Archive for category 「うつ・」

Date: 8月 18th, 2016
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その9)

骨壺。
いうまでもなく、火葬にした遺骨をまとめておく壺のことである。

骨壺を分けると骨と壺。

骨(コツ)には、物事をする場合のかんどころ。呼吸。要領。
それから芸道の奥義。また、それを会得する才能。
そういった意味もある。

壺(ツボ)には、灸をすえ、また鍼を打って効果のある人体の定まった個所。経穴。
物事の大事な点。急所。肝要な所。
見込むところ。
三味線や琴の勘所。
そういった意味もある。

これらの意味で使うときは、コツ、ツボと書くことが多いが、骨、壺である。
なぜ灸をすえ鍼をうつ個所がツボなのか、
物事の大事な点がツボなのか

ツボ(壺)は容器である。容器として空(カラ)でなければならない。
体のツボは、ならば空なのか。
物事の大事な点も、三味線、琴の勘所も空なのだろうか。

空だからこそ、そこに音が響く(共鳴する)のか。
骨壺もそうなのだろうか。

Date: 7月 29th, 2016
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その8)

《大切な想い出を音で記憶できる幸せがオーディオ愛好家にはある》

ステレオサウンド 61号の編集後記に、そうある。
原田勲氏の編集後記からの引用だ。
そう61号の編集後記である。

原田勲氏と瀬川先生は同じ年のはずだ。
私はまだ18だった。
《大切な想い出を音で記憶できる幸せがオーディオ愛好家にはある》
といえるだけの経験はないまま、読んでいた。

40をすぎたころから、
《大切な想い出を音で記憶できる幸せがオーディオ愛好家にはある》に首肯けるようになった。

大切な想い出を音で記憶できる、ということは、
音に何かを反映するということなのか。
映しているのから、時間の中を移すことができるのか。

それとも内包しているのか。
内(うち)の古形は[うつ]で、[空(うつ)]の意なのだから、
音は空(うつ)だから、大切な想い出(憶い出)を時間を経ても移せるのか。

Date: 5月 4th, 2016
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その7)

内(うち)の古形は[うつ]で、[空(うつ)]の意である。
──物の本にはそうある。

研ぐために必要な水をどう持ってくるのか。
なにか器がなければ、水を必要とする場所まで持ってこれない。

器は空でなければ、水を運ぶ道具として機能しない。
空(うつ)であるから、水を運べる(移せる)。

Date: 12月 27th, 2015
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その6)

その人がおかれている環境や諸事情を境遇という。
境涯ともいう。

境涯の「涯」は生涯にもついている。
涯という漢字は、切り立った崖のことである。それも水辺の崖である。

ここに水がある。
研ぐために必要な水がある。

Date: 12月 17th, 2015
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その5)

水もまた鏡の役目を果たす。
澄んだ水であれば、波立たない静かな水は、鏡のようである。-

水は映す。
水は、時として物や人を移しもする。
大量の水が流れれば、その流れは何かを移す。
水は移ろいゆく。

そして洗い流す。
なにもかも洗い流すことがある。
汚れも流れとともにもっていく。

洗練──、洗煉とも洗錬とも書く。
「れん」の漢字は違っても、「せん」は洗のみである。

洗練は、磨きに磨きぬかれていなければならない。
磨かれたモノもまた、何かを映すようになる。

そのために研いでいく(磨いていく)。
研ぐには水が必要である。

Date: 11月 10th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その4)

鏡に映す、ということで思い出すのは、以前小林悟朗さんが話してくださったことだ。
なぜ、女性にオーディオマニアが極端に少ないのか、という話題だった。

音楽好きの女性は少なくない。
なのにオーディオに凝っている人となると、極端に少なくなってしまう。

小林悟朗さんは、女性は毎日鏡を見る。その時間も男性よりもずっと長い。
つまり小林悟朗さんは、オーディオから鳴ってくる音を鏡として捉えられていて、
オーディオマニアにとって音を良くしていく行為は、
鏡を見て化粧することで、女性が自分自身を美しくしていく行為に近いのではないか。

だとしたら、毎日長い時間鏡の前にいる女性には、もうひとつの鏡であるオーディオは必要としないのではないか。
そんな趣旨のことを話された。

この論でいけば、若い世代にオーディオマニアが少なくなっていることも説明できなくはない。
男性でも若い世代ほど鏡を見ている時間は長い傾向にある。
ならば、そういう男性が増えてくること、一般化してくることは、
男性のオーディオマニアももう増えてくることはないことになる。

完全には同意できないにしても、なるほど、と思っていた。
一理あるかもしれない。

うつ・す、という字をあてはめてオーディオ(録音から再生まで)を捉えてみれば、
小林悟朗さんの話は、なにかのきっかけになる気がしている。

Date: 5月 18th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その3)

音は人なり、ということから、その人が鳴らす音は鳴らし手をうつす鏡であるということは、
ずっと昔からいわれ続けている。

鏡といえば、鏡ともいえよう。

だが鏡には、実のところ何もうつってはいない。
鏡が正面にある。
そこには自分の姿が映っている。

けれど鏡を斜めから見ている人と正面から見ている人とで、
鏡に見ているものは違っている。

鏡が映画のスクリーンのように何かを映し出しているのであれば、
正面の人も斜めの人も同じものを見れるはずだが、そんなことはない。
それが鏡である。

誰も鏡のほんとうの姿をみることはできない。

だから音を鏡にたとえることには完全には同意できないでいる。
でも、その反面、そういう鏡だからこそ、オーディオ(2チャンネル方式)の音と似ている、ともおもえてくる。

Date: 3月 9th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その2)

「うつし」を現し、顕しとも書くことが、
「音は人なり」につながっているようにおもえてならない。

そして「うつ」という漢字には、全、空、虚がある。

Date: 3月 8th, 2014
Cate: 「うつ・」

うつ・し、うつ・す(その1)

録音はひとつの記録行為であるから、視覚的記録行為である写すといえよう。

再生は写されたものを聴き手によって映すといえよう。

写すも映すもどちらも「うつす」であり、
写されたものを映す側のところに届ける行為もまた移す(うつす)である。

録音物(レコード)はいわば写しであり、
再生されて聴き手の前に現れる音は映しである。

「うつし」は現し、顕し、でもある。