Archive for category 1年の終りに……

Date: 11月 16th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(番外)

別項「オーディオと偏愛」で、ルコントのことを書いている。
私の大好きなケーキ店がルコントだ。

別項で書いているように、2010年に閉店し、2013年に復活した。
規模は縮小しての復活だったけれど、あきらめていたルコントの洋菓子が、
ふたたび食べられるようになったのは、
ルコントと同じくらいに大好きだった和菓子の三はし堂が、
やはり一度閉店しての復活だったのと同じで、やはり味のわかる人がいる──、
そうおもえて心強かった。

けれど三はし堂も、この店のことも別項で書いているが、
二度目の閉店でもう復活することはないだろう。
ルコントも、今年8月で全店が閉店した。

その前から、少しずつ店舗が減っていたから、厳しいのかなぁ、とは心配ではあった。
こういう不安だけは的中する。

おそらくもうルコントの洋菓子を食べることはないだろう。
予想できていたことだから、とてもさびしいというほどではないが、
私にとってルコントの洋菓子にかわる存在は、いまのところない。

東京には、いくつの洋菓子店があるのかわからないほどある。
デパートの食料品売場のフロアには、そういう店が入っている。

そういう店の洋菓子と比較すると、
いまとなってはルコントの洋菓子は地味な見映えだったような気もする。

そうであったとしても、変らぬ魅力を維持していたとも感じていた。

Date: 11月 11th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その3)

今年はなんといっても、メリディアンとジャーマン・フィジックス、
私の好きな、この二つのブランドが、日本市場に戻ってきたことがいちばんである。

海外ブランド、海外製品に関しては、輸入元がどこか、というのは、とても大事なことである。
高級オーディオのブランドばかり取り扱っているからといって、
その輸入元がよい輸入元とはいえないのが現状だ。

私は、好きなブランドの取扱いがステラ/ゼファンに移ってしまうと、
よりによってステラ/ゼファンなのかぁ、と毎回心の中でつぶやいている。

ジャーマン・フィジックスがステラ/ゼファン扱いにならなければ──、
どうしてもそう思ってしまうし、これだけではない。
他にもいくつか挙げることができる。

ステラ/ゼファンは飽きっぽいというか、冷淡なのか。
商売にならないと判断したら、取扱いをやめる。
商売だからしかたない──、
そうなのだろうが、ジャーマン・フィジックスのようにタイムロードがそれまで扱ってきて、
大切にしてきたブランドを、いわば横取りするようにして扱いはじめる。

そしてポイ捨て。
そんなふうには取り扱っていない、と反論されそうだが、
ジャーマン・フィジックスの音に惚れ込んでいる私にとっては、そう見える。

とにかくジャーマン・フィジックスとメリディアンが戻ってきた。

Date: 11月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その2)

2021年をふりかえって(その4)」で、メガネを新調したことを書いた。
川崎先生デザインのACTシリーズのなかから、ACT-Treeを選んだ。

2021年をふりかえって(その5)」で、
ACT-Threeにしてからの日々は、第三幕ということになるのか、とも書いた。

別項「終のスピーカーがやって来る」を書いていると、
第三幕なのかもしれない、と思ったりする。

Date: 11月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その1)

一昨年は、11月8日から「2020年をふりかえって」を書き始めた。
昨年は、11月1日から「2021年をふりかえって」を書き始めた。
今年は今日からだ。

今年、マドンナの新譜が出た。
“Finally Enough Love: 50 Number Ones”である。
TIDALでは、このアルバムはPopのところではなく、Danceのところで扱われている。

e-onkyoでもロック/ポップスではなく、クラブ/エレクトロニカのところだ。

マドンナのファンではないが、まったく聴いていないわけでもない。
耳にすることはあった。

以前、マドンナはQueen of Popと呼ばれていた。
だからPopなのだと思っていたら、いつしかDanceである。
いつからそうなのかは知らないが、時代は変っている──、そのことに驚いていた。
他の人はどうかはわからないが、私には、このことはけっこうな驚きだった。

このことをどこかで書こうと思いつつも、
唐突に、どこかのテーマで触れるのは無理があるな、と思っていたので、
ここで書くことにした。

Date: 12月 31st, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年の最後に

このブログでは、つねに複数のテーマで書いている。
今年、それも終りが近くなって気づいたことは、
すべてのテーマとまではいわないものの、多くのテーマに共通していることがある、こと。

耳に近い(遠い)、心に近い(遠い)ということだ。
音もそうだし、音楽もそうである。

私は、耳に近い音、耳に近い音楽よりも、
心に近い音、心に近い音楽をとる。

どんなに耳に近い音であっても、心に遠い音であれば、
若いころならいざしらず、心に近い音をとる。

「目に遠く、心に近い」、
これはインドネシアのことわざらしい。
そのことについて触れたのが、2015年である。
「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その2)』で触れている。

それから六年半ほどかけて、「心に近い」ということがどういうことなのかを実感している。
今年は、心に近い音、心に近い音楽だけではない、
心に近い人に関してもそうだった。

十数年、このブログを書いてきて、
「心に近い」、そのことの大切を感じていた一年といえる。

Date: 12月 24th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その20)

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

以前にも書いていることのくり返しなのだが、本気でそう思っていた時期があった。
30代前半のころだから、いまから二十年以上の前のことだ。
親しい友人にも、そう言っていた。

本気だったのに、そのとおりにしなかったきっかけは、すでに書いている。
川崎先生のDesign Talkと出逢っていなければ、読みつづけていなければ、
ずっとこのままきていたかもしれない。

それに瀬川先生の著作集をなんとかしたい、というおもいが、
ステレオサウンドを離れてからずっとあったことも、深く関係している。

30代後半のころ、インターネットが普及の兆しを見せ始めていた。
ウェブサイトを自分でつくるアプリケーションも出始めてきた。

このことがなければ、もしかすると、じっとそのままで、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」といい続けていたかもしれない。

いくつかのきっかけが重なっての2000年8月にaudio sharingの公開だった。
公開後も、いろんなことがあった。

もしaudio sharingをつくっていなかったら、公開していなかったら──、
オーディオの才能を自分のためだけに使っていたら──。

audio sharingの公開後の人との出逢い。
ある人と出逢い、その人との出逢いで、また別の人と出逢う。
六次の隔たり、という仮説の実感でもある。

そうやっての2021年10月7日の巡り逢せは、
オーディオを続けてきてよかった、と心底から実感している。

Date: 12月 23rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その19)

その13)で、誰か「ゲスの壁」を書かないだろうか、と書いた。

ゲスは、下司、下種、下衆と書く。
どう書くのがいいのか、あれこれ考えて結局ゲスにした。

辞書には、品性が下劣なこと、また、そのような人やさま、とある。
品性が下劣であっても、知識だけは豊富な人も、私にいわせればゲスである。

本を数多く読んでいる人でも、ゲスな人は残念ながらいる。
どうしてなのだろうか、としばらく考えたことがある。

なんとなくではあるが、こういうゲスな人に共通しているのは、
上書きしかできないのではないだろうか、ということだ。

Date: 12月 19th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その18)

別項でもなんどか書いている「心に近い(遠い)」。
このことを今年は、改めていろんな機会に考えていた。

心に近い音、心に近い音楽、そして心に近い人。

Date: 12月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その17)

ソーシャルメディア、ほぼ毎日眺めていて、
オーディオのことだけでいえば、着弾と出音という単語が、
よく使われるようになったと感じた。

着弾と出音。
私は、どちらも使わない。これからも使うつもりはないが、
使う使わないは、その人が選ぶことであって、とやかくいうことではない──、
とわかっていても、なんだか違和感のようなものをおぼえてしまう。

手に入れたいモノが届く──、
その嬉しさを着弾という単語で表現しているのはわかっている。
でも、もう少しマシないい方はないのか、とも思う。

出音。
こちらは、語感が悪いと感じる。
出音。もうこれだけで私は悪い印象を受けてしまう。

なのに「いい出音だった」みたいな使われかたを見かけると、
へぇ……、という印象しか残らない。

世代の違いなのか、とも思うこともあったけれど、
ソーシャルメディアでは投稿している人の年齢がはっきりとわからないこともあるが、
意外にも若い世代の人だけでなく、けっこう上の世代の人も使っているようだ。

来年以降は、オーディオ雑誌でも、着弾、出音が使われ始めるようになるのか。
それとも、もう使われ始めているのか。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その16)

Kindle Unlimitedで読めるようになるまで待つつもりだったけれど、
ステレオサウンド 221号のベストバイで、JBLの4309がどう扱われているのか、
それだけが気になって、このところだけを立読みしてきた。

4309の評価はまずまず高かった。
黛 健司氏が、220号での新製品紹介記事に続いて、コメントを担当されている。
まぁ、そうだろうな、と思う。

その文章には、八城一夫、ベーゼンドルファーと出てくる。
ベストバイの一機種あたりのコメントの文字数は少ない。
その制約のなかでの表現なのはわかっている。

それでも、八城一夫、ベーゼンドルファーが、何を意味しているのか、
すぐにわかるのは、私ぐらいがぎりぎりの世代であろう。

私より若い世代になると、何のことだろうか──、となるであろう。
いうまでもなく菅野先生録音のことである。

オーディオラボのレコード(録音物)を聴いてきた、
少しでもいい音で鳴らそうとしてきた人ならば、
八城一夫、ベーゼンドルファーが意味するところを掴める。

こういう書き方をした黛 健司氏に対して何かをいいたいわけではない。
この文章をそのまま掲載したステレオサウンド編集部に、何か言いたいわけでもない。

ただ、そのまま掲載したということが意味するところを考えてみてほしい。
それで意味がわかる人が多い、という判断なのだろう。
つまり、ステレオサウンドの現在の読者の中心年齢層がどこなのか、である。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その15)

来週月曜日に、ステレオサウンド 221号が出る。
けれどKindle Unlimitedで221号が読めるようになるのは先のことで、
たぶん来年になってからのはず。

なので217号から220号までの四冊をKindle Unlimitedで読み返して、
2021年に登場した新製品で、どれをいちばん聴きたいのかをふり返っていた。

私が聴きたいと思ったのは、JBLの4309である。
220号の新製品紹介で、黛 健司氏が書かれている。

4309の黛 健司氏の文章は、いい。
黛 健司氏の文章すべてがそうだとは言わないけれど、
読んでいると、瀬川先生の文章をよく読んでいる人の文章であり、
ただ読んでいるだけでなく、よく研究している人の文章でもある、と感じることがある。

4309の文章が、まさにそうだった。
ゆえに聴きたい、と思わせてくれた。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その14)

CR方法については、何度も書いてきている。
2020年いっぱいで終ってしまったaudio wednesdayでは、
CR方法のあるなしの音の変化を、何度か聴いてもらっている。

今年は、CR方法についてのメールを、数人の方からいただいた。
実際に試してみて、効果があった、というメールが数通。

試してみたいけれど、
既製品のスピーカーをいじることには抵抗を感じる、というメールもあった。
そうだろうなぁ、と思うし、同じ人は少なくないとも思う。

友人の一人も、ようやくやってみた、と言っていた。
効果に驚いた、とも言っていた。

とにかく今年はCR方法への反応があった。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その13)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)」で、
ゲスの勘ぐり、と書いた。

「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。

そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その12)

去年(2020年)は、五味先生の没後40年であり、
今年(2021年)は、生誕100年である。

1921年12月20日なので、あと二週間で、ちょうど百年。

百年の年に、私は五味先生の享年と同じ歳になった。
他人にはどうでもいいことであっても、
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に入った私には、
いろいろとおもうことがあった一年だった。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その11)

今年(2021年)は、瀬川冬樹没後40年ということもあって、
ステレオサウンド 220号には、
『没後40年 オーディオの詩人「瀬川冬樹」が愛した名機たち』が載っている。

一年半前のステレオサウンド 214号には、
五月女 実氏の「五味康祐先生 没後40年に寄せて」という記事が載った。

けっこうなことである──、
と思いつつも、
2017年のステレオサウンドには、
岩崎先生の没後40年に関する記事が、どうしてなかったのか。
そのことを今年は思ってしまった。

2027年発売のステレオサウンドに、没後50年ということで岩崎先生の記事が載るのだろうか。