ベートーヴェンの「第九」(その5)
フルトヴェングラーの1942年の「第九」は、1951年のバイロイト祝祭よりも、
感嘆させられる、円熟期の完成度の高い演奏だと感じている。
とはいえ、「第九」を聴くとき、このディスクばかり聴いているわけではない。
むしろ、あまり聴かないように心掛けている。
フルトヴェングラーは「その時代時代の聴衆が求めているものを演奏している」、
そんな意味合いのことを言っている。
1942年の演奏は、1942年の聴衆が求めていたからなし得た「第九」ということになる。
その当時のドイツの聴衆が求めていてたものは、はたしてなんだろうか。
確かに第二次大戦中のフルトヴェングラーの、とくにベートーヴェンの演奏には
──第三番は44年のウィーンフィルとの演奏、第五番はベルリン・フィルとの43年の演奏──
言葉では言表し難い、凄みと言っていいのだろうか、なにか強烈な底知れぬものを秘めているかのようだ。
だから、あえて聴かない。
「第九」で、よく聴いているのは、ライナー盤であったり、ジュリーニ/ベルリン・フィル盤だ。