Archive for category ベートーヴェン

Date: 12月 11th, 2008
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その5)

フルトヴェングラーの1942年の「第九」は、1951年のバイロイト祝祭よりも、
感嘆させられる、円熟期の完成度の高い演奏だと感じている。

とはいえ、「第九」を聴くとき、このディスクばかり聴いているわけではない。
むしろ、あまり聴かないように心掛けている。

フルトヴェングラーは「その時代時代の聴衆が求めているものを演奏している」、
そんな意味合いのことを言っている。

1942年の演奏は、1942年の聴衆が求めていたからなし得た「第九」ということになる。
その当時のドイツの聴衆が求めていてたものは、はたしてなんだろうか。

確かに第二次大戦中のフルトヴェングラーの、とくにベートーヴェンの演奏には
──第三番は44年のウィーンフィルとの演奏、第五番はベルリン・フィルとの43年の演奏──
言葉では言表し難い、凄みと言っていいのだろうか、なにか強烈な底知れぬものを秘めているかのようだ。

だから、あえて聴かない。
「第九」で、よく聴いているのは、ライナー盤であったり、ジュリーニ/ベルリン・フィル盤だ。

Date: 12月 11th, 2008
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その4)

写真は、光景の一瞬を切り取る。
川や滝を撮った同じ写真でも、水の流れ、落ちる様、水しぶきをまったく感じさせない写真もある。
構図が悪いといったことではなく、それは撮影者が、川や滝をどう捉えているのか、
センスとしか言いようがない。

フィギュア(ここで言うフィギュアは人型のもの)も、一瞬を切り取って立体化している。
フィギュアは、すべて何らかのポーズをとっている。ボーズというよりも姿勢といったほうがいい。

姿勢という単語は、姿と勢いから成っている。

フルトヴェングラーのフィギュアには、この姿勢が感じられなかった。
水の流れ、水しぶきを感じさせない写真と同じように。
勢いを失った姿は、それこそポーズ(poseではなく、一旦休止のpause)だ。

Date: 12月 7th, 2008
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その3)

フルトヴェングラーの「第九」といえば、1年前のちょうどいまごろ、
キングレコードからフィギュアつきで発売されたのが、
ベルリン・フィルを指揮した1942年のライヴ録音である。価格は2万8千円ほどだった。

レーザー光線でアナログディスクの溝を読み取るエルプのプレーヤーによる復刻CDなので、
多少高く見積もってCD一枚の値段は3千円くらいだろう。
ということはフィギュアの値段は2万5千円ほどとなるわけだ。

高さ30cmの、比較的大きなフィギュアとはいえ、2万超えのモノは市場にはあまりない。
それだけの値段だけあって、実物を見ると、丁寧なつくりだ。

けれど、このフィギュアの造型師は、
フィギュア(figure)と人形(doll)の違いを明確に把握していないような気がしてならない。

フィギュアも人形もミニチュアライズの趣味のもので、ミニカーも同じ世界である。
フィギュア、人形、ミニカーをグループ分けすると、人形とミニカーは同じといえ、
フィギュアだけ異る性格をもつ。

Date: 12月 7th, 2008
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その2)

そのころ売られていたライナーの「第九」のCDは廉価盤のみで、
なんら関係のない蝶のイラストが描かれたジャケットで、かなり安かった。

不当に高いのは困るが、あまりに安すぎるのも、大切な音楽が収められているCDがそうだったりすると、
こんな扱いでいいんだろうかという疑問と寂しさに似たものも感じるのは、
音楽好きの方ならわかってくださるだろう。

このころは、イギリスのレコード店からちょくちょくLPを購入していた。
>当時のレコード芸術誌に広告を出していた店で、申し込むと、毎月リストが郵送される。
欲しいモノがあると、申込書に記入して郵送する。
まだ売れていなかったら予約が成立し、入金の案内が送られてくる。
レコードが手もとに到着するまで、けっこうな時間がかかる、のんびりしたやりとりだった。

そのリストの中にライナーの「第九」もあった。イギリスでの評価は高いようで、
記憶では2万円近かった、そんな値がつけられていた。

アメリカからの輸入CDは千円ほど、日本でもそれほど評価は高くなかったと感じていた。
国によって、こんなにも評価が異る。

そういえばエリザベート・シュヴァルツコップが、無人島に持っていきたいレコードに、
ライナー指揮のウィンナ・ワルツ集をあげていたのは、けっこう有名な話である。

Date: 12月 6th, 2008
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その1)

1989年の映画「いまを生きる」(原題はDead Poet Society)の中盤あたり、
学生たちのラグビーのシーンがある。ここで使われていたのが、ベートーヴェンの「第九」。

バックグラウンドミュージックという扱いというより、
この演奏を聴かせたいがために、監督が、このシーンを撮ったのでは? と勘ぐりたくなるくらい、
そこで聴こえてきた「第九」に胸打たれた。

明晰でしなやかで、素晴らしい演奏。
フルトヴェングラーのバイロイトの「第九」をはじめ、いくつもの「第九」を聴いてきていたが、
そのどれでもない。はじめて聴く演奏による「第九」だった。

エンディングのクレジットが、このときほど長いと感じたこともなかった。
最後の方にやっと出てきた。

フリッツ・ライナー/シカゴSOの演奏だった。
映画館を出て、そのままレコード店へ直行した。

Date: 10月 10th, 2008
Cate: ベートーヴェン

待ち遠しい

今年イチバン楽しみに、その発売を待っていたのが、
アンドラーシュ・シフのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集第8巻である。
ECMから出る。10月14日に入荷予定とのことだ。

収められているのは30番、31番、32番。

デッカ時代のシフの演奏にも惹かれるものがあったが、
ECMに移ってからの演奏には、まいった。
最初に聴いたのは、バッハのゴールドベルグ変奏曲。
デッカにも、1980年代に録音しているし、聴いていた。

「20年で、これほど人は成長するのか」──、そうも感じた。

ぼんやりとした記憶だが、当時のシフは、グールドを師、もしくはそういう意味で呼んでいたはずだ。
シフは1953年生れ。二度目のゴールドベルグ変奏曲の録音時(2001年10月)は、
48歳になる二カ月ほど前である。
グールドが二度目のゴールドベルグ変奏曲を録音したときは49歳。
あえて、ほぼ同じ歳になったときを選んだのだろうか。

同じ曲を、ときには難解な言葉を並べて、あらゆる言葉を尽くして語ろうとする演奏家もいるし、
詩のように、言葉をできる限り削ぎ落として語る演奏家もいる。

どちらが素晴らしいとかではない。
そんなことを感じさせる演奏があるということだ。

シフの、いまの演奏がどちらかは聴いてみればわかる。