Archive for category 世代

Date: 2月 19th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その6)

カセットテープの半速録音・再生があるならば、とうぜんその逆の倍速仕様のデッキも、
ナカミチの680ZXと同時期に、マランツから登場していた。
SD6000である。

メタルテープもすでに登場していたので、メタルテープと倍速録音・再生は、
オープンリールテープの領域に迫ろうとするものであった、はず。
SD6000が登場した1979年は、私はまだ高校生。
聴く機会はなかった。
メタルテープでの倍速、どんな音がしていたのだろうか。

カセットテープの「枠」をこえようとしたエルカセットよりも、
安定感のある音を実現していたのだろうか。
SD6000の発表には、少しは関心をもっていたけれど、すぐに薄れてしまった。

SD6000の筐体はかなり厚みのあるものだった。
当時のLo-Dのカセットデッキと同じように、見た目の印象がお世辞にもスマートとはいえない出来だった。

私の感覚ではカセットデッキだから、もう少し薄くまとめてほしい。
カセットテープ、カセットデッキに入れ込んでいないだけに、音質、性能最優先という選択は私にはなかった。

ヤマハやテクニクスなどが倍速仕様のデッキを開発してくれていたら、
私のカセットデッキへの思い入れもすこしは変っていたかもしれない。
けれど、ナカミチの半速同様、この倍速も消えてしまった。

マランツの場合も理由はナカミチと同じであろう。
日本マランツがフィリップス・グループの一員となるのは翌年のこと。
だからこそ出すことのできた仕様でもある。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その3・余談)

朝型の人間の黒田先生は、ナカミチの680ZXの半速の録音機能を使って、
深夜放送のオールナイトニッポンを録音され、それを聴き、書かれている。
     *
 録音されたものを、翌日になってきいて、本当に驚いた。たしかに声そのものは、中島みゆきの声だった。特徴のあるイントネーションも、そのままだった。しかし、「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、「私の声が聞こえますか」のジャケットにみられる思いつめた表象の中島みゆきとも、「愛していると云ってくれ」のジャケットでの娼婦的な中島みゆきとも、それに、そう、「おかえりなさい」のじゃテットでの中島みゆきは、あたかも、外国旅行にでたオフィス・レディが、いましも服装をととのえて、寝台車から食堂車にむかおうとしているときのようで、中島みゆきの表情も、その雰囲気も、なかなかチャーミングだったが、そういう「おかえりなさい」のジャケットでの中島みゆきとも、むろん「元気ですか」の中島みゆきとも、極端にちがっていた。
「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、あたかも陽気な笑い鳥といった感じだった。はじめ仰天し、やがてこっちも笑いころげた。ちなみにというのが、どうやら中島みゆきの口癖のようで、そのことについて、ちなみという名前の女の子が、私の名前を呼びすてにしないでほしいと、番組に書き送ってきたものを、中島みゆきが読んで、中島みゆき自身も大笑いした。
 その番組の中で、中島みゆきは、実によく笑う。テーブルをたたいて笑うこともある。その笑い声にいささかの屈託もない。まことに用機だ。その笑い声をきいていると、きいている方も一緒に笑いたくなる。そういう笑い声だ。笑いながら、一瞬、ふとわれに
かえって、待てよと思う。あの「元気ですか」の詩を書き、それを低い声で読んだのは、本当にこの女だったのだろうかと考えたりするからだ。
「オールナイト・ニッポン」での中島みゆきは、シンガー・ソングライターの中島みゆきなんてうそっぱちだといいたがっているかのようだ。ときに中島みゆきは、新しく録音中のレコードのことをも、笑いの種にしたりする。
 いかなる人間にも裏と表がある。いつもはとびきり陽気な人間が、ふとした機会に、暗い表情をみせることがある。ひまわりだって影をおとす。と、しても、中島みゆきの場合には、極端だ。「オールナイト・ニッポン」での明の中島みゆきと、「元気ですか」での暗の中島みゆきの、いずれが「虚」で、いずれが「実」なのか、ほとんどみさだめがたい。
     *
私も、この黒田先生の文章を読んでしばらくして、中島みゆきのしゃべりをきいた。
極端にちがっていた。
文字で読んで知ってはいたものの、それでも驚くほどちがっていた。

このころはインターネットはなかったし、当然YouTubeなんてものもない。
もし1980年にYouTubeがあったら、黒田先生のこの文章はどう変っていただろうか、ともおもう。

昨年、YouTubeで中島みゆきのしゃべり(ラジオ放送を録音したもの)を見つけた。
オールナイトニッポンよりも前のものらしい。
北海道での放送のものだった、と説明にあったように記憶している。

ここでの中島みゆきのしゃべりは、オールナイトニッポンでのしゃべりと極端にちがっていた。
女の多面性──、そんなことばで片づけられるとはおもわない。
けれど、黒田先生のことばをかりれば、
いずれが「虚」で、いずれが「実」なのか、ほとんどみさだめがたい。

「虚」「実」とわけようとするから、であって、
わけようとしてはいけない、のだとはおもってもいても、意識は中島みゆきの「虚」と「実」に向いてしまう。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その5)

カセットテープ(性格にはコンパクトカセットテープ)は、フィリップスの特許である。
けれどフィリップスは、このカセットテープの普及のため、特許を無償公開している。

この特許には、テープスピードも(おそらく)含まれているのだと思う。
ナカミチの680ZXだけで半速仕様が終ってしまったのは、
フィリップス側からのクレームだった、ときいている。

無償公開をしている特許であるから、勝手に仕様を変えるな、ということだったらしい。

フィリップスの、この言い分はもっともだと思う。
それでもカセットテープの半速がなくなってしまったのは、
個人的にはカセットテープの楽しみ方の広がりをひとつ潰したようにも感じられる。

オープンリールデッキにはテープ速度が切り替えられるから、
ユーザーの自由によりテープスピードを選べても、
カセットテープに関しては、他社製のデッキには半速モードはない。

テープとは録音した聴き手だけのものではない。
誰かに渡すこともすくなくない。
そうなると半速が混じってしまうことは、混乱を引き起こすことにもつながっていく。
そう考えれば、フィリップスがナカミチにクレームを出したのも理解できる。

680ZXは徒花的カセットデッキだった。
だから、いまも欲しい、と思っている。

Date: 1月 30th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その4)

ナカミチのカセットデッキが、いったいどれだけの機種数があったのか数えたことはない。
カセットデッキの専業メーカーといっていいほどのナカミチだっただけに、かなりの数があった。
にもかかわらず半速の録音・再生可能な機種は680ZXだけだった。

オープンリールデッキではテープスピードの切替えは、当然の機能としてついている。
音質優先であれば速いテープスピードで、音質よりも録音時間を優先するのであれば半分のテープスピードに。
それがカセットテープに関しては4.75cm/secの1スピードだけだった。

テープスピードが落ちれば高域の録音・再生限界周波数は、標準速に比較して低くなる。
もともと制約の多いカセットテープにおいて、テープスピードを半分にすることは、
音質的なことを考えるとデメリットが多すぎる。

ナカミチの680ZXは標準速で30kHzまでカバーする再生ヘッドを搭載、
自動アジマス調整機能などにより、半速でも15kHzまでカバーしている。
音質的なことを抜きにして考えれば、FM放送の高域限界も約15kHzであるから、
680ZXの半速の録音・再生の周波数は、これをカバーしている。

680ZXを聴くことはなかったから、はっきりしたことはいえないものの、
半速での音質も、そう悪くはなかった、と思える。

録音・再生時間が倍になっても、あまりにも標準速での録音・再生より音質が悪くなれば、
半速での録音・再生機能は意味をもたないわけだが、
このあたりは、専業メーカーらしいナカミチのカセットデッキだといえよう。

カセットデッキに半速仕様がつくことで、カセットテープの楽しみ方は増す。
その楽しみ方を、当時はあれこれ想像していた。

680ZXは238000円(1980年)していた。
けっこうな値段であるし、高校生には手の届かないカセットデッキだったから、
もうすこし普及価格帯──、
あまり安いモデルでは半速での音質的に満足できないだろうからそこそこの値段にはなるだろうけど、
そういう製品を期待していたし、他社からも出てこないだろうか、と期待もした。

けれど半速のカセットデッキは680ZXで終ってしまった。

Date: 1月 29th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その3)

ナカミチのカセットデッキには、そういう面があったわけだが、
中には誰にも自分で録音したテープは渡さない、
それにカセットテープを聴くのは録音したデッキのみ、という人もいる。
そういう人にとってはナカミチのカセットデッキの、そういう面はどうでもいいことになる。

すこしばかりナカミチのカセットデッキについてネガティヴなことを書いているものの、
私がいまカセットデッキをなにか一台手に入れるとしたら、ナカミチの680ZXにする。

680ZXは一般的なサイズのものとしては、ナカミチのカセットデッキのなかでも上級機種であった。
価格も、高価な部類にはいる。
フロントパネルは、カセットデッキ(テープ)が好きなマニア向けとでもいいたくなるもので、
私は、デザイン面で、このデッキを欲しいとは思わないけれど、
それでも680ZXを欲しい、と思う理由は、ほかの人にとってはどうでもいいところにある。

ステレオサウンド 54号掲載の黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」では、
中島みゆきについて書かれている。
タイトルは「ちなみに、陽気な失恋鳥」。

このなかにナカミチの680ZXがでてくる。
     *
ふとした機会に、中島みゆきが、「オールナイト・ニッポン」という深夜放送の番組でディスク・ジョッキーをやっているのをしった。中島みゆきが出演するのは、月曜日の夜というか、つまり火曜日の午前一時から三時までの二時間だ。
 それをきいてみようと思った。ところが、困ったことに、ぼくはどちらかといえば朝型の人間で、午前三時までとても起きていられそうにない。それで、やむをえず、カセット・デッキで留守録音をすることにした。幸いなことに、ナカミチ680ZXというカセット・デッキをぼくを持っているので、それで録音することにした。ナカミチ680ZXには、半分のスピード、つまり2・4cm/秒で録音再生できる機構がついているので、C120のカセットテープをつかうと、まるまる二時間の録音ができる。
     *
これを読んだ時から、680ZXって、いいなぁ、とおもっている。
半速(2.4cm/sec)で録音・再生できる、という理由からであり、
黒田先生が、こういう使い方をされていたのを読んで、私もやってみたい、と思ったからである。
なんともミーハーな話なのだ。

Date: 1月 24th, 2013
Cate: 世代

世代とオーディオ(その2)

私は1963年生れだから、主となるプログラムソースはレコード、
つまりアナログディスク(LP)だった。
カセットテープも使っていたけれど、あくまでも買いたいレコードを、
そうたやすく買えるわけではなかったから、その代りとしてのカセットテープであり、
カセットテープでの録音・再生にそれほど夢中になることはなかった。

一通りの知識はもってはいても、
アナログプレーヤーにあれだけのモノを購入したのにくらべると、
カセットデッキは普及クラスの製品を買うに留まっていた。
ナカミチの1000ZXLの音については、
実際に聴いているから知ってはいたものの、欲しい、という気はまったく起きなかった。
あり余るほどのお金があったとしても、カセットデッキにあれだけのモノを買おうとは思わない。

それは価格の点ではなく、カセットテープを聴くのに、あれほど大袈裟な機械を使おうとは思わないだけであり、
カセットテープに対しての思い入れもないからである。

それにナカミチのカセットデッキには、これは欠点ではないものの、
他社のカセットデッキにくらべて、ひとつまずい(ずるい)点があることも確かである。

カセットテープに録音する。
その録音ずみのテープは自分でのみ聴くこともあれば、誰かに渡すこともある。
それに自分だけで聴くにしても、リスニングルームにて録音したカセットデッキで再生することもあれば、
リビングルームでラジカセで、車のなかでカーオーディオで聴くことだってある。

つまり録音した機器で必ずしも再生するわけではない。
ナカミチのカセットデッキは、音の良さ、性能の高さなどで知られている。
ナカミチのカセットデッキで録音したテープをナカミチのカセットデッキで聴く分には、
たしかに、ナカミチのデッキだけのことはあるな、とおもわせる。

けれど他社製のカセットデッキで再生した場合、首をかしげたくなることがある。

どんなデッキでも録音したデッキで再生することが、いい音で鳴ることが多いけれど、
そこには程度ということがあり、それがあまりにも極端であることは、
テープというメディアを考えた場合には、好ましいこととはいえない。

このところが、ナカミチのカセットデッキは、他社のデッキよりも極端であったと感じられた。

Date: 11月 14th, 2012
Cate: 世代

世代とオーディオ(その1)

あれは私が10代のころだったのか、それとももうすこしあとのことだったのか、
ジェネレーションギャップという言葉が、よく使われていた(耳にすることの多かった)時代があった。

あのころにくらべると、いまはジェネレーションギャップを使う人は、
すくなくとも私のまわりにはほとんどいなくなった。
だからといって、ジェネレーションギャップ(世代の違い)がなくなってしまったわけでもなかろう。

オーディオのことだけにおいても、こんなに価値観が違うのかと思うことがある。
Twitterやfacebookをみていると、私より一世代以上若い人たちが、
アナログプレーヤーについて書いているのを読んでいると、よくそう思うことが多い。

もう少し具体的に書くと、あるアナログプレーヤーがネットオークションに出品されている。
これらのアナログプレーヤーの大半は、私がステレオサウンドで働いていたときの現役の製品であって、
ほぼすべてといっていいくらいステレオサウンドの試聴室で実際にふれ、音を聴いている。

私の中には、それらがベースになって、そういったアナログプレーヤーに対する評価軸ができあがっている。

私より一世代若い人たちにとって、それらのアナログプレーヤーは、彼らがそれらの製品、
正確に書けば、それらの製品と同じような価格のオーディオ機器を購入できるようになったとき、
そういったアナログプレーヤーは現役の製品ではなくなっていた。
実物を見る機会も聴く機会も、ずっと少なかったはず。

彼らには彼らの評価軸がある。
その彼らの評価軸と私の評価軸は重なるところもあれば、そうでないところも当然ある。

私だったら、このアナログプレーヤーには、この値段は適正だなと思っていても、
彼らは、とても安い、いいモノを見つけた、という感覚なのだということを、
Twitter、facebookを通じて知る。

そんなときに、これが世代の違いなのかも、と思う。