Archive for category Jazz Spirit

Date: 4月 3rd, 2014
Cate: Jazz Spirit

喫茶茶会記のこと(その1)

私が毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会は、
四谷三丁目の路地裏にあるジャズ喫茶(私はこう認識している)、
喫茶茶会記(きっささかいき)があるからやっている、ともいえるところがある。

喫茶茶会記のマスター、福地さんの人柄から生れる空間の雰囲気に惹かれる人が多いのか、
ここにいるといろんな人が訪れて、福地さんが紹介してくれることが多い。

audio sharingの例会が終った後も、私はひとり残っていることが多い。
昨夜もそうしていた。

何度か会ったことのある人が入ってきた。
日本刀の研師の人だ。
福地さんをまじえてあれこれ話していた。

昨日はたまたまtwitterでマーク・ニューソンが日本刀のデザインをしたというツイートを読んだばかりだった。
「そういえばマーク・ニューソンが……」は話しかけたところ、
「その発表会パーティに行ってきた」ということだった。

マーク・ニューソンがデザインしたのは日本刀のこしらえである。
なぜマーク・ニューソンがこしらえをデザインするようになったいきさつとか、
会場の雰囲気とか、あれこれ楽しい話を聞くことができた。

話ながら聞きながら、「とぐ」は研ぐだな、研究、研鑽の研と同じ。
音を良くするための行為は、この研ぐと共通するところがあるし、
研ぐにはとうぜん砥石が必要である。

音を磨いていくには、いったいどういう砥石が必要となるのか。
研師は、そのシステムの所有者である。

研師と砥石があれば、それで研げる(磨げる)わけではない。
水が必ず必要となる。

音を磨いていくのに必要な水、
これはなんなのか。

そんなことを昨夜は考えてもいた。

喫茶茶会記は、私にとってこういう場でもある。

Date: 2月 27th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(パコ・デ・ルシアのこと)

ギターは小さなオーケストラ、ということは昔から知ってはいた。
知ってはいたけれど実感したことはなかったから、そういうふうにいうんだなぁ、ぐらいの気持で受けとめていた。

“Friday Night in San Francisco”が、いくつかの意味で衝撃だったのだが、
そのひとつは、ギターが小さなオーケストラであることを実感できたことだ。

小さなオーケストラは凝縮されたオーケストラでもあった。

パコ・デ・ルシアの名前を知ったのも、そのときだった。

Date: 2月 20th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その4)

“Friday Night in San Francisco”のLPを聴いたのは、
ステレオサウンド別冊Sound Connoisseurの試聴の時が初めてだった。

アクースタットのコンデンサー型スピーカー、Model 3で聴いた。
試聴レコードには含まれていなかったけれど、黒田先生がリクエストでかけることになった。

どんな音楽を鳴ってくるのか、
ただギターの演奏だということ以外、当時は何も知らなかった。
だからこそ、このレコードの衝撃は鮮烈だった。

アクースタットのスピーカーで聴けたことも幸運だったのかもしれない。
その日から30年以上経つ。いまも愛聴盤である。

“Friday Night in San Francisco”は、いまでも聴けば昂奮する。
聴いていてカラダが熱くなってくる。
観客の気持もわかるような気がする。

あの日、このコンサートの場にいたら、いったいどれほどの昂奮が押し寄せてきただろうか。

“Friday Night in San Francisco”はかなり広い会場での行われたように、聴いていると感じる。
けれどギターの音をとらえるマイクロフォンは、かなりギターに近いところにある。

そういう録音のディスクをかけて、どういう音で再生するのか。
もっといえば、どの位置で聴いている感じで鳴らしたいのか。

Date: 2月 19th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その3)

2013年のインターナショナルオーディオショウのあるブースで、
パコ・デ・ルシア、アル・ディメオラ、ジョン・マクラフリンによる
“Friday Night in San Francisco”が鳴っていた。

ちょうどそのブースに入いる少し前にかけられていたようで、
一曲目をほぼすべて聴くことが出来た。

ここではCD(もしかするとSACDかも)だったが、
ほかのブースには”Friday Night in San Francisco”のLPが置いてあるのもみかけた。
もう30年以上前のディスクだけど、こうやっていまも鳴らされているのは、それだけでなんとなく嬉しくなる。

このディスクはライヴ録音だから、観客のざわめきや歓声がけっこう収録されている。
そのブースで鳴っていた音は、そういったいわばある種のノイズをきれいに鳴らしていた。
どこかが破綻していたり、おかしな鳴り方をしていたわけではない。

一般的にはよく鳴っている、と評価される音なんだろうなぁ……、などと考えながら聴いていた。
そんなことを考えていたぐらいだから、そこで鳴っていた音に、
“Friday Night in San Francisco”におさめられている音楽に夢中になっていたわけではなかった。

冷静に聴いていただけだった。
そういう音だったからだ。

こういう音では、なぜ観客があれほど昂奮しているのかが、
そこで鳴っている演奏から伝わってこない。

この音を、いい音といっていいのだろうか。

Date: 2月 18th, 2014
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(その2)

ジャズをおさめたディスクがある。
どんなシステムでかけても、ジャズを一度でもきいたことがある人ならば、
そのディスクにおさめられている演奏が誰のものなのか、そういったことを一切知らなくとも、
そこで鳴っている音楽がジャズということはわかる。

それを「ジャズが鳴っている」といったりするわけだが、
ここでの「ジャズ」とはどういうことを指しているのだろうか。

あるスピーカーからジャズが鳴っている。
音は細部まで明瞭になっているし、音の伸びも申し分ない。
音像定位もしっかりしているし、音場感も充分拡がっている。
奥行きの再現性もなかなかいい。
それに変に音が尾を引かない。音がうまいこと決っていく……。

こんなふうにチェックシートでもつくって、ひとつひとつの項目をチェックしていって、
どの項目も過不足なく鳴ってくれる。
その意味では欠点のない鳴り方であり、なにかケチをつけたくともそれを見つけられない。

そういう音でジャズのディスクが鳴らされた。
ただそれだけで終ってしまった。

ある旧いスピーカーで、ジャズのディスクが鳴らされた。
ナロウレンジの音だ。
誰が聴いてもはっきりと周波数レンジが狭いことはわかる。
ここでもひとつひとつの項目を細かくチェックしていくと、
いくつかの項目では飛び抜けてよくても、他の項目では欠点として目立つこともある。

オーディオ的な意味でケチをつけようと思えば、いくらでもつけられる。
そういうスピーカーで、そういうスピーカーの音で、ジャズのディスクが鳴らされた。

鳴り終ったあとに、聴いていた人同士で話が弾む。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: Jazz Spirit, 岩崎千明

Jazz Spirit Audio(その1)

ジャズ・オーディオということばがある。
いつごろから誰が使いはじめられたのかは定かではない。

自然発生的に生れてきたのかもしれない。
それでも、私の中では、ジャズ・オーディオ(Jazz Audio)は、岩崎千明の代名詞でもあった。

中野駅の北口から数分のところにある雑居ビルの地下で「ジャズ・オーディオ」という店をやられていた。
それもあって、岩崎千明=ジャズ・オーディオとなっていくわけだが、
ジャズ・オーディオとしてしまうことで、このことばのもつ範囲に、
岩崎千明という人間をあてはめようとする危険性がないわけでもない。

ジャズ・オーディオといってしまえば、楽である。便利である。
でも、決してジャズ・オーディオだけではない、というおもいがずっとあった。

岩崎先生がやられてきたオーディオを、ジャズ・オーディオといってしまうことは、間違いとはいえない。
でももっときちんと表現しようとすれば、
それはジャズ・オーディオではなく、ジャズ・スピリット・オーディオ(Jazz Spirit Audio)だったはずだ。