Mark Levinsonというブランドの特異性(その49)
マーク・レヴィンソンがトム・コランジェロと肩をくんでいる写真がある。
レヴィンソンがチェロを興したときの写真であり、
ステレオサウンド 74号のレヴィンソンのインタヴュー記事の中でも使われている。
この写真が、マーク・レヴィンソンとトム・コランジェロの関係をよく表していて、
その関係性があっての、ML3、ML7以降のマークレビンソンのアンプの音である、と私は思っている。
こういうふうに肩をくめる相手との協同作業によって生れてくるアンプが出す音と、
絶対にそういう関係にはならないであろうふたりによって生み出されたアンプが出す音とは、
はっきりと違うものになってくるはずである。
ジョン・カールにインタヴューしたときの、
彼の話しぶりからすると、マーク・レヴィンソンに対する彼の感情は、
コランジェロのように、レヴィンソンと親しく肩をくめる関係にはないことは伝わってきた。
MC型カートリッジのヘッドアンプJC1以外、
マークレビンソンのアンプの型番から”JC”を消してしまったレヴィンソンもまた、
ジョン・カールに対しては、コランジェロに対する感情とはそうとうに違っているように思える。
そういうふたりの関係が、初期のマークレビンソンのアンプの音に息づいている。
だからこそ、私は、この時代のマークレビンソンのアンプの音に、いま惹かれる。
アンプそのものの性能(物理特性だけでなく音質を含めての意味)では、
初期のマークレビンソンのアンプが、当時どれだけ高性能であったとしても、
いまではもう高性能とは呼べない面も見えてしまっている。
それでも、なおこの時代のマークレビンソンの音に魅了されているのは私だけではなく、
世の中には少なくない人たちが魅了されている。
この時代のマークレビンソンのアンプとは、
マーク・レヴィンソンとジョン・カールという、決して混じわることのない血から生れてきた、
と、いまの私はそう捉えている。
つまり、ふたつ(ふたり)の”strange blood”が互いを挑発し合った結果ゆえの音、
もっといえばマーク・レヴィンソンの才能がジョン・カールという才能に挑発されて生れてきた音、
だからこそ、過剰さ・過敏さ・過激さ、といったものを感じることができる。
私は、いまそう解釈している。