Archive for category audio wednesday

Date: 8月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, 「スピーカー」論, 柔と剛

第68回audio sharing例会のお知らせ(柔の追求・その1)

40年前、私がオーディオに興味を持ち始めたころ、
スピーカーの振動板といえば、まず紙だった。
コーン型ユニットのほぼすべては紙の振動板だった。

ドーム型はソフトドームとハードドームがあったが、
硬い振動板(つまり金属)は、大半がアルミニウムだった。
ヤマハのNS1000Mがすでに登場して、ベリリウムもあったけれど、
金属振動板=アルミニウムだった。

コンプレッションドライバーの振動板も、チタンが登場するのはもう少し後。
こちらもエレクトロボイスやJBLの一部のドライバーに採用されていたフェノール系以外は、
アルミニウムが圧倒的に占めていた。

その数年後、平面振動板が国内各社から登場したころから、
振動板の材質はヴァラエティ豊かな時代へと突入していく。

ソニーの平面振動板のスピーカーシステムが、APMと型番につけていたことからもうかがえるように、
各社ピストニックモーションの追求ということでは一致していた。
APMとはaccurate pistonic motionの略である。

そのため振動板に求められるのは高剛性であること、内部音速の速さがまずあり、
物質固有音を出しにくいということで適度な内部損失も諸条件としてあった。

いわばこれらは剛の追求といえる。
さまざまな材質が振動板に採用され、処理方法も工夫され、振動板の構造も変っていった。
40年前の紙とアルミニウムが大半を占めていた時代からすれば、
剛の追求は、かなりの成果を収めているといえる。

ピストニックモーションの追求が間違っている、とまではいわないが、
ドイツからマンガー、ジャーマンフィジックスのベンディングウェーヴのスピーカーユニットの登場、
これらのユニットが聴かせる音の素晴らしさを体験してから、
剛の追求ばかりでなく柔の追求も、スピーカーの開発にあってしかるべきだと考えるようになった。

柔の追求ということで、各種のスピーカーユニットの原理をもう一度みることで、
ハイルドライバーの存在に気づく。

Date: 8月 3rd, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

今日は新月。
天気は不安定との予報。
暑く不快な日にマーラーだけを聴く。

映画シン・ゴジラの公開。
シンは新なのか、それとも真なのか。

GodzillaとGustav Mahler、
ゴジラの咆哮、マーラーの咆哮。
シン・ゴジラならばシン・マーラーか。

品行方正なマーラーは響かせない。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

マーラーのCD、ご持参ください。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

今月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今回のシステムは、6月に行ったマークレビンソンLNP2の試聴と基本的に同じだ。
スピーカーは喫茶茶会記のシステムの上に、JBLの2441+2397、それに今回は2405も追加する。
ネットワークは直列型6dBで、前回とは違う配線でやろうと考えているのは、
テーマが「新月に聴くマーラー」だからである。

パワーアンプはマッキントッシュの管球式プリメインアンプのMA2275。
プリ・パワーが分離できるので、パワー部のみを使う。

コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2である。
他のアンプでもいいてすよ、と、今回もLNP2を持ってきて下さるKさんは言ってくれているが、
今回もスピーカーのアッテネーターをなしでいきたいので、
どうしてもLNP2のトーンコントロールが不可欠である。

ちなみに他のアンプとは、マークレビンソンのJC2とクレルのPAM2であり、
どちらも試してみたいところだが、そういう事情のためLNP2しかない。

ただひとつ迷っている。
バウエン製モジュールのLNP2かマークレビンソン製モジュールのLNP2か。

昔の私だったら迷うことなく、
マークレビンソン製モジュールのLNP2だけでいいです、と即答していただろう。
それが先々月のaudio sharin例会での試聴で、迷っている。

結局、Kさんのご好意に甘えて、今回もLNP2を二台持ってきてもらうことになった。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 30th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

岡先生が著書「マイクログルーヴからデジタルへ」の上巻で書かれている。
     *
 ぼくの手許に古いLPがまだかなりあり、いまでも年に何度かひっぱり出して聴いている二十五年来の愛聴盤というのがある。その最たるものが、キャスリン・フェリア/ワルター/ウィーンPOのマーラーの《亡き子を偲ぶ歌》(米コロムビアML2187)だ。このレコードは改めていうまでもない名盤なのだが、第一曲のおわりで鳴るグロッケンシュピールの音をはじめて聴いたときの胸のときめきを、いまでもこのレコードをかけるたびに思いだす。LPになってから打楽器の音はSP時代と次元を異にするリアリスティックな再生が行えるようになったのだが、こんなに心にしみとおるような透明なただずまいで聴かれたグロッケンシュピールのピアニシモの響きには、「LPのよさだなあ」と感じさせられたものだった。
     *
フェリアー/ワルターの《亡き子を偲ぶ歌》。
私にとっても愛聴盤なのだが、8月3日当日、これ(CD)をかけるかどうかは迷っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 29th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今日未明(2時ごろ)、ふと空を見あげたら三日月がでていた。
かなり細くなっていて、もうすぐ新月なんだなぁ、と思っていた。
来週の水曜日は「新月に聴くマーラー」である。

関東地方も梅雨明け。
猛暑まではいかないけれど暑い。
おそらく来週の水曜日も同じくらい暑い日になりそうだ。

そんな日に窓のない空間に男が集まってマーラーを聴く、というのは、
マーラーにもオーディオにも関心のない人にどう映ることだろう。

今回はJBLの2405をつないで3ウェイにする。
ネットワークを含めた接続方法も、まだ試していないことをやる予定である。
ぶっつけ本番の要素が強い。
どういう音を響かせてくれるか、予想のつくところとつかないところがある。

あえてそんなふうにして自分のオーディオの力量を試している。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 27th, 2016
Cate: audio wednesday

audio sharing例会(今後の予定)

8月のaudio sharing例会は「新月に聴くマーラー」。
9月7日の例会も音出しに決っている。
ゲストをお招きしての音出しで、
既製品ではないオーディオ機器を中心としたものになる。

8月の「新月に聴くマーラー」が終っていないので、
混同されるのを避けるためにこまかいことはまだ書かないが、
これまでの音出しとは違った面白さがあると、私自身も楽しみにしている。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

先日のaudio sharing例会で、常連のHさんから「藤倉大って、知ってます?」ときかれた。
現代音楽に疎い私は、名前も聞いたことも見たこともなかった。
Hさんの「藤倉大って、知ってます?」は、
藤倉大氏の、さきごろ発売になった「my letter to the world」を聴かれてのものだった。

「my letter to the world」に収録されている録音はもとはライヴ録音ということ。
藤倉大氏にとって、コンサートホールでの音は、
藤倉氏の頭のなかで響いている音とはずいぶん違うものだったらしい。

そのためCDにするにあたって、自分ひとりでマスタリングして、
徹底して頭の中に響いているイメージとおりの音に仕上げていってた、ということ。
細かなことはCDについてくるライナーノートに書いてあるそうだ。

Hさんはもう少しこまかなことまで話してくれた。
その話を聞きながら、マーラーが現代に生きていたら、まったく同じことをやっただろう、と。
そんなことを思っていた。

「新月に聴くマーラー」では、いわゆるコンサートホールで聴ける音によるマーラーではなく、
徹底してオーディオを介在させた音によるマーラーを鳴らしたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: audio wednesday, 表現する

夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・その1)

バーンスタインのマーラーの交響曲第五番のCDを手に入れた日のことは、
以前別項で書いている。

昼休みに行ったWAVEに、ちょうど入荷したばかりだった。
その日は、午後から長島先生の試聴があった。

試聴が始まる前に、長島先生に聴いてもらった。
一楽章を最後まで聴かれた。

このとき同席していた編集者が「チンドンヤみたい」と呟いた。

インバルの第五を好んで聴く彼にとっては、
バーンスタインの第五は、そう聴こえてしまうのか、と思ったことがあった。

この日から十数年経ったころ、
ある人のお宅で、このディスクをかけてもらったことがある。
かけ終って「この録音、ラウドネス・ウォーだね」といわれた。

ちょうどラウドネス・ウォーが、日本のオーディオ雑誌で取り上げられるようになった時期でもあった。
確かに、その人のシステムでは、バーンスタインのマーラーは、芳しくなかった。

この音を聴いたら、あの日、「チンドンヤみたい」といった彼は、
「ほら、やっぱり!」といったであろう。
そういう音のマーラーしか鳴ってなかった。

その人は、あまりマーラーを聴かないのかもしれない。
その人の音には、バーンスタインのマーラーは向いていなかったのかもしれない。

にしても、「この録音、ラウドネス・ウォーだね」はトンチンカンな反応でしかない。
その人のシステムは、ひどく聴感上のS/N比の悪い音である。
特に機械的共振による聴感上のS/N比の悪化がかなり気になる自作のスピーカーだった。

そういうスピーカーだから、オーケストラが総奏で鳴っていると、
聴感上のS/N比が、まったく確保されていない悪さが、ストレートに出てしまう。

ここで疑うべきはどこなのか。
その人はバーンスタインのマーラーの録音だと決めつけていた。

8月3日のaudio sharing例会では、少なくともそんな低レベルの音は出さない。
今日(7月7日)は、マーラーが生まれた日だ。

Date: 7月 7th, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

8月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

8月3日の05時45分は新月である。
以前予告していたように、今回のテーマは「新月に聴くマーラー」である。

照明を落として真っ暗な状態でのマーラーである。
マーラー以外はかけない。
最初から終りまでマーラーだけを聴いていく。

バーンスタインの第五交響曲の第一楽章で始めたい。
ジュリーニの第九交響曲の第四楽章(アダージョ)でしめくくりたい。

この二曲のあいだにかけるのは、参加される方が持ってこられたCDだ。

「新月に聴くマーラー」を4月に思いついたものの、
喫茶茶会記のシステムで、わざわざ新月にマーラーという音が出せるのだろうか、
という不安に近いものがなかったわけではない。

けれど6月のaudio sharing例会でのLNP2の比較試聴で、
これだったらなんとかいけそうな予感がした。

それに今回はJBLの2405も手配できそうである。
6月に鳴らしたシステムの上にトゥイーターを追加する。
もちろん直列型ネットワークを使うから、2405の接続をどうやるのかはまだ決めていない。

2441の上をカットするのか、そのまま出したままにしるのか。
2405のカットオフ周波数はどのあたりに設定するのか。
2405も直列型ネットワークにするのか……、
このあたりをじっくり試聴して検討する時間はとれそうにないから、
当日ぶっつけ本番に近い状態で鳴らすことになるかもしれない。

そんな音出しで、「新月に聴くマーラー」にふさわしい音が出せるのか。
いわば急拵えのシステム、時間のないセッティング、チューニングで、
マーラーの交響曲の真髄にふれるような音が出せるのか。

それでもマーラーの何かがかけらとして、聴いている側に飛んでくるような音は出せる。
そう考えている。
楽観的なといえばそうである。

今回はオーディオ機器の比較試聴ではない。
ただただマーラーを聴くのみである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
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Date: 7月 4th, 2016
Cate: audio wednesday

第66回audio sharing例会のお知らせ(今年前半をふりかえって)

今月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

日曜日の午後、ある方に電話した。
面識はなく、初めて話す人だった。
世代も違うけれど、気がついたら一時間以上話していた。

オーディオという共通の話題があればこそ、である。
オーディオの話(語り合うの)は、ほんとうにおもしろい。
オーディオ機器のことだけ話しても楽しいけれど、
オーディオの世界は多岐にわたっていて、広く深いものだから、
どこまでも話していける世界である。

それが趣味というものだろうが、
オーディオは他の趣味以上にそういう色が濃いともいえる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
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Date: 7月 4th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その12)

これまでにも何度となく聴感上のS/N比について書いてきた。
これからも何度となく書いていくと思う。
そのくらい聴感上のS/N比は重要なことである。

聴感上のS/N比というくらいだから、物理的なS/N比がある。
測定データとしてのS/N比である。

LNP2のインプットアンプのゲインはNFBによって切り替えられている。
ということはゲインを0dBにした状態で、NFB量は最大になる。
20dBと0dBとでは、NFB量は20dB違うわけだ。

NFBをかけることでS/N比も改善される。
ならばインプットアンプの物理的なS/N比は0dBが、もっとも良くなる、といえる。

さらにアンプ全体のS/N比はレベルダイアグラムも関係してくる。
インプットアンプのゲインを高くするということは、
このアンプの手前にあるポテンショメーター(INPUT LEVEL)を、その分絞ることになる。

つまりインプットアンプに入力される信号レベルは低くなり、その分S/N比的には不利になる。
ノイズ量が同じならば信号レベルが高い方がS/N比は高くなるのだから。

インプットアンプのゲインを0dBにしたほうが、物理的なS/N比に関しては有利である。
測定してみれば、違いは出てくるはずである。
頭でっかちな聴き手であれば、ゲイン0dBで使う方が、S/N比が高いからいいに決っている──、
となるのかもしれない。

LNPはLow Noise Pre-amplifierを意味しているのだから、
それをインプットアンプのゲインを高くして、ポテンショメーターでゲイン分だけ絞るような使い方は、
本来的な使い方ではない、という人がいるかもしれない。

けれどLow Noise Pre-amplifierだから、こういう使い方ができるともいえる。
つまり聴感上のS/N比をよくする使い方(ゲイン設定とレベル設定)ができる。

Date: 6月 29th, 2016
Cate: audio wednesday

第66回audio sharing例会のお知らせ(今年前半をふりかえって)

7月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

昨日のブログにも書いているように、
電話で約二時間、オーディオについて語り合っていた。

今年のaudio sharing例会は、音出しをメインに行っている。
音出しは楽しい。
けれどオーディオの楽しさは、語り合うことにもあるんだ、ということを、
電話で話しながら、改めて感じていた。

一方的にオーディオのことを話すのではなく、語り合うことの楽しさ。
今回は音出しのことも含めて、語り合える場にできれば、と思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
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Date: 6月 18th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その11)

アクースタットのModel 3を聴いたとき19歳だった。
欲しい、と思ったことは告白しておく。
無茶苦茶高価なスピーカーではなかったから、かなり無理すれば手が届かないということはなかった。

若かったから、そういう無茶もやれないわけでもなかった。
それでも欲しい、と思いながらも、欲しい! とまではいかなかった。

若さは馬鹿さで、突っ走ることはしなかった。
それはなぜだろう、と時折考えることもあった。

ある日、ステレオサウンドのバックナンバーを読んでいた。
32号、チューナーの特集号を読んでいた。

伊藤先生の連載「音響本道」が載っている。
32号分には「孤独・感傷・連想」とある。

タイトルの下に、こう書いてあった。
     *
孤独とは、喧噪からの逃避のことです。
孤独とは、他人からの干渉を拒絶するための手段のことです。
孤独とは、自己陶酔の極地をいいます。
孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なものです。
ですから、孤独とは極めて贅沢な趣味のことです。
     *
ここのところを読み、なにかしら感じた人は、ぜひ本文も何らかの機会に読んでほしい。

私がそうだ、これだったのか、と思ったのは、
《孤独とは、酔心地絶妙の美酒に似て、醒心地の快さも、また格別なもの》のところだ。

醒心地の快さ──、
私はアクースタットのModel 3から感じとることができなかった。
だから欲しい! とはならなかった、といまはおもう。

Date: 6月 16th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その10)

ステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)で、
黒田先生は”Friday Night In San Francisco”について、こう語られている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
まさしく、この通りの音がアクースタットのコンデンサー型スピーカーから鳴ってきた。
《会場のざわめく響き》が拡がる。
もうこの時点で耳が奪われる。
そのざわめきの中から、ギターの音が、まさしく《弾丸のごとく》飛び交う。

私は黒田先生とは逆にアクースタットで聴いた後に、JBLのスピーカーで聴いた。
確かにスペクタキュラスな感じは、聴きとりにくかった。

アクースタットの音は、新しい時代の音だ、といえた。
では、全面的にJBLのスピーカーよりも優れているのかといえば、そうではない。
いつの時代も、どのオーディオ機器であれ、すべての点で優れている、ということはまずありえない。

アクースタットの音は、黒田先生も指摘されているように、
かなり内向きな音である。
それこそ自分の臍ばかりを見つめて聴いている──、
そんなふうになってしまいそうな音である。

いわゆるコンデンサー型スピーカーというイメージにつきまといがちな、
パーカッシヴな音への反応の苦手さ、ということはアクースタットからはほとんど感じられなかった。

けれど《三人のプレーヤーの指先からとびだす鉄砲玉のような、鋭く力にみちた音》かというと、
ここには疑問符がつかないわけではない。

黒田先生は「コンポーネントステレオの世界 ’82」で、
パコ・デ・ルシアがきわだってすばらしく、
ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかな、と書かれているが、
その後、このディスクを手に入れて自分で鳴らしてみると、
アクースタットでの、あの時の音は、パコ・デ・ルシアの音がちょっと弱いかな、
と思わせてしまうところがあったことに気がつく。

順番が変るわけではないから、
ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかな、が、もう少し弱くなる。

こんなことを書いているが、
アクースタットで初めて聴いた”Friday Night In San Francisco”の音は、
私にとって、このディスクの鳴らし方のひとつのリファレンスになっている。

Date: 6月 15th, 2016
Cate: audio wednesday, LNP2, Mark Levinson

LNP2になぜこだわるのか(その9)

”Friday Night In San Francisco”のことを、まったく知らないわけではなかった。
1981年12月に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’82」の巻末に、
「オーディオ・ファンに捧げるNEW DISC GUIDE」というページがある。

黒田恭一、歌崎和彦、坂清也、安原顕、行方洋一の五氏が、
1981年に発売された新譜レコードから、演奏だけでなく、録音・音質の優れたものを選ぶ、という記事。

黒田先生が挙げられていたのは、まずカラヤンの「パルジファル」。
そうだろうと思いながら読んだ。
ステレオサウンド 59号でも、この「パルジファル」について書かれていたからだ。

この他に六枚のディスクを挙げられていて、
その中に”Friday Night In San Francisco”があった。
     *
「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」(CBSソニー30AP2136)をとりあげておこう。ノーマルプライスの盤(25AP2035)でもわるくないが、とりわけ音の力という点で、やはりひとあじちがう。一応500円の差はあるようである。それで「マスターサウンド」シリーズの方のレコードをあげておく。
 アル・ディ・メオラ、パコ・デ・ルシア、それにジョン・マクラフリンがひいている、ライヴ・レコーディングによるギター・バトルである。ライヴ・レコーディングならではの雰囲気を伝え、しかも三人のプレーヤーの指先からとびだす鉄砲玉のような、鋭く力にみちた音がみごとにとらえられている。パコ・デ・ルシアがきわだってすばらしく、アル・ディ・メオラがそれにつづき、ジョン・マクラフリンはちょっと弱いかなといった印象である。
 冒頭の「地中海の舞踏/広い河」などは、きいていると、しらずしらずのうちに身体から汗がにじみでてくるといった感じである。このトラックはパコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラによって演奏されているが、まさに火花をちらすようなと形容されてしかるべき快演である。音楽もいいし、音もいい。最近は、とかくむしゃくしゃしたときにはきまって、このレコードをとりだしてかけることにしている。
     *
読んではいたけれど、その日まで”Friday Night In San Francisco”のことは忘れていた。
アクースタットのModel 3から鳴ってきたパコ・デ・ルシアとアル・ディ・メオラ、
このふたりのギターの音に衝撃を受けて、聴き終ったころに、そういえばと思い出していた。