Archive for category 「ネットワーク」

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その11)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終った翌日、
この書き換えに気がついたことをfacebookに書いた。

これについて、facebookグループのaudio sharingに参加されたばかりの、
ステレオサウンド関係者のNさんからのコメントがあった。

どの部分が書き換えられているのか、その子細については書かなかった。
だから岩崎先生の原稿、レアリテ、「オーディオ彷徨」と、
それぞれどういうふうに書かれているのか列記してほしい、とあった。

もっともなことだし、その三つを列記しなかったのは、
いずれ、このブログで書いていくつもりだったし、
このことにそれほど関心をもつ人もいないだろう、と勝手に思っていたからだった。

「オーディオ彷徨」の、その箇所、レアリテの、その箇所、
そして岩崎先生の原稿の、その箇所はスキャンして、Nさんへの返事とした。

そして、すぐにNさんからのコメントがあった。
そこには、増刷する訂正したいと思います、とあった。

これは二重に嬉しい驚きだった。
まずひとつは「オーディオ彷徨」の復刻版の売行きが好調だということ。
増刷する、と書かれるくらいだから、近々増刷の予定がある、ということである。

「オーディオ彷徨」が出た1977年と、2013年の現在とでは、
本の編集作業、印刷においても変化がある。
2013年の「オーディオ彷徨」はAdobeのInDesignによってなされている。
それにオンデマンド出版だと思う。少数発行に適しているから。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その10)

iPhoneの中にいれている「オーディオ彷徨」を開いて照らし合せる必要は、実はなかった。
それでも確認してみた。
この「一行」が書き換えられている。
それを確認した。

いくつものオーディオ雑誌に掲載された文章をあつめて一冊の本に仕上げる際には、
細部の手直しが加えられることはある。
だから書き換えられていること自体を頭から否定するわけではない。

たとえば五味先生の「オーディオ巡礼」。
森忠輝氏を訪問されたときの文章で、最後のところが削除があることに気がつく。
これなどは、オーディオ雑誌という性格、単行本という性格を考えれば、納得できなくはない。

でも、「オーディオ彷徨」の、その一行の書き換えは「なぜ?」という気持が強い。
意味は通じる。文章の流れがおかしくなっているわけでもない。
今回、片桐さんがレアリテを「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」の会に持ってこられなければ、
おそらく誰も書き換えが行われていたとは気づかずに、そのままになっていたはず。

それにしても、なぜ、このような書き換えを、「オーディオ彷徨」の編集を担当した人は、
当時(1977年)行ったのだろうか。
「オーディオ彷徨」に載っている文章、レアリテに掲載された文章、岩崎先生の手書きの原稿、
なぜ「オーディオ彷徨」で、あのような書き換えがなされたのか、その真意が理解できなかった。

岩崎先生の書かれた(残された)文章を、ただ読み物として楽しむだけの人にとっては、
この店の書き換えは、私がこんなに問題にしていることが理解できない、となるだろう。
でも岩崎先生の文章を読み解こうとしている者にとっては、
そのオーディオ機器が岩崎先生にとってどういう意味をもつのか、どういう存在だったのか、
そのことを知りたいとおもう者にとっては、理解できない、よりも、許せない、という気持がわいてくる。

Date: 7月 29th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その9)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」(四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記にて)に、
片桐さんが持ってこられたのは、岩崎先生の原稿と、それが掲載された雑誌、レアリテの1975年12月号だった。

こういう雑誌があったことも知らなかった。
正確に言えば思い出せなかったのだが。

この日「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」に来てくださった方に、
レアリテと岩崎先生の原稿を見てもらうために順番にまわしていた。
なのでレアリテに載っている写真だけを見ていた。

いくつものオーディオ雑誌をこれまでみてきているけれど、
オーディオ雑誌では見ることできなかった表情の岩崎先生が写っていた。
この写真はスキャンして、facebookにて公開している。

この記事のタイトルは、いままで見たことのないものだった。
だからてっきり「オーディオ彷徨」に未収録の文章だと思い込んでしまった。

「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終了して、電車での帰宅途中、
ひとりになってからレアリテをひっぱり出した。
「彼がその音楽に気づいた時」、
これがレアリテ12月号の岩崎先生の文章につけられていたタイトルだった。

読み始めた。
あれっ? と思った。最初の一行で気づく。
これは「オーディオ彷徨」で読んでいることに。

こういうとき「オーディオ彷徨」の電子書籍をつくって、iPhoneに入れていると便利である。
iPhoneをジーンズのポケットから取り出して、iBooksを起動して「オーディオ彷徨」を読む。
あの文章だと、記憶だけでわかっていたから、苦もなくそれが、
「仄かに輝く思い出の一瞬──我が内なるレディ・ディに捧ぐ」であるとわかった。

タイトルを変えていたんだ、
そのくらいの気持でレアリテに載っていた岩崎先生の文章を読み続けた。
最後のほうにきて、また、あれっ? と思った。

今度の「あれっ?」は最初の「あれっ?」とは違っていた。
そして、またiPhoneを取り出すことになった。

Date: 7月 19th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(S.A.C. その1)

ネットワークによる音楽の配信が、これから先、どう展開していくのか。
正確には予測できない要素がある。
オーディオマニアがほんとうに望む音楽配信は、どれだけ実現されるのだろうか。

権利の問題、利益の問題、その他、業界の外にいる者には伺い知れない理由もあるはず。
それらによって翻弄されていかないとは言い切れない。

今日も、ユニバーサルミュージックに対してソフトバンクが買収を提案した、というニュースがあった。
拒否した、という報道もあり個人的にはほっとしているのだが、
もしソフトバンクがユニバーサルミュージックを買収したとしたら、
音楽配信はどういう方向に進む(流れる)のか……、と考えてしまう。

なんとなくでしかないのだが、オーディオマニアが望む方向とは違ってくるような気もする。
詳細はわからないし、今後どうなるのかもわからない。

巷では、CDに未来はない──、そんな言い方がなされている。
CDはあくまでも、1982年の時点で、デジタルで家庭に音楽(録音)を届ける最初の手段であった。
いまはCDだけが手段ではなくなっている。

遅かれ早かれCDというメディア(手段)はなくなるであろう。
インターネットによる配信がある──、と安心もできない。

昨日までオーディオマニアにとって理想的な配信を行っていた会社があっても、
企業買収により翻弄されてしまう可能性もないわけではない、と、今日の買収のニュースを読んで思っていた。
そして、このソフトバンクによる買収のニュースがきっかけで、
この項(オーディオと「ネットワーク」)にサブタイトルとして、「S.A.C.」をつけて、
なにか書いていけるのではないか、と思ったわけである。

S.A.C.とはStand Alone Complex(スタンド・アローン・コンプレックス)の略である。
「攻殻機動隊」の主人公、草薙素子による造語である。

Date: 6月 24th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その8)

「元原を見たい、元原で確認したい」──、
そう思うのは私だけでなく、今回「オーディオ彷徨」に携われた人も、まったくそうだったと思う。
もちろん、これは私の憶測にすぎないといえばそうなのだが、でも確実にそうだといいきれる。

だからこそ、facebookページ「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に「いいね!」をしてくれていた、
ステレオサウンドの関係者(Nさん、としておく)が、
非公開のfacebookグループ「audio sharing」に参加されたのだ、と思っている。

参加しなければ、岩崎先生の原稿を見ることができない。
見なければ確認できない。
逆の立場だとしても、私も同じ行動をとる。

それでも、audio sharinbへの参加希望の知らせが来て、
誰なのかを目にした時は、やはり驚いていたけれど。
でも、驚きは、すぐに納得に変る。

岩崎先生が亡くなられてすでに36年が経つ。
岩崎先生の手書きの原稿で確認しようと、どんなに思っても願っても、
ほとんどかなわないことである。まずかなわない、といいかえてもいい。

そこに一本ではあっても、手書きの原稿を見える機会があれば、
ためらうことなく、そこが非公開で、ステレオサウンドに対して、
少なからぬ人が批判的だと思うことを書いている人間がやっているところへでも行く。

それは、完璧な一冊の本をつくるのは困難だとわかっているけれど、
それでも少しでもそこに近づけたいと常日頃から思っている編集者にとっては、
ためらう理由にはならない。

同じステレオサウンド関係者であっても、
立場の違いはあっても、私が管理していることがわかってすぐに「いいね!」を取り消した人と、
取り消すことなく、さらに非公開の「場」に参加してくる人、
このふたりの違いは、どこに起因しているのだろうか。

Date: 6月 10th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その7)

誤植やミスのない本をつくることは、編集経験のない人が考える以上にたいへんなことである。
とくに手書きの原稿時代、写植の時代には、いま以上に大変なことだった。

瀬川先生の著書に「オーディオの楽しみ」がある。新潮社から出た文庫本である。
この本にも、やはりミスがある、それも小さくないミスである。

新潮社は、私が働いていたステレオサウンドよりも大きな出版社であり、
歴史も古く、本づくりの体制においてもしっかりしたものにも関わらず、
あるミスが幾人もの人の目をすり抜けて活字になってしまっている。

ただ、これは仕方のない面もある。
文章としてはつながっていて、オーディオにさほど関心のない人ならば、
書いてあることの意味は理解できなくとも、文章としておかしなところはないのだから。

これなどは、手書きの原稿で、前後の文章を入れ換えたり、あとでつけ加えたりしたために発生したミスである。
きれいに清書された原稿であったならば、こういうミスは発生しなかったであろう。

「オーディオの楽しみ」のどの部分が、そういうふうになっているのかは、
私が公開しいてる瀬川先生の著作集のePUBと比較すればわかる。
この電子書籍の作業時に、前後の文章を並べ替え直して、
意味がきちんとつながるように直している。

これは元原(手書きの原稿)がなくても、瀬川先生が意図された通りに直すことはできた。
でも、いつもそうとは限らない。
入力作業をやっていると、明らかな誤植と判断できるのはいい、
けれど微妙な箇所も意外と少なくなく、どっちなんだろう……と悩むことがある。

とくにスイングジャーナルはそういうところが多い。
そういう箇所にぶつかる旅に、「元原を見たい、元原で確認したい」と思うわけだが、
それはかなわない。

Date: 6月 9th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その6)

先月末にステレオサウンドから瀬川先生の著作集が出た。
けっこう厚みのあるムックである。

この本が出ることが、事前にわかっていたら、
そしてもし依頼があれば、
私のところにしかない瀬川先生に関する貴重な資料を貸し出したのに……、とは思う。

私は部外者だから、こんなことをここで書いても、そこまでである。
それでも、もし瀬川先生の著作集の第二弾が出るのであれば……、
と思っている矢先だったことも関係している。

「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」から「audio sharing」への参加希望された人もまた、
ステレオサウンド関係者だった。
その人が「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」がまだ「オーディオ彷徨」だったころに
「いいね!」をしてくれていたことはわかっていた。

その人が非公開の、それも私が管理している「audio sharing」へ参加希望されたということは、
意外な気がするとともに、やはり、という気ももっていた。

audio sharingを2000年に公開するために作業していた時も、
いまthe Review (in the past)の入力作業をしている時も、
同じことを思う時がたびたびある、「元原(もとげん、元の原稿)を見たい、元原で確認したい」と。

これは同じ作業をしている人には共通していることであるはず。

Date: 6月 9th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その5)

このブログでステレオサウンドについて書いていることに対して、
「あいつはきついこと・批判的なことばかり書いている」と受けとめられている人もいよう。
そういう人の中には、私がステレオサウンドを敵対視している、と思われている方もいることだろう。

私は、オーディオ界が良くなってほしい、と思っている。
そのためにオーディオ雑誌が果す役割はずっと大きい。
だから、ついついあれこれ言いたく(書きたく)なる。

次の号が出るまでの三ヵ月がながく待ち遠しく感じられるような、
発売日に書店に行きたくなるようなオーディオ雑誌にステレオサウンドがなってくれることを望んでいる。

もっとも、いまのステレオサウンドをそういうふうに楽しみに待っている人がいることはわかっている。
でも、私を含め、もうそうでなくなった人たちが少なからずいることも、まだ事実である。

部外者が好き勝手なことをいっている、と思われていてもいい。
とにかくステレオサウンドが面白くなってくれれば、他のオーディオ雑誌も面白くなっていくはず。
そういうものである。

ステレオサウンドが良くなってほしい、と思っているから、
昨年春、一度あったことのある人から相談を受けた。
ステレオサウンド 182号(2012年春号)で、ステレオサウンド社が編集者を募集していた。
応募したい、ということだった。

ステレオサウンドを敵対視しているのであれば、
彼にステレオサウンドを受けることをやめさせるようにするものだろう。
彼がステレオサウンドに入ることで、
ステレオサウンドが良い方向に向くように作用する力にすこしでもなれるであろう、と感じたから、
電話でもけっこうな時間話し、そのあとに実際に会ってあれこれ話したことがある。
具体的にどうすればいいのかも話した。

彼が入社できたのはもちろん彼自身の力であるわけだが、
私のアドバイスも少なからず役に立っていたはずである。
そういう確信はある。

Date: 6月 9th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その4)

facebookページの「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」は私が管理・公開しているから、
「いいね!」をクリックしてくれた人がいれば、すぐに通知がある。
誰が「いいね!」をしてくれたのか、わかる。

少し前に、あるオーディオ関係者の人が「いいね!」をしてくれた。
その人のちょっと前に別の人がしてくれていて、その人と友達の、そのオーディオ関係者がしてくれたわけである。

facebookには友達が、何かを「いいね!」をしたら知らせてくれる機能があるから、
間違いなく、そのオーディオ関係者の人も、
その通知を見て「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」のページを知っての「いいね!」なのだろう。

そのオーディオ関係者は、ステレオサウンド関係者ともいっていい人である。
だから、その「いいね!」の通知を見て、たぶん、この人は「いいね!」を取り消すだろうな、と思っていた。

facebookページには、管理人の情報を公開するか非公開にするか選択できる。
私は、公開する、にしている。
それに自分のサイト、ブログへのリンクもやっているわけだから、
すぐに私が、このfacebookページを管理していることはわかるようにしている。

案の定、数日後には「いいね!」を取り消されていた。
この人は、「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」の内容を評価するよりも、
私が管理・公開しているものに対して「いいね!」をしたくなかったわけであろう。

こういう人に対して、もう何の感情も湧かなくなった。
ただ「やはりね」だけである。

そんなことがあって、それほど経っていないからこそ、
岩崎先生の原稿を非公開のfacebbokグループ「audio sharing」で公開したと告知して、
最初に参加希望された人の名前を見た時は、驚いた。

Date: 6月 7th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その3)

スイングジャーナルで、岩崎先生が亡くなった後の企画で、
岩崎先生の原稿が扉として使われていたことがあった。
どんなふうな原稿だったのかは、わずかな写真から推測するしかなかった。

一度でいいから、原稿そのものを見たい、と思っていた。
それが、いま、目の前にある!

これは、もう絶対お借りしてスキャンしたい。
そう思って片桐さんから掲載誌とともに岩崎先生の原稿をお借りしてきた。

それで翌日、さっそく岩崎先生の原稿をスキャンした。
伊東屋の400字詰め原稿用紙はA4サイズよりも大きい。
私が持っているスキャナーはA4まで、である。
A3対応のスキャナーが欲しかったのだが、価格よりもあの大きさは仕事用であり、
個人用の大きさではない。
それでも、こういうとき、やっぱりA対応にしておけばよかったかな、とおもわないでもないが、
手もとにあるのはA4までだから、400字詰め原稿用紙をスキャンするには二回にわけて、
あとは画像処理ソフトでくっつけるしかない。

めんどうな作業だな、とおもいつつ、すべの原稿(15枚)をスキャンして、
試しにと一枚目を、二枚の画像を重ねて一枚の画像にしてみた。
まぁ、うまくいったほうだと思い、これを使って……、と考えたわけだ。

いつもなら岩崎先生に関する写真はfacebookページ「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」で公開する。
岩崎先生の原稿を見たい、と思う人は、きっといるはず。
そういう人をfacebookグループ「audio sharing」に誘導するために、
リンク先とともに、告知した。

自分でも「ずるいかも」と思いながらも、
岩崎先生の原稿の画像とともに、読む人によっては辛口と思えることも書いたこともあって、
非公開の「audio sharing」を選んだわけである。

Date: 6月 7th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その2)

facebookページの「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」(以前は「オーディオ彷徨」という名称)は、
facebookのアカウントがなくても誰でも見れるようになっている。
だから「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」の更新情報はtwitterと連動するようにしている。

facebookグループの「audio sharing」はfacebookのアカウントが必要になるし、
さらにあえて非公開にしているから、グループへの参加希望をクリックしていただければ、
基本的にどなたでも承認している。

このふたつを始めたころはグループ「audio sharing」に参加してくれる人が、
「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に「いいね!」をしてくれる人よりも多かった。
それが昨年末ぐらいに逆転してしまった。

どちらが上でもいいといえばいいのだけれど、
心情的には「audio sharing」に参加されている方が多い方が嬉しい。

非公開にしているから、興味を持っても……という方もおられるかもしれない。
人を増やしたいのであれば、非公開をやめることがてっとりばやい、と思う。
でも、これからも非公開のままでいくつもりである。

何も好き勝手をことを書くための非公開ではない。
自由に書きこんでもらうための非公開である。

非公開にしておきながら参加してくださる方を増やしていきたい。
そんなことも少しは考えて、昨日「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に「audio sharing」へ、
いわば誘導するための書き込みをした。

一昨日、四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記にて行った「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」、
ここにゲストとして来てくださった片桐さんが、ある本を持ってこられていた。
それだけでなく、岩崎先生の原稿そのものもいっしょにだった。

Date: 6月 7th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その1)

まれにではあるけれど、「あれもそうなんですか」ときかれることがある。
なので、いま私がインターネットで公開しているものを挙げておく。

まず2000年8月に始めたのが、このブログやそのほかのことの母体となる「audio sharing」というウェブサイト。

2008年9月から、このブログ、audio identity (designing) を公開しはじめた。
2009年6月から、the Review (in the past) を公開している。

twitterを始めたのは2010年1月から、
facebookを始めたのは2011年2月から。

mixiをやっていたこともある。たしか2005年から約一年間ほどだった。
その他にもGoogle+、その他もアカウントはつくってはいるけども……、である。

twitterはfacebookに、facebookページとfacebookグループをつくったこともあって、
あまり書き込みはしなくなった。
かといってfacebookの自分のタイムラインも、ややほったらかしで、
facebookページの「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」と
facebookグループの「audio sharing」に力をいれている。

そんなところである。

Date: 4月 4th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その2)

スピーカーケーブルも1mあたり数千円が高価だとおもえていた頃からすると、
いまどきの高価なケーブルの価格づけには、首を傾げたくなるものがある、といえばある。

高価すぎる、と私が思っていても、
別の人は妥当な価格だと思うことだってあるし、さらには安い、と感じている人だっているとは思う。
それでも1mあたり数十万円もするようなスピーカーケーブルともなると、
アンプの値段とあまり変らなくなってきているし、
価格の面だけからみれば、
スピーカーケーブルも、アンプやスピーカーと同じようなオーディオ・コンポーネントのひとつということになろう。

スピーカーケーブルもアンプやスピーカーと同じような扱いで捉えられている人も少なくない、ともきいている。
でも私はケーブルの類はアクセサリーであり、オーディオ・コンポーネントの「関節」でもあると考えている。

とにかくケーブルをオーディオ・コンポーネントのひとつとしてとらえるならば、
アンプやスピーカーと同じように常に目につくところに置きたい(這わせたい)と思うのが、
むしろ一般的なのかもしれない。

仮に私がそういう高価すぎると思えるスピーカーケーブルを使うことがあるとしても、
スピーカーケーブル、それに電源コードは極力目につかないように隠して這わせるようにする。

このへんは、人によって考え方の違いだろう、といってすませられることだとは思っていない。

Date: 3月 19th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その1)

1980年代、菅野先生がステレオサウンドにおいて「きたなオーディオ」という表現を使われたことがある。

「きたなオーディオ」、つまり「汚いオーディオ」ということである。
音のため、音質最優先という名目で、見た目はまったく考慮しない。
とにかく音さえ良ければ、それで良し、とする一部の風潮に対してつけられてものである。

この「きたなオーディオ」には、
この時代になると、ただ見た目が悪い、ということだけにはとどまらない。
たとえば最新の、仕上げのよいオーディオ機器を、
高価なラックにきちんとおさめて、セッティングにも気を使っている。
どこにも1980年代のころの「きたなオーディオ」の要素は見当たらないように思える。

けれどスピーカーケーブルが部屋の真ん中を這っている。
スピーカーケーブルではなくとも、ラインケーブルが部屋の中央を這っている。

専用のオーディオルームに、比較的多く見られる、この状態も「きたなオーディオ」ともいえる。
しかも、部屋の真ん中にケーブルを這わせている人が使っているのは、
不思議なことに太く、高価なケーブルのことが多い。

私がいたころ、ステレオサウンドの試聴室ではスピーカーケーブルは、
試聴室の真ん中に這わせていた。
これは六本木という、外来ノイズのひどいところにおいて、きちんと試聴するための手段であったし、
試聴室という、いわば実験・テストの場でのケーブルの這わせ方でもある。

ケーブルを最短距離で這わせようとすれば、
たしかに部屋の真ん中を這わせることになる。
ケーブルを視覚的に目立たせないように部屋の隅を這わせていくと、
当然ながらケーブルは長くなる。
高価なケーブルがますます高価になっていくわけだ。

Date: 11月 25th, 2012
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その17)

編集部の人たちは、自分たちがつくっているのはオーディオ専門誌、と思っているのかもしれない。
オーディオ専門誌とまではいかなくても、オーディオ誌をつくっているのであり、
オーディオ雑誌と呼ばれることに抵抗や嫌悪感をもつ人もいることだと思う。

私だって、ステレオサウンドにいたころはオーディオ専門誌だとステレオサウンドのことを思っていたし、
オーディオ専門誌をつくっているつもりでいた。

でも、いまはよほどのことがなければ私はオーディオ専門誌という言葉は使わないし、
あえてオーディオ雑誌、と書くようにしている。
これは嫌味で、そう書くようにしているわけではない。

雑誌と書いてしまうと、雑という漢字が使われているため、
専門誌と表記されるよりも、一段低いレベルの本という印象になってしまいがちである。

けれど、雑誌とは別に雑につくられた本、という意味ではない。
雑誌だから、雑につくっていいわけでもない。

雑の異体字は、襍、旧字は雜(これは人名漢字としても使える)、
同じ系統の漢字として緝だ、と辞書には書いてある。

雑誌と書いてしまうから、なにか低いものとして捉えてしまいがちになるが、
異体字、旧字、同系統の漢字をあてはめてみると、雑誌という言葉が意味するところが見えてくる。

オーディオ襍誌、オーディオ雜誌である。
どちらも「おーでぃおざっし」と読む。

緝は、ザツと読むことはできないけれど、
この緝が、編集につながっていることがわかる。