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Date: 9月 16th, 2008
Cate: 105, KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その9)

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。 

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。 
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。 

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。 
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, LS5/1A, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その4)

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。 

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。 

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。 

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その3)

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。 
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。 

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。 

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その2)

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。 

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。 

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biographies」を出している。 

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。 

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。 
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。 
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。 

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。 

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。