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Date: 2月 18th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3)

いまの時代、剣豪はいない。
だからいまの時代、自殺できない人がいるとすれば、それはまわりが死なせてくれない人だろうと考えた。
どういう人がそうなのか。

ジャクリーヌ・デュ=プレは1971年(26歳のとき)から指先の感覚が鈍くなる症状が出始めていて、
1973年には多発性硬化症と診断され演奏家としてピリオドが打たれている。

私がデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴いたとき、すでに彼女は現役の演奏家ではなかった。
デュ=プレが多発性硬化症だったことを知ったのが先だったのか、エルガーの協奏曲を聴いたのが先だったのか、
なぜか記憶が曖昧になってしまっているが、
とにかくデュ=プレのエルガーをはじめて聴いたときの衝撃は、いまでもはっきりと憶えているほどに強烈だった。
胸がしめつけられる、とはこういうことなのか、とも感じていた。

EMIはいちどもデュ=プレのエルガーの協奏曲を廃盤にはしていない、ともきいている。
イギリスのクラシック音楽を愛好する人たちにとって、デュ=プレはほんとうに特別な存在なのだろう。

バレンボイム指揮によるプロコフィエフの「ピーターと狼」のナレーションを
デュ=プレがやっているニュースを知ったとき、もうチェリストとしてのデュ=プレのレコードは聴けないのか。
誰か多発性硬化症の治療法を見つけ出さないのか、とも思ったこともある。
ほんの一時期の気の迷いであったのかもしれないが、医学の道に進んで治療法を……と考えていたことすらある。

私ですらそんなことを考えていたのだから、デュ=プレのまわりにはそういう人がいたことだろう。
実際に、いろんな人がいろんなことを言ってきた、ということも本で読んだことがある。
多発性硬化症は体の自由が奪われるから、デュ=プレの傍にはつねに彼女の世話をする人もいる。

もしデュ=プレが自殺を考えていたとしたら……、そんなことを「喪神」と絡めて思ったわけだ。
デュ=プレが自殺を考えたことがあるのかどうかはわからない。
あくまでも考えた、もしくはデュ=プレのような境遇の人が自殺を考えた、としよう。

多発性硬化症の進行によって体の自由がきかなくなっていくわけだから、
試みることすら困難なこととであろうし、もしなんらかの方法で実行したとしても、
ひとりでいることのできない身体だから、すぐに見つかり死ぬことはできない。

五味先生は「喪神」で、「自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせる」ことにされた。
デュ=プレの場合はどうすればよいのか。そのことを考えていたことがある。

Date: 2月 17th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その2)

「私の好きな演奏家たち」は遺稿集となった「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)に収められている。
「私の好きな演奏家たち」の、このくだりを読んだあとしばらくして頭に浮んできたのは、
「喪神」について書かれた五味先生の文章のことだった。

これは「オーディオ巡礼」(ステレオサウンド刊)の「オーディオと人生」のなかで書かれている。
五味先生が世に出る機縁となった、そして芥川賞受賞作でもある「喪神」のモチーフとなったのは、
西田幾太郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験とある。
     *
ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に早いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験とは、意志が働く以前のことで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは線上で考え続けていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
一方、私はキリスト教神学を学んだときのことを思いあわせた。キリスト教が、我々人間に禁じている唯一のものは、自殺である。なぜそれがいけないか。誰にでもできるからにちがいない。私は、かつて貧乏のどん底にいて、俺にいますぐできることはなんだろうか、と考えたことがある。そのとき即座に頭に浮んだのが、自殺だった。名古屋へ行きたいと思っても旅費がない。徒歩で行くとしても、その間の食料を考えなくてはならない。パチンコをはじいてみても、玉はこちらの思うとおりにはころがってはくれない。つまり世の中で、貧乏のどん底にいる人の自由になるものは何もない。しかし死のうと思えば、いつでも、誰でも人は自殺することだけはできる。それでキリスト教は自殺を禁じたのだろうと考えていた。そこで、自殺のできない男というものを想いえがいた。
わが身を護るために、人を斬ってきた男が、やがて純粋経験で人を斬るようになる。これはもう、己の意志で斬るのではないから寝ているときに背後から襲われても、顔にとまった蝿を無意識に払いのける調子で、迫った刃を防禦本能でかわし、反射的に相手を仆してしまう。しかも本人は仆したことさえ気がつかない。ここに私は目をつけた。どんな強敵が襲いかかってきても、相手を倒すことのできる男、そこまで習練を積んだ男が、もし、おのれに愛想をつかして、自殺を思い立ったら、どうしたらよいか。自分の腹に短刀を当てようとした瞬間、純粋経験が働いて、夢遊病者のように短刀を抛り出してしまうだろう。そのことを自分で気がつかずにいるだろう。そんな男が死ぬには、どうすればよいか。自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせるよりほかない。
     *
この文章を何度目かに読んだときに、五味先生は自殺できない人間として、一人の剣豪に托して書かれたわけだが、
いまの時代、自殺できない人間は、どういう人だろうか、と思ったことがある。

思いあたったのは、ジャクリーヌ・デュ=プレだった。

Date: 2月 16th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その1)

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。」
と五味先生が、「私の好きな演奏家たち」のなかで書かれている。

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事」を「持つ」者は、
死ねない人生を歩むことになるのだろうか。

Date: 2月 15th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その4)

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、DSS731の周波数特性は、もうひとつ載っている。
それはMFB量による周波数特性の違い、である。
MFB量が0dB、0.5dB、5dB、10dB、15dBのカーヴが載っていて、
0.5dBのMFB量では3kHzあたりにゆるやかな山ができていて、高域はほぼ0dBのときの特性と重なる。
低域はMFB量0dB時よりは伸びているが20Hzまでフラットとはいかない。
MFB量5dBで、3kHzの山はほとんど平坦に近くなり、10dB時全帯域にわたりほぼフラットな特性となる。
高域の伸びも低域の伸びもあきからに改善されている。
15dBでさらにフラットな特性にはなるものの、かわりに20kHz以上にピークが発生するようになる。

MFB量による周波数特性の変化の実測データがあるということは、
カッターヘッドのドライブアンプ側にMFB量を可変できる機能がついている、ということだろう。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、カッターヘッドのドライブアンプについての表もある。
この表は詳細は書いてないものの、ビクターで使われているもののはず。
表をみていくと、ビクターでは純正のアンプの他にビクター製のアンプも使われていることがわかる。

ノイマンSX68にはノイマン純正のSAL74、
このアンプはトランジスターの準コンプリメンタリーのOCL型で出力トランジスターは3パラレル。
最大出力は600W、ピーク出力は230V p-p, 8Aとなっている。
この他にビクター製の、
出力管にテレフンケンのEL156を使用したパラレルプッシュプルで出力は200Wの真空管式のものも使われている。
SX74には純正のSAL74のほかに、
ビクター製のトランジスターアンプ、これは純コンプリメンタリーの出力トランス採用のもので、出力は300W。

ウェストレックス3Dには、純正の真空管式。
これは出力管に807をパラレルプッシュプルで使い、100Wの出力をもつ。
3DIIAにはビクター製の真空管式。ただしSX68用のものとは多少異るEL156のパラレルプッシュプルだ。
出力は200Wと同じだが、SX68用のモノはトランスに専用の巻線をもうけたカソードNFをかけているのに対し、
3DIIA用のアンプは無帰還となっている。
そのためSX68用のアンプは、高調波歪率:1%以下(200W時)、混変調歪率:0.3%以下(100W)だが、
3DIIA用のアンプは、歪率:2%以下(200W)となっている。

オルトフォンDSS731には、
純正のトランジスターの準コンプリメンタリーのブリッジ構成のもので出力は500Wが使われている。
このアンプはオルトフォン・ブランドとなっているが、
おそらくオルトフォンと同じデンマークのB&Kによる設計・製作である。

Date: 2月 15th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その57)

アンプの設計者には、どちらかといえばプリアンプに妙味を発揮するタイプの人と、パワーアンプの方が得意な人とに分けられるのではないかと思う。たとえばソウル・マランツは強いていえばプリアンプ志向のタイプだし、マッキントッシュはパワーアンプ型の人間といえるだろう。こんにちでいえば、GASの〝アンプジラ〟で名を上げたボンジョルノはパワーアンプ型だし、マーク・レビンソンはどちらかといえばプリアンプ作りのうまい青年だ。
     *
ステレオサウンド 52号の特集の巻頭言「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」のなかに、
瀬川先生はこう書かれていた。
このとき、私はまだGASのアンプ(ボンジョルノのアンプ)を聴く機会はなかった。
だから、この瀬川先生の言葉をそのまま信じていたし、
実際にGASのラインナップをみても、パワーアンプの方を得意とするメーカーのようにも自分でも感じていた。

GASを離れてSUMOをつくったボンジョルノは、The PowerとThe Goldを発表した。
しばらくしてThe Powerの弟分にあたるThe HalfとThe Goldの弟分のThe Nineも出した。
このことも、ボンジョルノはパワーアンプ型のアンプ・エンジニアだ、
と思い込むことに私のなかではつながっていた。

だからパンダThaedraが欲しかったのは、ボンジョルノにはたいへん失礼なことではあるけど、
フロントパネルのユニークさに惹かれて、が大きな理由だった。

マークレビンソンのLNP2やJC2とくらべると、
Thaedraは高さのあるシャーシーに、独特のレイアウトのコントロールアンプであり、
どちらが精緻な印象をあたえるフロントパネルかといえば、
LNP2と答える人はいても、Thaedraの方だ、と答える人はおそらくいない、と思う。

いかにも繊細な音を出してくれそうな、そして実際に出していたLNP2と、
ユニークで、しかもアメリカ的な(マッキントッシュの与えるアメリカ的なものとはまた違う)、
といいたくなるThaedraとでは、
私のなかでは正統派のコントロールアンプの最上級のところにLNP2がいて、
Thaedraはすこし外れたところにいるアンプ。
コントロールアンプとしてコントロールする、その操作に伴う精緻な感覚にただ憧れていた私には、
LNP2のマーク・レビンソンはコントロールアンプ型、
ユニークではあっても……のジェームズ・ボンジョルノは、どちらかといえばパワーアンプ型、
そんなふうに思っていたから、The Goldと接いだときの音は、意外だったのだ。

Date: 2月 14th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その3)

ウェストレックスの3DIIA、ノイマンのSX74の周波数特性は、
誠文堂新光社から1976年に無線と実験、初歩のラジオ別冊として出された
「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に載っている。

この本は日本ビクターの音響技術研究所所長の井上敏也氏による監修で、執筆者は34名。
おそらく大半の人が日本ビクターの方々だろう。

この「プレーヤー・システムとその活きた使い方」には、SX74、3DIIAのほかに、
オルトフォンのDSS731の周波数特性も載っている。
DDD731はCD4用に開発されたカッターヘッドで、
その構造もSX74、3DIIAとは大きく異る。

SX74、3DIIAは、左右チャンネルのドライブ用コイル、フィードバック用コイル(ムービング・エレメント)が、
それぞれ45度の角度を保つように配置されている構造なのに対して、
DSS731ではジャイロ方式と呼ばれる構造をとっている。
DSS731でもムービングエレメントそのものの構造はSX74、3DIIAと基本的には同じでも、その配置が異っている。

ロッキング・ブリッジと呼ばれるものの上に、垂直に左右チャンネルのムービングエレメントは取付けられていて、
ロッキング・ブリッジの下側中央にカッター針があり、
このカッター針とムービングエレメントと
ロッキング・ブリッジとの結合部(フレキシブル・ジョイント)の位置関係は直角二等辺三角形となっている。

この構造のためなのかどうかはわからないが、DSS731の裸の周波数特性は共振のピークは2.5kHzあたりにあり、
これより上の周波数は減衰していくだけだが、
これより下の周波数においては、500Hzから30Hzあたりまではフラットとなっている。
MFBを13dBかけた状態での周波数特性はグラフをみるかぎり、20Hz以下までフラットを維持している。
DSS731ならば、録音RIAAカーヴを電気的な処理だけですむことになる。

Date: 2月 13th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その2)

ウェストレックスの3DIIAのMFBをかけたあとの周波数特性は、
ノイマンのSX74の特性よりも全体的にゆるやかなカーヴを描いていて、いわゆるカマボコ型の特性。
フラットな帯域のところはどこにもない。
けれど実際のカッティング特性はSX74とほぼ同等の性能といえる。

レコード(LP)にはRIAAカーヴがある。
1953年6月に制定された規格で、カッティング時にはRIAA録音カーヴ、
再生時には録音RIAAカーヴと逆特性のRIAA再生カーヴがもちいられる。

RIAAカーヴは1kHzを規準として700Hzで-1.2dB、400Hzで-3.8dB、300Hzで-5.5dB、200Hzで-8.2dB、
100Hzで-13.1dB、70Hzで-15.3dB、50Hzで-17.0dB、30Hzで-18.6dB、
高域はというと、2kHzで2.6dB、3kHzで4.8dB、4kHzで6.6dB、5kHzで8.2dB、6kHzで9.6dB、7kHzで10.9dB、
8kHzで11.9dB、9kHzで12.9dB、10kHzで13.8dB、12kHzで15.3dB、15kHzで17.2dBとなっている。
ほぼオクターヴあたり6dBで高域に向って上昇していくカーヴに近い。

つまり低域に関しては、カッターヘッドに入力される信号を減衰させているわけだ。
だから低域に関しては、電気的な処理による減衰量を、カッターヘッドの低域の特性を補整するようにしておけば、
なんら問題は生じないことになる。

つまり、このことは録音側(レコード制作側)では低域に関しては、
録音RIAAカーヴをカッターヘッドの機械的な特性とカッターヘッドをドライブするアンプの前段での電気的な処理、
このふたつを組み合わせて正確なものとしているわけだ。

一方再生側はというと、可聴帯域内の周波数特性はほぼフラットであり、
カッターヘッドの周波数特性よりも劣っているカートリッジは、
よっぽどのローコストの製品には存在するかもしれないが、まずそういうカートリッジは存在しない。
20Hzまではほとんどのカートリッジがフラットな周波数特性をもっている。
つまり再生側では、再生RIAAカーヴはフォノイコライザーアンプの電気的な処理だけで行っているわけである。

Date: 2月 12th, 2012
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(RIAAカーヴについて・その1)

中学生のとき、カッターヘッドの裸特性を見て、驚いた記憶がある。
カッターヘッドにはMFB(Motional Feedback)がかけられていることは知っていた。
アンプにおけるNFBと同じようなもので、
カッターヘッドの裸特性もアンプの裸特性と似たようなものだろう、と考えていただけに、
よけいにカッターヘッドの裸特性のカーヴには驚かされた。

もっとも知名度の高いノイマンのSX74にしても、その裸特性はどこもフラットな帯域が存在しない。
周波数特性は1kHzを中心とした山の形をしている。
ウェストレックスの3DIIAにしても同じで、やはり1kHzにピークがあり、
SX74同様フラットな帯域はどこにもない。

つまりどちらのカッターヘッドも1kHzにピークをもつ共振特性をもっている。
それをMFBをかけることで共振を抑えフラットな周波数特性にするわけで、
カッターヘッドにはドライブ用のコイル(スピーカーユニットのボイスコイルに相当するもの)とは別に、
フィードバック用のコイルが同じ軸上に巻かれていて、
このコイルからの信号をカッターヘッドのドライブアンプに戻している。

アンプのNFBがアンプの周波数特性だけを改善するのではないのと同じで、
MFBはカッターヘッドの周波数特性を改善するだけでなく、カッターヘッドの機械的歪も減少させ、
クロストークも改善している。
そして、MFBの量がカッターヘッドのダンピングに関係している。

SX74のMFB(5kHzで12dBのMFB量)をかけたあとの周波数特性は、
可聴帯域内はほぼフラットになっている。
ノイマン発表のSX74の規格にもMFBのことが載っている。

Frequency range:7-25000Hz
Frequency response (approx.9dB feedback at 5kHz):15-16000Hz ±0.5dB, 10-20000Hz ±1dB, 7-25000Hz ±3dB
Active feedback range:7-14000Hz
Feedback capability at 5kHz:≧12dB, typically 14dB

ノイマン発表の周波数特性は15Hzから16kHzまでがほぼフラットになっているが、
実際の周波数特性のカーヴでは、低域はもう少し高い数10Hzからゆるやかに減衰しているが、
これがそのままSX74の録音特性(カッティング特性)とイコールというわけではない。

それはレコードの録音特性、つまりRIAAカーヴが関係してくるからである。

Date: 2月 11th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・余談)

D130の特性は、ステレオサウンド別冊 HIGH-TECHNIC SERIES 4 に載っている。
D130の前にランシングによるJBLブランド発のユニットD101の特性は、どうなっているのか。
(これは、アルテックのウーファー515とそっくりの外観から、なんとなくではあるが想像はつく。)

1925年、世界初のスピーカーとして、
スピーカーの教科書、オーディオの教科書的な書籍では必ずといっていいほど紹介されているアメリカGE社の、
C. W. RiceとE. W. Kelloggの共同開発によるスピーカーの特性は、どうなっているのか。
このスピーカーの振動板の直径は6インチ。フルレンジ型と捉えていいだろう。

エジソンが1877年に発明・公開した録音・再生機フォノグラフの特性は、どうなっているのか。

おそらく、どれも再生帯域幅の広さには違いはあっても、
人の声を中心とした帯域をカバーしていた、と思う。

エジソンは「メリーさんの羊」をうたい吹き込んで実験に成功している、ということは、
低域、もしくは高域に寄った周波数特性ではなかった、といえる。
これは偶然なのだろうか、と考える。
エジソンのフォノグラフは錫箔をはりつけた円柱に音溝を刻む。
この材質の選択にはそうとうな実験がなされた結果であろうと思うし、
もしかすると最初から錫箔で、偶然にもうまくいった可能性もあるのかもしれない、とも思う。

どちらにしろ、人の声の録音・再生にエジソンは成功したわけだ。

GEの6インチのスピーカーユニットは、どうだったのか。
エジソンがフォノグラフの公開実験を成功させた1877年に、
スピーカーの特許がアメリカとドイツで申請されている。
どちらもムービングコイル型の構造で、つまり現在のコーン型ユニットの原型ともいえるものだが、
この時代にはスピーカーを鳴らすために必要なアンプがまだ存在しておらず、
世界で初めて音を出したスピーカーは、それから約50年後のGEの6インチということになる。

このスピーカーユニットの音を聴きたい、とは特に思わないが、
周波数特性がどの程度の広さ、ということよりも、どの帯域をカヴァーしていたのかは気になる。

なぜRiceとKelloggは、振動板の大きさを6インチにしたのかも、気になる。
振動板の大きさはいくつか実験したのか、それとも最初から6インチだったのか。
最初から6インチだったとしたら、このサイズはどうやって決ったのか。

Date: 2月 11th, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(その3)

新製品紹介ページの大幅な、ステレオサウンド 56号からの変更は、読者として諸手をあげて歓迎だった。
56号以前でも、注目すべき新製品がどれなのかはきちんと伝わっていた。
その機種が特集での登場まで待てば、詳しいことが掲載される。

とはいうものの読者としては、とくに地方在住の、身近なところにオーディオ専門店がない者にとっては、
特集記事で取り上げられるまでの期間が、実に長い。
ステレオサウンドは季刊誌だから3ヵ月に1度、年に4冊しか出ないわけだから、
登場するタイミングの悪い製品だと、特集で取り上げられるまで、それこそ1年近くかかることだってありうる。

待てないわけではない、待つしかないのだから。
でも、できれば、もう少しでいいから注目すべき新製品に関してはページ数を増やして欲しい、と、
ステレオサウンドに夢中な読者となっていた私はずっと思いつづけていた。
それが56号で、いわば叶ったわけだ。
ステレオサウンドがますます理想のオーディオ誌に近づいてくれた、そうも思っていた。
そんな時期があった……。

56号からはじまった新製品紹介のやり方は、まだ10代で世間のことはほとんど知らない読者だった私にとっては、
歓迎すべきことで、この方向をもっともっと徹底してやっていてほしい、と思うだけですむのだが、
編集を経験してきた者としては、難しい面ももっている、といえる。

当り前すぎることだが、一冊のステレオサウンドにはページ数の制限が存在する。
定価が高くなってもいいからページ数を増やして欲しい、と思われる読者もいるだろう。
たとえ定価を高くしても、コストだけの問題ではない。
製本の問題があって、ページ数はそう簡単に増やしていけるものではない。

しかも56号(1980年)とこの10年(20年といってもいいかもしれない)とでは、
新製品の数も大きく違っている。

ページ数の制約があって新製品の数が増えている、ということは、
つまり新製品紹介のページを充実させていけば、その分、ほかの記事のページ数があおりを喰うことになる。

この項の(その1)でふれたステレオサウンド 42号のプリメインアンプの特集記事と、
ここ数年のステレオサウンド、どの号でもいい、特集記事のページ数を数えてみればわかることだ。
もう42号のときのように1機種あたりに5ページも割くことは、難しいことではなく、無理なことになっている。

Date: 2月 10th, 2012
Cate: ジャーナリズム, 測定

測定についての雑感(その2)

ステレオサウンドの新製品紹介のページは、
56号以前は井上先生と山中先生がふたりで担当されていた時期が続いていた。
ずっと以前のバックナンバーまで遡ればそれもまた違ってくるのだが、
私が読みはじめたステレオサウンド 41号では井上先生と山中先生、ふたりの担当だった。
それでも少しずつ記事の構成には変化があったものの、
基本的には海外製品を山中先生、国内製品を井上先生となっていた。

記事はすべてモノクロでページ数も32ページ前後。
それが大きく変ったのは、上に書いたように56号からである。
この56号から新製品紹介のページが2本立てになった。
カラーページの「Best Products 話題の新製品を徹底解剖する」と、
モノクロページの「Pick Up 注目の新製品ピックアップ」になり、
井上・山中両氏だけではなく、他の筆者による記事が載るようになった。
いまのステレオサウンドの新製品紹介の原型・始まりともいえるのが56号である。

カラーページのトップを飾っていたのは、56号の表紙でもあったトーレンスのリファレンスだった。
書かれていたのは、瀬川先生。リファレンスに割かれているページ数は8ページ。
読みごたえのある文章だった。何度も読み返したものだった。
当時、リファレンスの価格は358万円。
「近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。」とリファレンスの記事を締めくくられているように、
このころの358万円はそうとうな価格だった。

──こんなふうに書いていくと話は逸れていくばかりなので、元に戻そう。
56号にはモノクロページでロジャースのPM510も、これもまた瀬川先生の文章で載っていた。
だからとということもあって、56号の新製品の記事の変化は、読者としてすごく印象深いものとなっている。

それ以外にも56号には、
瀬川先生によるパラゴンの記事(Big Sound)と組合せの記事(これは連載となる予定だったもの)があり、
さらに黒田先生の「異相の木」も載っている。
38号とともにくり返し読んだ回数の多いステレオサウンドである。

Date: 2月 9th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(余談・もう少しツマミのこと)

今日量販店のオーディオコーナーに行ってみた。いくつかのオーディオ機器のツマミに触れて、
「えっ、こんなことになってしまったの!?」といささか驚いてしまった。
それで、ツマミに関しては項を改めて書く、と先日書いたばかりにも関わらず、
どうしても一言書きたくなってしまった。

ツマミが飾りと化しているオーディオ機器がいくつか目についた、ということだ。
いつのころからオーディオ機器もリモコン装備・操作がごく当り前のことになっている。
以前はCDプレーヤーだっけだったリモコンも、いまではコントロールアンプでも、
それにそうとうな高級機器でもリモコンが標準装備になっているのが多い。

個人的にはリモコンがあってもコントロールアンプに関しては、
フロントパネルのツマミに触って操作したい、と思う方だ。
けれど、メーカー側の考えは、今日いくつかのオーディオ機器にふれた感じでは、どうも違うようだ。
いまのところ、ツマミに触って、これはおかしい、と感じたのはまだ少数だった。
私が触れた範囲では、2社だけだった。

この2社の製品(すべての製品ということではない)は、
ツマミを操作する時に指がフロントパネルをこすってしまう。
こすらないようにツマミの、極力、先端を触れるようにするとツマミが短すぎるのと、
ツマミの形状が円柱ではなくテーパーがかけられているため、ひじょうにつまみにくい。
ツマミを操作できるようにつまもうとすると、くり返すが指がフロントパネルをこすることになってしまい、
私はそのことを非常に不愉快に感じてしまう。

これは2社、2つの製品に共通していえることで、
さらに1社ひとつの製品ではフロントパネルに大きくカーヴしているため、
ツマミを大きく回転させようとすると指がフラットなフロントパネル以上に指がこすることになってしまう。

おそらくどちらも製品も、リモコン操作を前提としているのだろう。
操作はすべてリモコンで行ってください、ということで、
フロントパネルのツマミに、その会社の人間は誰も触っていないのでは? 
そんなあり得ないことを想像してしまうほどにおかしなことになっている。

ツマミが短いタイプは、今日触ってきたオーディオ機器の中に他にもあった。
でもそれらは指がフロントパネルをこすらないような配慮がツマミのまわりになされていた。
そのオーディオ機器にもリモコンはついている。
けれど、リモコン操作だけに頼っていない、ツマミがツマミとして機能している。

ツマミがツマミとしてきちんと機能していない2社のオーディオ機器では、
ツマミがツマミではなく、飾りになりつつある。おかしなことだ。

ツマミについては書くことは、最初考えていた以上にいくつかのことと絡んでいて、
じっくり書いていけそうな気がしている。

Date: 2月 8th, 2012
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その25)

JBL・D130のトータルエネルギー・レスポンスをみていると、
ほぼフラットな帯域が、偶然なのかそれとも意図したものかはわからないが、
ほぼ40万の法則に添うものとなっている。
100Hzから4kHzまでがほぼフラットなエネルギーを放出できる帯域となっている。

とにかくこの帯域において、もう一度書くがピークもディップもみられない。
このことが、コーヒーカップのスプーンが音を立てていくことに関係している、と確信できる。

D130と同等の高能率のユニット、アルテックの604-8G。
残響室内の能率はD130が104dB/W、604-8Gが105dB/Wと同等。
なのに604-8Gの試聴感想のところに、コーヒーカップのスプーンについての発言はない。
D130も604-8Gも同じレベルの音圧を取り出せるにも関わらず、この違いが生じているのは、
トータルエネルギー・レスポンスのカーヴの違いになんらかの関係があるように考えている。

604-8Gのトータルエネルギー・レスポンスは1kから2kHzあたりにディップがあり、
100Hzから4kHzまでの帯域に限っても、D130のほうがきれいなカーヴを描く。

ならばタンノイのHPD315はどうかというと、
100Hzから4kHzのトータルエネルギー・レスポンスはほぼフラットだが、
残響室内の能率が95.5dB/Wと約10dB低い。
それにHPD315は1kHzにクロスオーバー周波数をもつ同軸型2ウェイ・ユニットである。

コーヒーカップのスプーンに音を立てさせるのは、いわば音のエネルギーであるはず。音力である。
この音力が、D130とHPD315とではいくぶん開きがあるのと、
ここには音流(指向特性や位相と関係しているはず)も重要なパラメーターとして関わっているような気がする。
(試聴音圧レベルも、試聴記を読むと、D130のときはそうとうに高くされたことがわかる。)

20Hzから20kHzという帯域幅においては、マルチウェイに分があることも生じるが、
100Hzから4kHzという狭い帯域内では、マルチウェイよりもシングルコーンのフルレンジユニットのほうが、
音流に関しては、帯域内での息が合っている、とでもいおうか、流れに乱れが少ない、とでもいおうか、
結局のところ、D130のところでスプーンが音を立てたのは音力と音流という要因、
それらがきっと関係しているであろう一瞬一瞬の音のエネルギーのピークの再現性ではなかろうか。

このD130の「特性」が、岩崎先生のジャズの聴き方にどう影響・関係していったのか──。
(私にとって、James Bullough Lansing = D130であり、岩崎千明 = D130である。
そしてD130 = 岩崎千明でもあり、D130 = Jazz Audioなのだから。)

Date: 2月 7th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(余談・ツマミのこと)

オーディオの機器のツマミについては、あれこれ書きたいことがあるけれど、
このままツマミについて書いて行くと、本題から大きく逸れてしまうので、
いまここでは、すこしだけ書いておく。いずれ、ツマミについては、項を改めて書いていきたい。

ツマミについて、まず書きたいのは、やはりマークレビンソンのツマミについて、である。
それもJC2のツマミについてで、過去2回、JC2のツマミについてはふれている。

JC2の初期のころ注目されていた方だとご記憶だろうが、
初期のモデルについていたのは細長いタイプのものだった。LNP2のツマミは、ほぼ同じものがついていた。
そして、このころのJC2の音は、最尖端(最先端ではなく、あえてこちらを使いたい)のものだった。
LNP2の音は、ずいぶん違う面ももっていた。
そんなJC2も型番の変更はなされていなかったが、何度か改良されていき、
そういう表情は奥にさがり、おだやかな面も聴かせるようになっていく。
音のバランスとしては、あきらかに後期のJC2のほうが、まともである。

初期のJC2の魅力は、いわばアンバランスさが基になっているといえ、
それに惹かれる私のような者もいれば、拒否したいという人もいる。
そんな初期のJC2の音だったから、あの径の細い、そして長いツマミが、
そんなJC2の内面を表しているかのようだった。

JC2のシャーシーの奥行は短い。だから斜めから見れば、ツマミが異様に長く感じられる。
これが中期ごろから、つまり音のバランスが整いはじめたことを示すかのように、
径の太い、短いタイプ、つまりML1と同じツマミへと変更されている。

JC2がML1と型番を変えたころの音には、もう初期のツマミは似合わない音になっている。
このツマミはML7にも引き継がれている。

回路設計がジョン・カールからトム・コランジェロにかわり、
アンプの内部もまったくの新設計、シャーシーも幅、高さは同じでも奥行が伸びているML7は、
初期のJC2の面影はまったくない。至極真当なバランスの最新アンプとして登場した。
ML7にJC2初期のツマミは、JC2初期にML1(ML7)のツマミが似合わないように、似合わない。

マーク・レヴィンソンが、どういう意図でツマミを変更したのかはわからない。
けれどレヴィンソンは、ML6(シルバーのフロントパネル)で、このツマミをまた採用している。
ML6は、JC2(ML1)をベースに、シャーシーから左右チャンネルで完全に独立させ、
ツマミは、入力セレクター(Phono入力とライン入力の2系統のみ)とレベルコントロールのふたつだけ。
これ以上機能を削ることはできないところまで削ぎ落としたML6には、ML1(ML7)のツマミは似合わない。

ML6がもし径の太い、短いツマミで世に登場していたら、ML6に魅了された人は減っただろうと思う。
あのツマミだったからこそ、デリケートな扱いをML6は使い手に要求していたし、
ML6の使い手はそれを喜んで受け入れていた、のではないだろうか。

こういうツマミが、ほんとうに似合うコントロールアンプの登場を望んでいるところが、
三つ子の魂百まで、ではないけれど、いまも私の中にある。

Date: 2月 7th, 2012
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(その13・余談)

ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」に、
朝沼予史宏、井上卓也、倉持公一、菅野沖彦、柳沢功力、佐久間輝夫、
6氏による「私とJBL」というエッセーが載っている。

朝沼さんのところには、「岩崎さんのリスニングルームがJBL研究の場だった」とつけられている。
そこにはこうある。
     *
大学を出てからマイナーなジャズ専門誌の編集者になり岩崎さんと親しくお付き合いさせていただくようになったが、肝心のJBLに関してはずっと傍観者のままでいた。最初はジャズ喫茶だったのが、社会人になってからは岩崎さんのリスニングルームがJBL研究の場だった。そのジャズ雑誌は勤めて間もなく廃刊になり、編集者仲間が集まって新しいジャズ雑誌を創刊した。その関係で岩崎さんとは、益々親しくさせていただいた。しかし弱小雑誌の我々の原稿は常に後回しでなかなか原稿が上がらず、月末になると、よくお宅に泊まり込みになった。岩崎さんからは「待っている時は、遠慮なく音を聴いても構わない」というお墨付きをもらい、これ幸いに聴きまくった。岩崎さんの装置を身近で真剣に聴けたのは、たいへんな幸運だった。
     *
朝沼さんが岩崎先生のリスニングルームで聴かれていた時は、ひとりだったはず。
岩崎先生は別の部屋で原稿を書かれていたことだろう。
私が山中先生のリスニングルームで原稿が上がるのをもっているあいだ、音を聴いていたのと同じ体験を、
朝沼さんは岩崎先生のリスニングルームで何度も体験されていたわけだ。

これは編集者の、いわば特権かもしれない。
それもこの時代、つまりインターネットなどなかった時代、原稿は手書きで編集者は取りに行っていた。
だから、こういう体験がときに味わえたのである。

いまはパソコンで原稿を書き、そのままメールに添付して送信。
これが悪いこととは思わない。時間の節約になっているし、原稿をなくしてしまうこともなくなる。
でも、朝沼さんや私が体験できたこととは無縁になってしまった。