Archive for category ケーブル

Date: 6月 19th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その4)

「音楽 オーディオ 人びと」の著者、そしてトリオの会長であった中野英男氏が、
ヴァイタヴォックスのCN191を導入されたのは昭和46年5月とある。
それから「五年間私の部屋にあった」わけだから、
本田一郎氏がルーカスのケーブルを持ち出してきたり、
さらにもっと細いケーブルを30m這わせたという話は、1971年から76年にかけてのこと。

このころはマークレビンソンのHF10Cも登場していなかったし、
ケーブルによる音質の変化がオーディオ雑誌でも話題にのぼるようになってきたころと重なる。

ケーブルによる音の違いを言及したのは江川氏だということになっているが、そうとは思えない。
古い本を読んだり、大先輩の方々に話をきいてみると、
かなり以前からケーブルによって音が変化することは当然のこととして認識されていたことがわかる。

どのくらい前から、そうだったのかといえば、かなり古くから、のようである。
菅野先生の著書「新レコード演奏家論」の巻末にインタビュー記事が載っている。
タイトルは「菅野沖彦 レコード演奏家としての70年」で、聞き手はステレオサウンド編集部。

この記事の中で、菅野先生が最初に組まれたシステムの話が出てくる。
菅野先生が高校生のときで、自作当初はまだ78回転のSP盤。
すこし菅野先生の話を引用しておく。
     *
パワーアンプは、3極管やビーム管をいろいろ使いました。2A3から始まって6A2、6L6、6B4Gなどという球をプッシュプルで使い、最後のアンプは5932という球だったかと思います……。巨大な電源トランスを使っていました。ダイナミックスの12インチ・ウーファーはフィールド型でしたから、5Z3や80の整流管でフィールド・エキサイターも作りました。別のシャーシに独立させたプリアンプは12AX7と12AU7をズラッと並べた直流点火方式です。あのこはレコード会社によってイコライザーカーブが異なりましたから、あらゆるレコード会社のイコライザーに合わせられるようにターンオーバーとロールオフを個別のロータリスイッチでそれぞれ組み合わせて調整するというものでした。端子類はRCAプラグやXLRキャノンプラグもなかった時代ですから、多治見というメーカーの多ピンのもの、金属のネジで確実に止められるターミナルにしたり、ケーブルも、太いゴムのキャブタイヤケーブル。雑誌からの知識や先輩が教えてくれる、なるべく良さそうなものを選んで電源とフィールド・エキサイター類とプリアンプ部やパワーアンプをつないだんです。
──ケーブルにも凝られていたのですか。
凝ると言っても、今のケーブル事情とはまったく違いますがね。オーディオコンポーネントなどという商品はまったくない時代ですから。近頃のオーディオファイルのケーブルやターミナルに熱中している状況とはおのずと違うでしょう。いずれにせよあのころとしては、考えつくありとあらゆる部分にこだわったものでした。
     *
菅野先生は1932年の生れだから、高校生の時は1947年ごろから1950年ごろとなる。
その時代で、すでにケーブルによる音の違いは認識されていたことが読み取れる。
ただ、いまほど大騒ぎはしていなかっただけのことだ。

いまのケーブルの在り方は、正直なところ、行き過ぎていると感じている。
それでもケーブルによる音の違いを否定するわけではない。
どんなケーブルでも、ケーブルを変えれば音は大なり小なり変る。
SP盤の時代から、そうであるように。

Date: 6月 11th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その3)

トリオの会長だった中野英男氏の著書「音楽 オーディオ 人びと」からは、何度か引用している。
中野氏はプロの書き手ではないけれど、「音楽 オーディオ 人びと」は最初読んだ時、面白いと感じた。
五味先生、瀬川先生、岩崎先生の本ほどは読み返していなけれども、
ときどき書かれていることを思い出しては、そのことを確認する意味もあって、
ところどころ拾い読みをすることは、いまでもある。

アキュフェーズの会長だった春日二郎氏の著書とともに、これらの本はもっと広く読まれてもいいと思うし、
読まれるべきだと思うこともある。

「音楽 オーディオ 人びと」のなかに「本田一郎君登場」という章がある。
ここにルーカスのスピーカーケーブルのことが出ている。

本田一郎氏がどういう人なのかは、「音楽 オーディオ 人びと」を読んでもわからない。
中野氏も「本田君の歳の程はわからない。生まれ、育ちなど、その前半生の軌跡また定かでない。」と書かれている。
この本田氏が中野氏にルーカスのスピーカーケーブルを推められている。

ルーカスのスピーカーケーブルはどうだったのか。
中野氏はこう書かれている。
     *
私のシステムに関する限り、彼の説は一〇〇%正しく、ルーカス線でアンプとスピーカーを結んでスイッチ・オンした途端、我々は思わず顔を見合わせて笑い出してしまったのである。音の変化はそれほど著しかったし、メーカーの責任者でありながら、今迄なんという音で聴いていたのか、という自嘲を込めた感情が、笑いという形で噴出したのであった。
     *
このころの中野氏はヴァイタヴォックスのCN191に苦労されていたようで、
さらに本田氏によるCN191の鳴らし込みについてもふれられているので、引用しておこう。
     *
その時、本田君が示したクリプッシュ・ホーン対策は際立ったものであった。まず、厚さ一〇センチ余り、重量一〇〇キログラムを超える衝立うふたつ作ってスピーカーの背面に立て、壁と衝立の距離、スピーカーと衝立のギャップを微妙に調整した。さらに、アンプとスピーカーの間を三〇メートル位の長さの細いワイヤーで結び、その長さを一〇センチ単位で調整した。
     *
これらのことによりそれまで冴えた音を出すことがなかったCN191が75点くらいの音をだすようになった、そうだ。

ひとつ断わっておくが、スピーカーケーブルの長さ「三〇メートル」は「三メートル」の間違いではない。
中野氏はリスニングルームは30畳ほどの広さにおいて、
あえて30mの長さの、しかも細いスピーカーケーブルなのである。

Date: 6月 10th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その2)

私が最初につかっていたスピーカーケーブルは、スピーカーシステムに付属してきた、いわゆる赤黒の平行線だった。
このスピーカーケーブルをできるだけ短くして使っていた。
それからこの赤黒のケーブルを2本に割いてしっかり撚ってみたりしたこともある。

スピーカーケーブルを購入したのは、パイオニアのスターカッド構造のもだった。
型番は確かJC200で、1mあたり200円くらいだった、と記憶している。

JC200にした理由は簡単だ。
何度か、このブログで書いているように高校生の頃、欠かさず瀬川先生の、
熊本のオーディオ店でのイベントには行っていた。
そこで、スピーカーケーブルについてふれられたとき、
パイオニアのJC200が比較的いい結果で、
同じスターカッド構造の屋内配線材をスピーカーケーブルとして使っている、ということだった。

スターカッドの屋内配線用のものは入手できなくても、
パイオニアのJC200はすぐに入手できたし、値段も安かった。
2m×2で4mあれば十分。200円×4で800円。

4芯構造とはいえ、JC200は特に太いスピーカーケーブルではなかった。
アンプのスピーカー端子にも、スピーカーの入力端子にも末端処理をすることなくそのまま使えた。

JC200の話をされたころは、まだマークレビンソンのHF10Cは登場していなかった。
ステレオサウンド 53号に瀬川先生は「数ヵ月前から自家用に採用していた」と書かれているからだ。

このころスピーカーケーブルとして記憶に残っているのは、
パイオニアの他には、ビクターから出ていた細い線を編んだもの、
海外製品ではたしかイギリスのメーカーのルーカスがあった。

私がルーカスのことを知ったのは、当時の無線と実験かラジオ技術の広告に載っていたからで、
当時としては珍しい海外製のケーブルだったから、
それがどういうものなのかはまったく分らなくても興味を持っていた。
記事になったことはなかった、と思う。

このルーカスのスピーカーケーブルのことが、
1982年に出た「音楽 オーディオ 人びと」という本の中に登場していた。

Date: 6月 9th, 2012
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その1)

私が最初に買った(というよりも買えたといったほうが正しいのだが)マークレビンソンの製品は、HF10Cである。
HF10Cといっても、そんな型番の製品がマークレビンソンにあったっけ? と思われる方もいよう。
HF10Cとはマークレビンソン・ブランド最初のスピーカーケーブルである。

1979年に登場したHF10Cは、1mあたり4000円した。4万円ではなく4千円である。
これでも当時としては、相当に高価なケーブルだった。最も高価なケーブルでもあった。

1mあたり4000円なんて安いじゃないか、といまの感覚ではそう受け止められるだろうが、
瀬川先生もステレオサウンド 53号に「1mあたり4千円という驚異的な価格」と書かれている。

HF10CはテレビやFM用のフィーダーアンテナのような構造の平行線で、
プラスとマイナスの線がセパレータによって5mm程度離れている。
芯線の数は、これも当時としては驚異的な2500本だった。
芯線1本あたりの太さは髪の毛ほどの細さではあっても、2500本も束ねてあればけっこうな太さだった。

ある時期から登場した、
どんなに太いスピーカーケーブルでもそのまま使えるスピーカー端子なんてものは、このころのパワーアンプには、
どのメーカーのものであってもついていなかった。
だからHF10Cを使うには、なんらかの末端処理が必要になってくる。
マークレビンソンのML2でもHF10Cは末端処理をしなければならなかった。
(もっともML2には末端処理ずみの3mのHF10Cがペアで付属していたはず。)

私が知る限り、これだけの太さのスピーカーケーブルは、他にはなかった。
当時のマークレビンソンのアンプはLEMOコネクター(いわゆるCAMAC規格のコネクター)を、
広く普及していたRCAピンコネクターより、優れて安全なものとして採用していた。
おそらく、このLEMOコネクターのせいであろうが、
マークレビンソン・ブランドのラインケーブルは細かった。

当時のラインケーブルよりもずっと細く(おそらく最も細い)、しかも高価だった。
なのにスピーカーケーブルのHF10Cは最も太かった。