Archive for category ジャーナリズム

Date: 4月 10th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その7)

現在のステレオサウンドの編集部のオーディオの知識がどれだけのレベルなのかはわからない。
けれど、トーレンスのプレーヤーがフローティング型かどうかは、
よほどの初心者でない限り間違えようがない。

仮に勘違いで高津修氏の原稿を編集部が
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書き換えたとしよう。
そうなると編集部は高津修氏に断りもなく書き換えたことになる。

高津修氏に事前に、ここがおかしいと思うので書き換えたい、という旨を伝えたのであれば、
高津修氏が「TD309はフローティング型だよ、資料を見てごらん」といったやりとりがあるはず。
それで編集部が資料にあたるなり、TD309の実機にふれるなりすれば、すぐにフローティング型ということはわかる。
にも関わらず「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」が活字となって、
ステレオサウンド 185号に掲載されている。

私がいたころは、その記事の担当者が試聴に立ち合うし、試聴記の操作も行う。
このシステムが、いまのステレオサウンドでは違うのだろうか。
試聴室で試聴に立ち合う人と記事の担当者が別とでもいうのだろうか。
だとしても、トーレンスのプレーヤーがフローティング型であることは、あまりにも当り前すぎることであり、
仮にフローティング型でなかったとしたら、高津修氏の原稿も、
トーレンスがフローティング型ではなくなったことから書き始めるのではないだろうか。

この件は考えれば考えるほど、ほんとうに奇妙なことである。
私が考える真相は、もう少し違うところにあるのだが、それについてはここで書くことではないし、
書きたいのは、なぜ
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」が活字になってしまったかである。

Date: 4月 10th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その6)

ステレオサウンドのサイトに、昨年の12月10日、
季刊ステレオサウンド185号(2012年12月11日)に関するお詫びと訂正」が載った。

そこには、185号の新製品紹介のページに掲載されているトーレンスのTD309について、
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」という、
事実とは異る記述があるというもので、
「これは編集部の校正ミス」ということになっている。

185号発売日の前日に、これが載ったということは、
おそらく見本誌を見た輸入元から事実と異るというクレームがあったから、だと思う。

このお詫びと訂正に気づかれていた人も多いだろう。
でも、この「お詫びと訂正」はよく考えれば、実に奇妙なところがある。

校正ミスとある。
これをバカ正直に信じれば、TD309の試聴記事を書かれている高津修氏が書かれているわけだが、
高津修氏の原稿に「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書いてあり、
そのことを編集部が見落していた、ということになろう。

でも、そういうことがあるだろうか。
トーレンスのプレーヤーはフローティング型で知られているし、
試聴で実際に触れれば、すぐにフローティング型がそうでないかとわかる。
資料がなくても、すぐにわかることであり、誰にでもわかることである。

つまり高津修氏の原稿に
「サスペンションの柔らかいフローティングシステムとちがって」と書いてあったとは考えにくい。
となると編集部が高津修氏の原稿を書き換えた(それも間違っているほうにへと)ということになる。
でも、これも考えにくいことである。

Date: 4月 9th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その5)

いくつかの呼称がある。
オーディオマニア(audio mania)という呼称が一般だったが、
maniaの意味は、熱狂的性癖、……狂だから、これを嫌う人たちもいて、
1980年代にはいってから、もっとスマートな呼称としてオーディオファイル(audio phile)が登場してきた。
(それにしても最近の「性癖」の使い方は間違っていて、性的嗜好の意味で使われることが目につく)

そして菅野先生によるレコード演奏家も生れてきた。

古くには音キチという呼び方もあった。
音キチガイの略であって、いまこれを使っている人は稀であろう。

オーディオに、一般的な人には理解不能なぐらい情熱をかたむけている人をどう呼ぶか(呼ばれたいか)。
人によって違う。
私などは、何者か? と問われれば「オーディオマニア」とためらうことなく答えるけれど、
オーディオファイル、オーディオ愛好家という人もいるし、
私はそう名乗ることはないけれど、レコード演奏家と口にされる人もいる。

どう呼ばれるかには、こだわりがあるのだろう。
だからいくつもの呼び方が登場しているわけだ。

山口孝氏による「オーディスト」が、そこに加わるかたちとなった。

雑誌の編集者の仕事は実に雑多で多岐であり、
その仕事の中には、新語・造語に対しての判断も含まれている。

ステレオサウンド編集者は、179号の時点で、
山口孝氏からの原稿を届いた時点で、「オーディスト」について調べ、
すでに存在している言葉であるのならば、その意味を確認する必要があったわけだ。

けれどステレオサウンド編集者は、それを怠った。
なぜ怠ったのか。

それは山口孝氏の熱心な読み手と同じだったからではないのだろうか。

Date: 4月 8th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その4)

ようするに、山口孝氏の熱心な読み手である、その人は、
山口孝氏による造語ともいえる「オーディスト」を、なんら疑うことなく賞讃していたともいえる。

そこには、その人がいままで読んできた山口孝氏の文章によってその人のなかにつくられていった、
ある種の知名度が関係しているのかもしれない。

これがもし他の人、
たとえば山口孝氏とは正反対のところでの書き手による造語としての「オーディスト」であったなら、
山口孝氏の熱心な読み手は同じように「オーディスト」を疑うことなく受け入れ賞讃したであろうか。

この態度は、はたして読み手として正しいといえるのだろうか。
特に造語として登場してきた「オーディスト」に対して、それでいい、といえるのだろうか。
山口孝氏の熱心な読み手は、
山口孝氏による「オーディスト」だからということで、考えることを放棄しているようにも見える。

私は山口孝氏による「オーディスト」になんら感心しなかったから、
その意味を調べるまでに一年以上経ってしまった。
ゆえにあまり人さまのことはいえないといえばそうなのだが、
だからといって、いわずにすませておける問題ではなく、
それは読み手以上に、送り手である編集者にとっては致命的ともいえることにつながっているはず。

Date: 4月 7th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その3)

山口孝氏による「オーディスト」を見て、私がまず連想したことは語感のいごこちの悪さと、
オーディストとカタカナ表記したときに、なんとなくヌーディストと似ているところも感じていて、
山口孝氏が「オーディスト」に込められているものは理解できていても、
素直に「オーディスト」を自分でも使いたいとは、そしてそう呼ばれたいとも、まったく思わなかった。
(念のため書いておくが、まだこのときはaudistの意味を調べていなかった)

私はそう思っていたし、そう感じていたわけだが、
「オーディスト」を積極的に評価されている人がいたことも知っている。
熱い口調で「オーディスト」について語られたことも、実はある。

その人の気持は分らないでもないが、
正直、その熱い口調で語られれば語られるほど、
「オーディスト」がそれほどいいことばとは思えなくなっていっていた。

つまり私は「オーディスト」に対してまったく感心するところがなかった。
だから無関心であり、自分でオーディストの意味を調べようと思うまでには、一年以上経っていた。

私はそうだったわけだが、
「オーディスト」への感心をつよく持っている人もいたのも事実。
感心すれば関心も出てこよう、と私はおもう。
その人たちは、オーディスト(audist)が、すでに存在しているかどうか、
存在しているとしたら、どういう意味を持つのか、
いまではインターネットのおかげで調べようと思えば、すぐにわかることを調べなかったのか、とも不思議に思う。

私に「オーディスト」について熱い口調で語った人は、
山口孝氏の熱心な読み手である。
私はというと、山口孝氏の熱心な読み手とは、とてもいえない読み手でしかない。

私の場合、熱の無さが調べるまでに一年以上かかることにつながっていったわけだが、
熱心な読み手である、その人は山口孝氏による造語だからと、そのまま受け入れたといえよう。

Date: 4月 6th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その2)

ピアノ(piano)を弾く人をピアニスト(pianist)という、
ヴァイオリン(violin)を弾く人をヴァイオリニスト(violinist)という、
チェロ(cello)を弾く人をチェリスト(cellist)という。

オーディスト(audist)は、だからオーディオを弾く人、というように理解できる。
ステレオサウンド 179号に掲載されている山口孝氏の文章で、
私はこの「オーディスト」という言葉を目にした。

目にして、山口孝氏による「レコード演奏家」の表現でもある、と思った。

「レコード演奏家」は菅野先生が提唱されている。
ステレオサウンドから「新レコード演奏家論」が出ている。

レコードを演奏する、ということについては、拒否反応を示される人、
反論される人がいることを知っている。
ここでは「レコード演奏家」についてはこれ以上ふれないけれど、
「レコードを演奏する」という表現は、何も菅野先生が最初に使われていたわけではない。
菅野先生が「レコード演奏家論」を書かれるずっと以前から、
瀬川先生も「レコードを演奏する」という表現を使われている。
それも、かなり以前から使われている。

ということは、そのころにオーディスト(audist)という言葉を思いついた人もいたのではないか、と思う。
でも山口孝氏が「オーディスト」を使われるまで、私は目にしたことがない。

なぜだろうか。
誰も思いつかなかった、という理由もあげられるだろう。
けれど、どうもそうとは思えない。
「レコードを演奏する」という表現が使われていながら、
ヴァイオリンによって音楽を演奏する人をヴァイオリニスト、
ピアノによって音楽を演奏する人をピアニスト、というのならば、
オーディオによって音楽を演奏する人をオーディストと呼称する人があらわれてもなんら不思議ではない。

オーディストという言葉は、audioにistをつけただけであり、
ひねりも工夫もそこには感じられない。

なぜ、誰も使わなかったのか。
それは、オーディスト(audist)が、
聴覚障碍者を差別する人・団体という意味で、アメリカでは使われているからである。
それもかなり以前から、である。

Date: 4月 5th, 2013
Cate: オーディスト, ジャーナリズム, 言葉

「オーディスト」という言葉に対して(その1)

昨年の8月13日に、
オーディオにおけるジャーナリズム(無関心だったことの反省)」というタイトルで書いている。
リンク先を読んでいただければわかるように、詳細についてはあえて書かなかった。
言葉狩りが目的ではなかったし、その言葉が使われなくなるのであれば、
それに私自身もその言葉を最初見た時に無関心であった──そのことへの反省もあった──、
そして、もうその言葉をそのオーディオ雑誌で見かけることは今後ないという保証に近いこともあったため、である。

他のオーディオ雑誌ではときどき使われていた(掲載されていた)、
その言葉は少なくともステレオサウンドの誌面には登場することはなかった。
だから、「オーディオにおけるジャーナリズム(無関心だったことの反省)」については、
もう書くこともないだろう、と思えていた。

けれど、いま書店に並んでいるステレオサウンド 186号に、その言葉が載っている。
「オーディスト」という、山口孝氏による、いわば造語としての「オーディスト」が、
編集部による記事ではなく、広告で何度も使われている。
リンジャパンの広告の文章は、今回山口孝氏が書かれている。

私が、この「オーディスト」をはじめて目にしたのは、
2011年6月発売のステレオサウンドだった。
この号は、2011年3月11日の三ヵ月後に出ている。
巻頭エッセイとして、「今こそオーディオを、音楽を」というタイトルで、
柳沢功力、菅原正二、山口孝、堀江敏幸の四氏が書かれていて、
山口孝氏の文章と見出しとしても、「オーディスト」は大きく誌面に登場している。

Date: 3月 12th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その25)

ステレオサウンド 43号のベストバイ・コンポーネントの特集では、
選者2人以上のモノについては、それぞれの選者によるコメントがついている。
140字程度のコメントである(twitterとほぼ同じ文字数)。

ひとつひとつはそれほど長くはなくとも、
その本数はけっこうな数にのぼり、読みごたえは充分にある。
それらのコメントをすべて読んだ後で、
もう一度特集冒頭の「私はベストバイをこう考える」を読み返せば、
そこに書かれていることを、最初に読んだ時よりも理解できたように感じたものだ。

ベストバイ・コンポーネントをどう考え、どう選んだか、
その具体的な答が、それぞれの選者によるベストバイ・コンポーネントとそのコメントであるからだ。

井上先生は「私はベストバイをこう考える」に書かれているように、
あえて高価なモノは選ばれていない。
井上先生と対照的にみえるのは菅野先生といえよう。

菅野先生は「私はベストバイをこう考える」の冒頭に書かれている。
     *
ベスト・バイは、一般的な邦訳ではお買得ということになる。言葉の意味はその通りなのだが、ニュアンスとしては、ここでの、この言葉の使われ方とは違いがある。日本語のお買得という言葉には、どこかいじましさがあって気に入らない。これは私だけだろうか。そこで、ベスト・バイを直訳に近い形で言ってみることにした。〝最上の買物〟である。これだと、意味は意図を伝えるようだ。つまり、ここでいうベスト・バイとは、その金額よりも、価値に重きをおいている。
     *
たしかに菅野先生は、そうとうに高価なモノも選ばれている。
スピーカーシステムでは、シーメンスのオイロダインがもっとも高価(1本140万円)なのだが、
菅野先生は、上杉先生、山中先生ともにオイロダインをベストバイ・コンポーネントとして選ばれている。

その意味で菅野先生と井上先生は、ベストバイ・コンポーネントの選び方は対照的といえようが、
じつのところ、対照的ではなく対称的である(もしくは対称的なところもある)のではないだろうか。

Date: 3月 10th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その24)

ステレオサウンド誌選定《’77ベストバイ・コンポーネント》は、
テープデッキを除く、スピーカーシステム、アンプ、プレーヤー関係では、
6人の選者(井上、上杉、岡、菅野、瀬川、山中)のうち5人が選出したものに与えられている。

たとえばスピーカーシステムでは、
セレッションのUL6(6人)、ダイヤトーン(DS25B(5人)、ビクターSX3III(5人)、B&W DM4/II(5人)、
テクニクスSB7000(5人)、ヤマハNS1000M(5人)、スペンドールBCII(5人)、QUAD ESL(5人)、
タンノイArden(5人)、アルテック620A(5人)が選ばれている(括弧内は選出した人数)。

プリメインアンプでは、
ヤマハCA2000(6人)、サンスイAU607(5人)、サンスイAU707(5人)、ラックスSQ38FD/II(5人)、
コントロールアンプでは、
ビクターP3030(5人)、ラックスCL32(5人)、ヤマハC2(5人)、
パワーアンプでは、
ダイヤトーンDA-A15(5人)、QUAD 405(5人)、パイオニアM25(5人)、パイオニアExclusive M4(5人)。

チューナーは、トリオのKT9700(5人)のみ。

プレーヤーシステムでは、
ビクターQL7R(6人)、テクニクスSL01(6人)、
カートリッジでは、
オルトフォンMC20(6人)、グレースF8L’10(5人)、デンオンDL103S(5人)、
エレクトロアクースティック(エラック)STS455E(5人)、フィデリティ・リサーチFR1MK3(5人)、
エンパイア4000D/III(5人)、
ターンテーブルはビクターのTT101(5人)、
トーンアームはビクターUA7045(6人)となっている。

これらステレオサウンド誌選定ベストバイコンポーネントに、
ひじょうに高価なモノはなにもない。

スピーカーシステムで620Aが最も高価だが、1本358500円するが、
評論家の選ぶ’77ベストバイ・コンポーネント(つまり選者が4人以下のモノ)には、
もっと高価なモノがいくつも登場している。

アンプで高価なのはExclusive M4の350000円だが、
これも評論家の選ぶ’77ベストバイ・コンポーネントには、倍以上の価格のモノがいくつも選ばれている。

Date: 3月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム

あったもの、なくなったもの(その11)

この項を読まれている人のなかには、
「なんだ、結局、昔はよかった」といいたいだけなのか、と受けとめられている方もいるかもしれない。

はっきりいおう、たしかに「昔はよかった」。
「昔はよかった」といえば、相対的に「いまはだめ」「いまはあまりよくない」ということになる。
そのことを強調したいわけではない。

いまがいいところもあるにはある。
それでも……、とおもう。

昔があれだけよかったのだから、いまはもっとよくなってほしい、とおもう。

数年前に、こんなことをオーディオ関係者から聞いたことがある。
いま輸入商社につとめている若い世代の人たちは、
オーディオ全盛時代をまったく知らない。だから、オーディオ業界とはこういうものだと受けとめている。
一方、オーディオ全盛を体験してきた世代の人たちは「昔はよかった」というばかり……。

この話をしてくれた人は、そういうオーディオ全盛を体験してきた世代の人たちよりも、
若い世代のほうがまだいい、ということだった。

「昔はよかった」と懐かしんでいるばかりの、オーディオ全盛を体験してきた世代の人よりは、
たしかに現状をこういうものだと受けとめている若い世代の人たちがいいというのは、頷ける。

けれど、どこかそこに消極的な、熱量の少なさみたいなものを私は感じてしまう。
どこかに、最初から「こんなものだろう……」というあきらめがはいっているような気がしないでもない。

Date: 3月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その23)

井上先生菅野先生瀬川先生の「私はベストバイをこう考える」は、それぞれのリンク先をお読みいただくとして、
ほかの方の見出しを拾っていく。

上杉佳郎:オーディオ機器に要求されるいくつかの条件を満たすコンポーネント製品こそがベストバイといえる
岡 俊雄:オーディオ製品の水準が上がってきた現在、さまざまな使われ方を考慮してベター・バイ的な選び方をした
菅野沖彦:〝最上の買物〟の条件は、価格、性能の差だけでなくそのもののオリジナリティと存在理由の有無にある
瀬川冬樹:魅力ある製品はもちろんのこと、現時点で水準以上のものはベストバイといえるのではないだろうか
山中敬三:ベストバリューこそを判断の大きなポイントにおきたいと思う

小説は最初のページから読み始め読み進める。
けれど雑誌となると、パラパラとめくって目に留まった(興味のある)ページから読んでいく、
そういう読み方もできるし、最初から読んでいくこともできる。

当時の中学三年生にとって、1500円の本は安い買物ではない。
それに次の号が出るまで三ヵ月ある。
あせることなく最初のページからじっくりと読み進めていけばいい、
そのほうがいい、と思っていた。

実際にそれがよかったわけである。
選者すべての人の「私はベストバイをこう考える」を読んだ後で、
実際にどういうコンポーネントが選ばれているのかを読んでいった。

43号では二部構成になっていた。
選者の投票数のほとんどを獲得したコンポーネント46機種のページが、まずあった。
このページの扉にはこうある。
「ステレオサウンド誌選定《’77ベストバイ・コンポーネント》」と。

このページのあとに広告がはさまり、「評論家の選ぶ’77ベストバイ・コンポーネント」のページが、
各ジャンルごとにはじまっていた。

Date: 3月 9th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その22)

あのころはステレオサウンドを買ってきたら、
最初のページから読んでいた。
ステレオサウンド 43号で、だから最初に読んだのは「私はベストバイをこう考える」だった。

このときの選者は、井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三の六氏の他に、
テープデッキ部門だけ大塚晋二、三井啓の二氏が加わる。

「私はベストバイをこう考える」は五十音順に掲載されているから、
井上先生の「私はベストバイをこう考える」をまず読んだ。

ステレオサウンドのベストバイ・コンポーネントの特集は35号が最初で、43号は2回目。
35号と43号のあいだに41号が発売されていて、
この41号の特集は「世界の一流品」である。

この41号のあいだに出たことで、
井上先生は35号でのベストバイ・コンポーネントの選出と43号でのベストバイ・コンポーネントの選出とでは、
すこしばかり考え方を変えられていることがわかる。
     *
今回は、選出にあたり、ある程度の枠を設定して、本誌41号でおこなわれたコンポーネントの一流品と対比させることにした。
     *
こう書かれ「業務用途に開発された製品は、特別を除いて対象としない」、
「コンポーネントのジャンル別に、価格的なボーダーラインを設定して、一流品とベストバイを区分する」、
井上先生の「私はベストバイをこう考える」の見出しは
「家庭用として開発された製品から、多くのオーディオファンにとってベストバイたり得るものを選んだ」
とつけられている。

Date: 3月 6th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その21)

熱心にステレオサウンドのアンケートハガキに記入していたときには気づいていなかったけれど、
読者が選ぶベストバイ・コンポートはいい企画であったことに、こういうことを書いていると気がつく。

当時のステレオサウンド編集部がそこまで意識・意図していたのかどうかはわからないが、
単なる読者による人気投票という表面的な企画の裏には、
読者にベストバイということを考えさせるという面があったからだ。

アンケートハガキに記入する人のどのくらいの割合かはわからないけれど、
単なる人気投票的に捉えての人もいれば、
ベストバイ・コンポーネントの意味をその人なりに考え、
自分にとってのベストバイ・コンポーネントとは何か──、
そのことを記入した人もいる。

そしてアンケートハガキの集計結果が掲載されるステレオサウンドには、
オーディオ評論家によるベストバイ・コンポーネントとともに、
それぞれのオーディオ評論家による「私はベストバイをこう考える」が載っていて読めるわけである。

アンケートハガキを単なる人気投票として受け取っていた人にとって「私はベストバイをこう考える」は、
どうでもいい文章かもしれない。
でも、その人なりにベストバイ・コンポーネントとは、ということを考えて記入した人にとって、
「私はベストバイをこう考える」は、自分の考えと照らし合せて読むことができる。

Date: 3月 5th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その20)

以前のベストバイの特集号には、
オーディオ評論家によるベストバイ・コンポーネントだけではなく、
読者の選ぶベストバイ・コンポーネントというページもあった。

私にとっての2冊目のステレオサウンド、42号についていた読者アンケートハガキ、
これに各ジャンルから1機種ずつ、ベストバイを思えるコンポーネントの、
ブランド名と型番を書いて送ることによる、読者参加のベストバイだった。

43号は1977年だから、私は中学3年になっていた。
中学3年なりに、ベストバイという意味を考えた。

この手のアンケートは、読者による人気投票になってしまう面もある。
私も、価格に関係なくそのときいちばん欲しいと思っているモノのブランドと型番を書こうかな、
と最初は思った。

でもベストバイ・コンポーネント、とある。
このときは”Best Buy”ではなく、頭に浮んでいたのはベストバイ、というカタカナだった。

中学3年でも”Best Buy”の意味はわかる。
それでも父に訊ねた(父は英語の教師だったので)。
「お買得だな」とのことだった。

自分なりに考えた。
考えたけれど、それ以前にステレオサウンドを読み始めて、わずか2冊目。
すべてのオーディオ機器を知っていたわけでもない。
かなりの数、知っているつもりでも、
43号のベストバイ特集を読んで、こんなにもオーディオ機器はあるのか、と、
アンケートハガキを書いて送った約二ヵ月に、知ることになる。
つまりアンケートハガキを書くのに、一ヵ月ほど悩んでいた、と記憶している。

Date: 3月 5th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その19)

“State of the Art”より”Components of the year”のほうが、
耳にしたとき、目にしたときにわかりやすいことは確かである。
確かではあるものの、それは果していいことなのか、とも考える。

ステレオサウンドには、賞こそつかないものの、
オーディオ評論家によって選ばれるものとしての”Best Buy”が以前からある。
基本的に6月に発売される夏号での特集であった、この”Best Buy”は、
”Components of the year”と同じ、12月発売の冬号で行われるようになっていった。
それがいまも続いている。

こうなると、”Best Buy”も、名称に賞とはつかないものの、
賞のひとつとみることができる。

この”Best Buy”という名称、
“State of the Art”のような解釈の難しさは、一見ないように感じられる。
だからというわけではないだろうが、
ステレオサウンドの冬号で、”Best Buy”の意味について、何か語られているであろうか。

41号からステレオサウンドを二見始めた私にとって、
最初の”Best Buy”は43号だった。

43号の特集の冒頭には、「私はベストバイをこう考える」とつけられ、
ベストバイ選者による選定基準について書かれた文章があった。

“Best Buy”は、一般的な邦訳ではお買得ということになる。
けれど、”Best Buy”とお買得とでは、単に英語と日本語の違いだけではない、
微妙な意味合いの違いがあろう。