方は、おそらくいないのでないか、そう思えてくるほど、すごい。
AC電源の極性はちもろん、どこのコンセントからとるのか、同じコンセントでも、どの口からとるのか、
ケーブルの引回しのちょっとした違い、置き方、置き場所による違い、
いまでも常識的にとらえられている使いこなしの、そういったこまかい要素は、
私がステレオサウンドにいたころ(1980年代)、井上先生の試聴のたびに発見の連続だった。
意外に思われるかもしれないが、井上先生は、アクセサリーの類いを、あれこれそろえておけ、とは言われなかった。
構造の異るケーブル数種類、それからフェルトなど、わりと身近に手に入るものを利用される。
特殊なものを要求されることは、まずなかった。
ただ例外的といえいなくもないのが、ひとつだけあった。
試聴中に、「あれが、あればいいんだけどなぁ」とぼそっとつぶやかれたこと。
「あれ」とはアセテートテープのこと。
ならば、最初から、同軸型のスピーカーケーブルを逆使いにすればいいだろう、
と思われる方もおられるだろう。
でも、決して井上先生は、最初から逆使いにされることはなかった。
最初は指定どおりの使い方、芯線をプラス、シールドをマイナス側にされて、
チューニングをすすめて、かなりのところまできた段階で、最後の詰的な意味合いで、
「変えてみろ」と指示を出される。
こちらも何をすべきかわかっているので、この言葉だけで、
スピーカーケーブルの接続を逆使いに変える。
このときの音の変化を確かめられて、満足されたような顔をされたあと、
ほんの少し、最後の詰を行なわれて、
たいていの場合、ステレオサウンドの試聴室でのチューニングは終ることが多かった。
それからもうひとつ言っておきたいのが、どんなスピーカーシステムにでも、
同軸型ケーブルを使われるわけではなかった。
チューニングの途中で、指示を出され、通常の平行型のスピーカーケーブルから変えることになる。
1980年代、日立電線からLC-OFCを線材としたスピーカーケーブルが数種発売されていて、
そのなかに、同軸型の、やや太めのものがあった。
そのスピーカーケーブルを、指定通りに使うと(つまり芯線をプラス側、シールドをマイナス側)、
どんなスピーカーシステムであろうと、低域と高域が聴感上いくぶん持ち上がって聴こえる、
いわゆるドンシャリ傾向の音になる。
井上先生が、なんどかステレオサウンドに書かれたり発言されているが、
このスピーカーケーブルを通常と反対の使い方をする。
芯線をマイナス側に、シールドをプラス側に接続してみる。
すると、ドンシャリ傾向はきれいに影をひそめる。そして音の密度感、勢い、
エネルギー感という言葉で表現される性質のものが、
低域から高域まで、全帯域でグッと密度が増した印象となる。
音楽が身近に感じられるようになる。聴きごたえのある音へと変る。
もっとも、いいかげんなセッティング、チューニングの段階で、こういう使い方をしても、
その変化量は大きくはない。しっかりと音を詰めていった段階で、この接続にすれば、
ほとんどの方が、驚かれるぐらいに音は変化する。
逆にいえば、通常の使い方とこの使い方の音の差が、あまり明確に出てこないようであれば、
セッティング、チューニングはまだまだだ、ということになる。
1980年代のCDプレーヤーには、ほとんどの機種にヘッドフォン端子が、フロントパネルについていた。
海外製品では、その端子への配線もプリント基板のパターンを行っているのが多かったが、
国産機種の場合には、大半が、プリント基板から端子までリード線をひっぱっていた。
このリード線は、プリント基板側も端子側もコネクターによって接続されているので、
簡単に取り外せるし、すぐに元にもどすこともできる。
それで、このリード線を取り外してみると、当時のCDプレーヤーは、
やっていることからすると、驚くほど見通しのいい、すっきりした音場に変る。
リード線を外して、音が悪くなる方向に変わる機種は、私があれこれ試した範囲では、一台もない。
じつは、このリード線が悪さをしていることを指摘されたのは、井上先生である。
ある試聴のとき、「天板をとってみろ」と指示され、つぎに「この線を外してみろ」と言われた。
そして音を聴く。井上先生の指示だから、当然、その音の変化は確実なものであることは、
それまでの経験からわかっていても、やはり驚いたことを憶えている。
なぜなのかについて、「CDプレーヤーの中のLSIのひとつひとつは、小さな放送局であって、
それぞれが電波(不要輻射)を出していて、それをこれ(リード線)がアンテナとなって拾うから」と、
もったいぶることなく、さらりと説明される。
仮に欠席裁判だとしよう。
29年経ったいま、「グローバル」という言葉が頻繁に使われるようになったいま、
「インターナショナル・サウンド」という表現は、瀬川先生も「不用意に使った」とされているが、
むしろ正しい使われ方だ、と私は受けとめている。
もし「グローバル・サウンド」と言われていたら、いまの私は、反論しているだろう。
瀬川先生は、他の方々よりも、音と風土、音と世代、音と技術について、深く考えられていた。
だから、あの場面で「インターナショナル・サウンド」という言葉を、思わず使われたのだろう。
瀬川先生に足りなかったのは、「インターナショナル・サウンド」の言葉の定義をする時間だったのだ。
思慮深さ、では、決してない。
瀬川先生が、「インターナショナル・サウンド」という言葉を使われた、29年前、
私は「グローバル」という言葉を知らなかった。
「グローバル」という言葉を、目にすることも、ほとんどなかった(はずだ)。
いま「グローバル」という言葉を目にしない、耳にしない日はないというぐらい、の使われ方だが、
「グローバル・サウンド」と「インターナショナル・サウンド」、このふたつの違いについて考えてみてほしい。
ステレオサウンド 60号の、瀬川先生抜きの、まとめの座談会は、
欠席裁判のようで不愉快だ、と捉えられている方も、少なくないようである。
インターネット上でも、何度か、そういう発言を読んだことがある。
早瀬さんも、「やり場のない憤り」を感じたと、つい最近書かれている。
私は、というと、当時、そんなふうには受けとめていなかった。
いまも、そうは受けとめていない。
たしかに、菅野先生の発言を、ややきつい表現とは感じたものの、瀬川先生の談話は掲載されていたし、
このとき、瀬川先生が帰らぬ人となられるなんて、まったく思っていなかったため、
次号(61号)のヨーロピアン・サウンドで、きっとKEFのスピーカーのことも、
思わず「インターナショナル・サウンド」と言われるのではないか、
そして、「インターナショナル・サウンド」について、
菅野先生と論争をされるであろう、と思っていたし、期待していたからだ。
ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。
(中略)そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
*
瀬川先生が、ステレオサウンド 50号の特集記事
「ステレオサウンド誌50号の歩みからオーディオの世界をふりかえる」のなかで、語られている言葉だ。
50号は、1979年3月に出ている。
オーディオ誌の企画書といえるメモを書かれて、2年後の発言である。
「ぼくはインターナショナル・サウンドっていうのはあり得ないと思います」と岡先生は否定されている。
が、「アメリカ製のインターナショナル・サウンド」とも言われているように、全否定されているわけではない。
岡先生は、こうも言われている。
「非常にオーバーな言い方をすれば、アメリカのスピーカーの方向というものはよくも悪しくもJBLが代表していると思うんです。アメリカのスピーカーの水準はJBLがなにかをやっていくたびにステップが上がっていく。そういう感じが、ことにここ10数年していたわけです。
JBLの行きかたというのはあくまでもテクノロジー一本槍でやっている。あそこの技術発表のデータを見ていると、ほんとうにテクノロジーのかたまりという感じもするんです。」
この発言と、瀬川先生が病室から談話で語られた
「客観的といいますか、要するにその主観的な要素が入らない物理特性のすぐれた音」、
このふたつは同じことと捉えてもいい。
だから残念なのは、全試聴が終った後の総括の座談会に、瀬川先生が出席されていないことだ。
もし瀬川先生が入院されていなかったら、インターナショナル・サウンドをめぐって、
ひじょうに興味深い議論がなされたであろう。
それは「現代スピーカー」についての議論でもあったはずだ。
瀬川先生の談話は、the Review (in the past) で公開している。
「でも、〝インターナショナル〟といってもいい音はあると思う」の、その1、2、3、4だ。