Archive for category 賞

Date: 8月 9th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その40)

そう思ってしまうのは私だけだろうか。
もちろん私と正反対に、またこの人が書いている、よかった、と思う人もいることはわかる。
それでも、なんのために何人もの筆者がいるのか、ともいいたくなる。

人は勝手なものだから、私などは、書いている人が瀬川先生だったら、
まったくそういうことは思わないわけで、
また同じ人が書いている……、と思ってしまうのは、書き手として信用できない人であるからだ。
(これも私にとって信用できない人であって、逆に信用できるという読み手がいることはわかっている)

すべての読み手を満足させることは、一冊のステレオサウンドではできない、ともいえる。
だからこそ、毎年12月に発売になる号での特集、
ステレオサウンド・グランプリとベストバイがあるといえるし、私はそう受けとっている。

新製品紹介で、あるブランドについてほぼ毎回同じ人が書いている。
それを喜ぶ人もいれば、私のように感じる人もいる。
それでもベストバイで、そのオーディオ機器について他の人が書いていたらどうだろうか。

ベストバイで、43号、47号のやり方と同じように、
その機種をベストバイに選んだ人のコメントすべて読めるようになっていたら。
あるスピーカーシステムを五人の人が選んでいたら、五人のコメントが載っている。

だが残念ながら、いまのステレオサウンドのベストバイは59号でのやり方と基本的に同じで、
選んだ人全員が書いているわけではない。
一人ということはないが、何人かだけであり、ここでも前述した不満が残ることもある。

新製品紹介を担当していた人が、ベストバイのコメントも担当していたりする。
他に選んだいる人がいて、その人は書いていないにも関わらずだ。

読みたい人のコメントが載っていない。
私にとって、読み応えのある内容とは到底言えない。

Date: 8月 8th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その39)

ベストバイの記事として、ステレオサウンド 51号のやり方は、私はまったく評価しない。
けれど、ひとつだけ評価する、というか、
51号によって気づいたことがある、という意味で、51号のベストバイを完全否定するわけではない。

ステレオサウンドは雑誌である。
雑誌は、ひとりの筆者だけで成り立つものではない。
何人もの筆者がいるからこそ、雑誌は雑誌としての輝きを得ることができる。

何人もの筆者(書き手)がいるのは、だから理解できる。
これはいまだから理解できることではなく、高校生、中学生であってもわかることだ。
それでも、読み手の勝手な心情としては、私の場合は、できるだけ瀬川先生に書いてほしかったわけで、
それが望めないと頭ではわかっていても、どうしてもそう思ってしまう。

いまのステレオサウンドの筆者で、この人の書くものは読みたい、と思う人はいなくなった。
そんなステレオサウンドの読み手であっても、ステレオサウンドを手に取るたびに思うことがある。

なぜ、この人に書かせるのか、だ。

あるブランドから新製品が出る。
いまのステレオサウンドだと、本を手に取らなくとも、
このブランドのこの価格帯の新製品ならば、この人が担当して新製品紹介の記事を書いているだろう、と思うし、
たいていそれは外れることはない。

そういう時に、またか……、と思ってしまう。
また、この人が書いているのか……、と。

なぜ、この人に書かせるのか、は、そういう意味である。

Date: 8月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その38)

私がステレオサウンド 51号、55号のベストバイのやり方に不満をもっているのか、
その理由はもうわかっていただけたと思う。

51号、55号でのやり方では、誰がどの機種を選んだのか、点数は何点だったのかがわからないし、
選ばれた機種に関しても、前述したようにひとりの筆者によるものだった。

私にとってベストバイは、その一年間、瀬川先生が聴かれたオーディオ機器で、何を良いと思われたのか、
それはどう良いのかを読みたかった。

51号、55号のやり方では、どれひとつわからないし読めない。

43号、47号では、知りたいことがきちんと誌面に提示されていた。
59号では一機種についてのコメントは、誰か一人というやり方に変っていた。
誰がど機種にいれたのかはわかるようになっていた。

51号、55号からすれば、ずっと良くなったけれど、
この機種に瀬川先生に点数を入れられているけど……、というのが、いくつも出てくる。

ステレオサウンド 43号で瀬川先生は188機種について書かれている。
47号では、151機種について書かれている。
51号、55号は0である。
59号では21機種である。

私が読み応えがなくなっていった、と感じているのは、ここてある。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その37)

それだけではない。
確かに瀬川先生は多くの総テストに参加されていた。
けれど、一年を俯瞰していくと、1977年はプリメインアンプとスピーカーシステムの総テスト、
1978年はモニタースピーカーとアナログプレーヤーである。

1977年のプリメインアンプとスピーカーシステムの、めぼしい製品についての瀬川先生の評価はわかる。
だがセパレートアンプ、アナログプレーヤーに関してはそうではない。

つまり一年を総括する特集として、ベストバイはあった。

43号と47号のベストバイの特集のあいだには、スピーカーシステムとモニタースピーカーの総テストがある。
アンプに関しても、アナログプレーヤー関してもテストは行なわれていない。

その一年のあいだに、アンプ、アナログプレーヤーの新製品が出ていないのであれば何もいうことはないのだが、
実際はそんなことは絶対になく、多くのプリメインアンプの新製品、コントロールアンプの新製品、
パワーアンプの新製品、アナログプレーヤー、カートリッジなどの新製品が登場している。

これらについての瀬川先生の評価を知るためにもベストバイの意味は、当時は大きかった。
その大きさは、私がまだ読者だったからこそ、そう感じていたともいえる。

私は瀬川先生の熱心な読者であったから、特に瀬川先生の評価を読みたかった、
できればすべての機種についての評価を書いてほしかったわけだが、
人は違えば、瀬川冬樹ではなく井上卓也だったり岡俊雄だったり菅野沖彦だったりすることだろう。

Date: 8月 6th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その36)

41号からステレオサウンドを買いはじめた。
そんな私にとってはじめてのベストバイの号は、三冊目の43号。
このときはまだ、読者にとってのベストバイ特集号の意味がわかっていなかった。

仮に43号で51号のやり方でベストバイの特集が組まれていたら、
それはそれで面白いとよんだかもしれない。

けれど51号を手にする時には、ステレオサウンドを読みはじめて二年半、10冊を読んでいたわけだから、
43号を手にした時とは違っていて当然である。

読者とは勝手である。
少なくとも私はそういう読者だった。

41号から51号までのステレオサウンドの総テスト、
42号でプリメインアンプ、44号と45号でスピーカーシステム、46号でモニタースピーカー、
48号でアナログプレーヤーの総テストを行っている。
瀬川先生はいずれにも参加されている(48号は冒頭のブラインドフォールドテストのみだったけど)。

こうやって何冊ものステレオサウンドを読んでいくうちに、
ここはこうあってほしい、そうなてくれればもっと面白くなるのに……、と思うようになってくる。

私の場合、総テストすべてに瀬川先生が参加されればいいのに……、と思うようになっていた。
かなりの総テストの試聴メンバーであった瀬川先生だけれど、52号と53号のアンプのテストはそうではなかった。

それに新製品紹介のページに扱われた製品が、総テストに必ずしも出てくるとは限らなかった。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その35)

私がつまらないベストバイ特集号と感じていた51号、55号が売り切れて、
ベストバイということについて51号、55号よりも真剣に考え捉えていた47号が、
58号が出た時点で売れ残っている、ということにも少々驚いていた。

ちなみに51号の表紙はアルテックの604-8H、
55号はJBLのウーファーLE14Aである。

604-8Hは黒いコーン紙だが、LE14Aは白いコーン紙。
いまふり返ってみると、特集としてのベストバイの出来よりも、
表紙が何かのほうが売行きに大きく関係していたようにも思えてしまう。

それほど51号と55号のベストバイは、編集という仕事をまったく理解していなかった、
その頃私には手抜きのようにも感じられた。

59号もこのままいくのか、と思っていたら、また変った。
43号、47号には及ばないものの、51号、55号よりも良くなった、と感じたけれど、
59号のやり方を51号でやっていたら、おそらくがっかりしたであろう。

51号、55号のベストバイは、私以外の人も不満に感じていたのかもしれない。
だから59号で軌道修正した、とも考えられる。
そして、この59号でのやり方が、基本的にいまも続いているベストバイの始まりでもある。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その34)

ステレオサウンド 43号から47号への変化で感じた不満は、
47号から51号への変化に対する不満とくらべると、ずっと小さい。

43号、47号、51号と毎年6月発売の号でベストバイを特集したということは、
これから先も毎年ベストバイを特集していくということは、
ステレオサウンドを読みはじめて二年半ほどの読者にもわかる。

51号のやり方で55号もやるのか、と思っていた。
55号も51号と同じだった。
ただ55号は第二特集として、「ハイクォリティ・プレーやシステムの実力診断」という、
瀬川先生、山中先生によるアナログプレーヤー13機種の試聴記事があった。

それに55号は、巻頭のスーパーマニアに五味先生が登場されている。
追悼としてのものだった。

五味先生の死はショックだった。
もうこれから先、五味先生の文章が読めない。
続・五味オーディオ巡礼が終ってしまった……。

続・五味オーディオ巡礼は、47号から始まっていた。
47号のベストバイと55号のベストバイ、
続・五味オーディオ巡礼がもう読めないこと、など、
55号は複雑な気持で読んでいた。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その33)

ステレオサウンド 58号(1981年3月発行)の巻末に、
ステレオサウンドのバックナンバー紹介のページがある。
そこにはその時点で購入できるバックナンバーの表紙と簡単な内容が載っている。

この時点でバックナンバーが購入可能だったのは、47号、48号、49号、53号、56号、57号である。
この中で47号と48号がアナログプレーヤー関連の表紙だ。

47号から58号までに51号と55号がベストバイを特集している。
この二冊は売り切れているわけだ。

このころは読者だったから、
アナログプレーヤーを表紙にした号は売行きが悪い、というジンクスめいたことは知らなかった。
だから、よけいに58号のバックナンバー紹介のページを見て、
47号が売れ残っていて、51号と55号が売り切れていたのか、不思議に思っていた。

51号からベストバイは、また変った。
47号からの点数付けはここでも採用されているが、
誰がどの機種に何点いれたのかわからなくなっている。
それに選定機種についても、47号までとは大きく変っていた。

たとえばスピーカーシステムに関しては菅野先生ひとりが書かれている。
アンプに関しては上杉先生ひとり、というふうにである。

私は、ベストバイという特集が、急につまらなく感じてしまった。

Date: 8月 5th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その32)

ステレオサウンド 43号から47号への変化を、不満に感じてもいた。
43号のやり方のままでいいじゃないか、なぜ変えるのか、と思っていた。
それでも47号では43号のベストバイにはなかったやり方もあった。

まず特集の巻頭には、瀬川先生による「’78ベストバイ・コンポーネントを選ぶにあたって」という、
10ページ、約三千字の文章があった。

それから黒田先生によるテクニクスのコンサイスコンポについて書かれた文章、
約一万字の「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる」があり、
架空の質問に対して、各選者が答えるページ「読者の質問に沿って目的別のベストバイを選ぶ」もあった。

これらの記事は、目的に応じたベストバイ選びということだった。
それにこのころのベストバイでは、各選者の「ベストバイ・コンポーネントを選ぶにあたって」もあった。

47号のベストバイに不満は感じながらも、満足して読んでいた。
それに47号は表紙もよかった。

SMEの3009 SeriesIIIにシュアーのV15 TypeIVを取り付けて、
ヘッドシェルとカートリッジのアップ。
当時高校生だった私は、これを模写したことがある。

V15 TypeIVのボディの質感、3009 SeriesIIIのシェル、アームパイプの質感はうまく描けなかったけれど、
定規と分度器を使いながら、輪郭だけはしっかりと描いていた。

でも47号はあまり売れなかったのかもしれない。
表紙がアナログプレーヤー関連だったから。

Date: 8月 3rd, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その31)

ステレオサウンド 43号の表紙はセレッションのスピーカーシステムUL6とAGIのコントロールアンプ511。
UL6のウーファーも、31号、35号のJBL同様に白いコーンである。

43号の特集ベストバイでは、(その25)で書いているように、
ひとりしか票が入らなかった機種以外は、すべてに選者のコメント(140字程度)がついていた。

140字は400字詰め原稿用紙の半分にも満たない。
つまり短い。
それでも読み応えを感じていた。
だからこそ夢中になって43号を読んだ。

いまのやり方になってからのステレオサウンドのベストバイは、もう夢中になって読めない。
なぜなのか。
とにかく読み応えを感じない、ということがまず第一にある。

43号の次のベストバイの特集号であった47号。
ここでは一機種あたりのコメントは40字程度しかない。
誌面ではわずか一行。
それでも、いまのステレオサウンドのベストバイよりも読み応えを感じていた。

それはなぜかというと、コメントを書いている人がひとりではないからだ。
ステレオサウンドのベストバイは51号から変っていった。

あるスピーカーシステムをベストバイに選んだ人が五人いたとしても、
コメントを書くのはひとりになってしまった。

47号までは五人が選んだ機種は五人のコメントが読めた。
この違いは、文字数の違いよりもずっと大きい要素である。

Date: 7月 28th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その30)

ベストバイ特集のステレオサウンド 35号は売れた。
にも関わらず一年後のステレオサウンド 39号はベストバイの特集ではなく、カートリッジ123機種の総テスト。
ベストバイ特集の二回目は43号。丸二年経過している。

この43号が、私にとってははじめてのベストバイのステレオサウンドだった。
三回目のベストバイは47号、次は51号、55号、59号……、と定期的に行われていく。

47号から、星の数による点数がつくようになった。
51号から価格帯による区分けが始まった。

35号は1975年6月発売の号だから、すでに40年近く続いている企画なだけに、
ずっと同じやり方ということはなく、変化してきている。

こうやってベストバイという特集をふり返ると、
読み応えとは何だろう、と考える。

私個人にとってもっとも読み応えのあったベストバイは43号である。

いまは12月に発売される号で、ステレオサウンド・グランプリといっしょに掲載されているが、
読み応えは、私は感じない。

ここでいう読み応えとは、単なる文字の数の多さではない。

Date: 7月 27th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その29)

ステレオサウンドは、最初にベストバイを特集した35号の一年前にも、
同じように試聴をしないでつくられるものを出している。
31号の特集「オーディオ機器の魅力をさぐる」である。

たまたまの一致だろうが、31号の表紙はJBLのスピーカーユニット、
35号の表紙はJBLの4350(白いコーン紙のウーファー2230がついている)、
どちらも白いコーン紙が印象に残る。

31号については知らないが、35号は売れた、ときいている。
定期購読者が多いステレオサウンド(少なくとも私が読者だったころ、編集者だったころはそうだった)でも、
号によって売行きは変動する。

意外に私が思ったのは、
表紙がアナログプレーヤー関連のものだと売行きが芳しくない、というジンクスがあったことだ。
カートリッジにしろ、プレーヤーにしろ、とにかくそうなっていたらしい。
私はアナログプレーヤーが表紙になっているほうが、いいと思うのにだ。

35号はアナログプレーヤーが表紙ではない。
ステレオサウンドにとってはじめてのベストバイ特集の号であり、
読者にとってもはじめてのベストバイ特集の一冊であったわけだ。

35号では、いまのベストバイのやり方とは違い、読み応えもあった。
一機種あたりの文字数は100字足らずであっても、選ばれている機種には選んだ人のコメントがあった。
ちなみに瀬川先生はスピーカーシステムを61機種選び、すべてについてコメントを書かれている。
もちろん他の人も同じである。

菅野先生は28機種のスピーカーシステム、岩崎先生は15機種のスピーカーシステムを選ばれている。

Date: 11月 18th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その28)

ステレオサウンドでは、以前セパレートアンプの別冊を出していた。
1981年夏に出たのを最後に、いまのところは出ていない。

私がステレオサウンドで働き始めたのは1982年1月からだったけれど、
1981年のセパレートアンプの別冊の取材の大変さは聞いていた。

試聴室で行った試聴テストも大変だったわけだが、
それに加えて全アンプの測定は松下電器の協力を得て行っている。
そのためすべてのアンプを大阪まで運んでいる。

これがどのくらい大変なことなのかは、
実際にステレオサウンドで働くようになり、特集の試聴テストの準備をしていくとよくわかる。
特に総テストとつく特集のときは、
試聴そのものは楽しくても、しんどさはけっこうなものがある。

ステレオサウンドは総テストをひとつの売りにしていた。
いまは総テストはほとんど行われていない。

なぜ、こんなことを書いたかというと、
あるとき先輩編集者が話されたことがある。
なぜ、ステレオサウンドがベストバイという特集をやったのかについて、であった。

どうしてか、と思う、ときかれて、
いくつか私なりに考えて答えたけれど、私が考えた理由によるものではなく、
取材(つまり試聴テスト)をやらずにつくれる特集をやることで、
編集者の肉体的な負担を減らそう、体を休ませよう、という意図から企画されたものだ、と聞かされた。

これだけが理由ではないだろうし、どこまで信じていいものか、というところもあるけれど、
ベストバイの特集が最初に行われたステレオサウンド 35号、
このころは総テストが当り前のように行われていた時期である。

Date: 7月 26th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その27)

頭をかすめることが多くなってきたことは、
オーディオについて、あれこれ思索することの楽しみを放棄している人が増えている気がする、ということだ。

これは世代には関係あるようで、実はないようにも思えてきた。
私と同じ時代、それよりも前の時代のステレオサウンドを読んできた人でも、
いつのまにか思索する楽しみから離れてきているのではないのか。

先日もそう感じたことがあった。
直接的なことではなかった。
あることについて訊ねられて、それについて答えた。
そして、なぜそうなのかについて説明しようとしたら、
それについてはまったく耳を貸そうとされない。

ただ答だけが、その人は欲しかったわけである。

なぜそうなるのかについては、多少とはいえ技術的なことを話さざるを得ない。
訊ねてきた人にとっては、そんな技術的な細かなことはどうでもよくて、
ただ答がわかれば、それで用事は済むわけだ。

それが効率的といえば効率的という考え方はできる。
とはいえ、答だけを知っていても……、と私は思う。

何がいいのか、何が正しいのか、
その答だけを知りたいから、お金を出して本を買う。
そういわれてしまうと、私が読みたいと思っているオーディオの本、
私がつくりたいと思っているオーディオの本は、面白くない、ということになっても不思議ではない。

答がすべて、答がすべてに優先する。
正しい、確実な答をはっきりと提示してほしい、という読者が多数になれば、
編集者はそういう本をつくっていくしかないのだろうか。

むしろ逆かもしれない。
そういう読者を増やしていく方が、本づくりは楽になる。

Date: 7月 26th, 2013
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その26)

ステレオサウンド 43号の「私はベストバイをこう考える」から読みとれる菅野先生と井上先生の、
ベストバイ(Best Buy)、この誰にでも意味が理解できると思えることについて考え方の違い、
そして重なるところ、このへんについて書いていくと本題から外れていくので、このへんにしておくが、
とにかく、この時代のステレオサウンドは、読者に考えさせる編集だった。

それが意図していたものなのか、それともたまたまだったのかははっきりとはしない。
けれど読者にとっては、内部のそんな事情はどうでもいい、といえる。
面白く、そしてオーディオについて、オーディオに関係するさまざまなことについて、
考えさせてくれる、考えるきっかけ、機会を与えてくれる本であれば、なにも文句はいわない。

私は、そういう時代のステレオサウンドを最初に読んでいままで来た。
だから、いまもステレオサウンドに、そういうことを求めてしまう……。

けれどそういう時代のステレオサウンドを読んでこなかった読者にとっては、
ステレオサウンドに求めるものが、私とは大きく違ってきても当然である。

私は、いまのステレオサウンドを、そういう意味での面白い、とは思わないけれど、
私とは大きく違うものをステレオサウンドに求めている人にとっては、
いまのステレオサウンドは面白い、ということになり、
私がここで書いていることは、旧い人間がどうでもいいことを言っている、ということになろう。

編集者も旧い人間ばかりがいては……、ということになる。
組織を若返らせるためにも、血を入れ換えるように人を採用する。
その採用された人が、そういう時代のステレオサウンドではなく、
そういう時代の良さを失ってしまった時代のステレオサウンドを読んできた人であれば、
そういう時代のステレオサウンドの良さを読者に届けるのは、もう無理なことかもしれない。