2022年をふりかえって(その12)
今年は2022年。
2002年12月から二十年が経った。
2002年12月8日の午前中、私は菅野先生のお宅に伺っていた。
ドアのチャイムを押すと、菅野先生がドアを開けてくださったのだが、
その時の菅野先生の顔は、いつも違っていた。
体調を崩されたのか、と最初思ったし、日を改めた方がいいかも──、
そんなことを思いもしたけれど、そんな感じではなかった。
沈痛な面持ちとは、このときの菅野先生の表情をいうのだと、思った。
そういう表情だった。
そして「朝沼くんを知っているか」ときかれた。
朝沼予史宏氏のことだ。
もちろん知っていた。
朝沼予史宏氏はペンネームである。
「沼田さん(本名)は知っています」と答えた。
「そうか……」とぼそりといわれた、と記憶している。
そして「朝沼くんが亡くなったんだよ」と続けられた。
このころ、朝沼予史宏氏は、
Stereo Sound Grand Prixの前のComponents of the yearの選考委員の一人だった。
けれど降ろされていた。
そのこともあって、一部のオーディオマニアは、
菅野先生が朝沼予史宏氏の才能をつぶそうとして、
選考委員から外した──、そんなことをいっている人がいたし、
インターネットの掲示板に匿名で書きこむ人もいた。
そんなことを聞いた人、読んだ人は、どう思ったのか。
それを事実だとおもってしまったのかもしれない。
そんなことは絶対にない。
あの日の、菅野先生の表情を、私ははっきりと思い出せるし、
菅野先生から、この件について聞いてもいるから、そう断言できる。