Date: 6月 11th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その20)

花村圭晟氏がいわれる「単純な取り扱い上のミス」は、日本のオーディオマニアに限ったことではない。
アメリカのオーディオマニアもそうだ、ということが、ステレオサウンド 64号掲載の記事を読めばわかる。

Spirit of Audio-scienceとつけられた記事は、
マッキントッシュのゴードン・ガウのインタヴューをまとめたもの。
副題は「私は音の仕立屋(サウンドテイラー)になりたい ヴォイシング(音場補正)をめぐるインタビュー」。

「オーディオ製品は、ディズニーのミッキーマウスのようなキャラクター商品ではないのです」
ゴードン・ガウのこの言葉のあとに、アナログプレーヤーに関する発言が続く。
     *
実は、ヴォイシングにうかがうと、まず最初にカートリッジが正しくプレーヤーに取りつけられているかどうかチェックすることから始めるのです(笑)。ディーラーと協力して調査した結果、実に6割のユーザーが、オーバーハング、トラッキングアングル、インサイドフォース・キャンセラー、針圧の調整の不備によって、正しくカートリッジを使いこなしてません。超楕円針がこれほど普及してきた今日、レコードの音溝に対して5度傾いていても、多量のIM歪の発生につながります。XRT20は、とりわけIM歪を減らすことを重要な課題として設計されていますから、カートリッジ出力からIM歪だらけの信号を再生していたのでは、お話になりません。
いくら、ヴォイシングで調整しても左右の拡がりのバランスがとれないと思って調べてみると、シェルに正しくカートリッジが取りつけられていなかったりする。音溝の左右に均等に針圧がかかっていないケースが非常に多いのです。
いくら高価な装置を買いそろえても、音の入口がその状態では、ヴォイシングの意味はなくなってしまいます。
     *
ステレオサウンド 64号は1982年9月発売だから、まだCDは登場していない。
この時代のアメリカでも、マッキントッシュのアンプ、スピーカーを購入する人たちでも、
六割の人がカートリッジを正しく使いこなしていない、という事実。

いまはどうなっているのだろうか。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その27)

ビッグバンド系のレコードではそれほど大きな音量にしない、と発言されている岩崎先生も、
以前は、かなりの大音量でビッグバンドのレコードも聴いていた、とある。

油井正一氏がこんなことを発言されている。
     *
大きな音量で聴くカウント・ベイシーがまた、なんともいえずよかった。それでぼくは、実際に聴いたらどんなに大きなボリュームでやるんだろうと思って出かけたら、意外にも想像してた音量の三分の一ぐらい。そのときぼくは2階のうしろのほうの席で聴いていたんだけど、これはいけないと思って1階におりて前のほうに行ったら、だいたい自分の部屋で聴いているくらいのボリュームになったんです。これにはびっくりしましたね。
     *
1960年代はじめのころの話である。
これを受けて岩崎先生はデューク・エリントン楽団で感じた、と言われている。
     *
実際のコンサートで聴いてみると、きわめてさわやかで、スカッとしていて、音量感なんてないんですね。一生懸命にやっていても、とても静かなんですよ。それでぼくは、同じジャズといっても、バンド・サウンドというものは、全体の音としては決してそんなに大きくないんだということを知ったわけです。
だからジャズというものは、ある程度音を大きくして聴く必要があるとは思いますが、楽団や演奏スタイルの性格によって、そこに時国漢の差があるということですね。
     *
この発言の数ヵ月後にパラゴンを手に入れられているわけだから、
ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオといった小編成はかなりの音量で聴かれていたのだろうが、
ビッグバンドとなると、意外にも大きな音量ではなかったようにも考えられる。

岩崎先生もパラゴンの反射板をスクリーンとして捉えられていたのだろうか。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その19)

ステレオサウンド 63号には、オーディオクラフト・ニュース No.5が掲載されている。
そこにこう書いてある。
     *
 このような問題点も、カートリッジのものに起因するもともと偏差の大きいカートリッジでない限り、意外と単純な取り扱い上のミスによるものが少なくありません。
 その何点かを列記すると
 ①ヘッドシェルの水平度、またはカートリッジの取り付けが不備である場合。
 ②レコード面の水平度が不十分である場合。
 ③レコードプレーヤーそのものの水平度が出ていない場合。
 レコード再生時のトラブルはこのような要因が圧倒的に多く、水平度のくるいから生ずるカートリッジの誤動作、とりわけクロストークバランスに影響してくる誤動作は、高域の不快な歪感をつきまとわせる結果となります。
(中略)
 一般的に、レコードプレーヤーキャビネットの水平チェックはするが、レコード面の水平度はチェックしにくいことも手伝って、確認されていないケースが多いように思われます。弊社のようにワンポイント方式のトーンアームを作っていると、ユーザーの方から〝どうしてもラテラルがとれない〟といった苦情をいただくケースが多いのですが、実際に調べてみると反ったレコードをターンテーブルを止めたまま調整していることが良くあります。ターンテーブルが回転していれば、反ったレコードですとカートリッジが上下にゆれますから気付くのですが、調整確認のためターンテーブルが止まっている場合が意外に多いのです。
     *
ステレオサウンド 63号は1982年6月に出ている。
CDはまだ登場していなかった。
このころでさえ、こういう状況だったことがわかる。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: アナログディスク再生, 広告

アナログプレーヤーの設置・調整(その18)

ステレオサウンド 59号から、オーディオクラフトの広告はがらっと変った。
確かに広告ではある。オーディオクラフトの製品を紹介はしている。
けれど、全体的な印象は、花村圭晟氏による記事でもあった。

オーディオクラフト・ニュースと扉のページにある。
いまステレオサウンドに掲載されている、いかなる広告ともはっきりと異る。
すへての広告がこうなるべきだ、とはいわないが、
この時代、こういう広告をしかるべきお金を払ってステレオサウンドに払って、
いわぱページを買い取っての掲載で、そこでの内容は広告であっても広告ではない内容でもあった。

ジョン・カルショーについて書かれたこともある。
オーディオメーカーの広告に、デッカのプロデューサーだったジョン・カルショーの名前が出てくる。
それは、ジョン・カルショーの本「ニーベルングの指環・プロデューサーの手記」の再版要望だった。

これはステレオサウンド 62号に載っている。
そして63号で、この本を訳された黒田先生が、「さらに聴きとるものとの対話を」で、
オーディオクラフトの広告についての書き出しで、取り上げられている。

このころのオーディオクラフト・ニュースは抜き刷りにして出してほしいくらいである。
このころのステレオサウンドを持っている人には不要であっても、
30年以上前のステレオサウンドだから、いまでは持っていない人の多いかもしれない。
そういう人のためにも出してほしい、と思うけれど、すでにオーディオクラフトもなくなっている。

花村圭晟氏も行方知らず、ときいている。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その17)

ここまで書いてきたこと、
そんなこと当り前すぎて、何をいまさらと思われるかもしれない。

だが、意外にここまて書いてきたことがきちんとなされていないケースが少なくないから、書いている。

私はそれほど多くの方のリスニングルームに行っているわけではないが、
それでもアナログプレーヤーの使いこなしのいいかげんさは目にしてきている。
本人はきちんと設置・調整しているつもりでも、そうでないことがあった。

たまたま私が行ったところだけがそうではない。
アナログディスク再生に関しては大先輩といえる花村圭晟氏。

花村氏に関して、瀬川先生がステレオサウンド 58号に書かれている。
     *
 余談かもしれないが、社長の花村圭晟氏は、かつて新進のレコード音楽評論家として「プレイバック」誌等に執筆されたこともあり、音楽については専門家であると同時に、LP出現当初から、オーディオの研究家としても永い経験を積んだ人であることは、案外知られていない。日本のオーディオ界の草分け当時からの数少ないひとりなので、やはりこういうキャリアの永い人の作る製品の《音》は信用していいと思う。
     *
花村氏はオーディオクラフトの社長でもあった。
瀬川先生の文章はオーディオクラフトのトーンアームAC3000MCについて書かれたものからの抜粋だ。

花村氏については、菅野先生からも話を聞いたことがある。
「ぼくらの大先輩だ」といわれていた。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その16)

アナログプレーヤーから雑共振をできるだけ排除することは、大事なことだ。
そのためにはアナログプレーヤーの周りをきれいに片付けることもだが、
アナログプレーヤーの機械的な点検も行っておきたい。

機械的点検とはガタついているところがないかのチェックである。
ガタつきまではいかなくとも、取り付けネジが緩んでいないかのチェックを行う。

ネジは使っているうちにたいてい緩んでくる。
カートリッジをヘッドシェに取り付けているネジ、
ネジではないが、ヘッドシェルとトーンアームの結合箇所、
トーンアームをベースに取り付けているネジ、
ベースがプレーヤー・キャビネットに取り付けるタイプであれば、その取り付けネジ、
それからターンテーブルプラッターを外して目に見えるネジ、
ダストカバーをもつモデルであれば、ヒンジのネジ、
もっと細かなことをいえば裏側のネームプレートをネジ止めしているモノならば、そこだし、
たとえばSMEのトーンアームのように針圧印加用のウェイトはネジ止めできるようになっているから、
ここもわすれないように締めておく。

アナログプレーヤーには、けっこう数のネジが使われている。
これらを増し締めしておきたい。

ただここで注意しておきたいのは、締めすぎないこと。
緩みすぎてガタついているのは論外だし、そこまでではないにしろ緩んでいたら、音に影響を与える。
とはいえ力を入れすぎて締めすぎになってしまうのもよくない。

どのくらいはいいのかは、これは感覚に頼ることになる。
どのくらい締めればいいのかわからない人は、
まず意図的にネジを緩めてみたらいい。どんなふうに音が変るのかを、まず自分の耳で確かめる。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その26)

私の偏見かもしれないが、日本のオーディオマニアには、
パラゴンは大音量で聴いてこそ映えるスピーカーだ、と思っている人が少なくない、と思う。

それも仕方ないことかもしれない。
1970年代、無線と実験には見開き2ページで、毎号、全国のジャズ喫茶を紹介するページがあった。
私が無線と実験を読みはじめたのは、1977年ごろだから、この記事をそれほど多く見ていたわけではないが、
それでもパラゴンを使っていることは多い、という印象は持っていた。

そして日本では岩崎先生がパラゴンの使い手・鳴らし手として知られていた。
岩崎先生は大音量ということで知られていた。
パラゴンは、岩崎先生のメインスピーカーのひとつだから、
誰もがパラゴンは大音量で鳴らされていた、と思っていても不思議ではない。

私もそう思っていたひとりだった。

だが「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載された、
岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏による「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」で、
岩崎先生の、こんな発言がある。
     *
ジャズの場合でも、ビッグ・バンド系のものはクラシックと同じようなことがいえると思いますね。だからぼくは、おかしな話しなんだけど人数が多いときはそれほど音量を大きくしなくて、人数が少なくなければなるほど音量は大きくなるんです(笑い)。
     *
岩崎先生がパラゴンを導入されたのは1975年夏のはずだから、
この鼎談の時は、まだである。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その25)

パラゴン中央のゆるやかに湾曲した反射板。
ここに両端に位置する中音域を受け持つ375ドライバー+H5038Pホーンが向けられている。
375が受け持つ帯域は、パラゴンのクロスオーバー周波数は500Hzと7kHzだから約4オクターヴ。

これらのことからいえるのは、この反射板はスクリーンに相当している、ということ。
つまり375+H5038Pはプロジェクターともいえる。

このスクリーンの横幅は湾曲した状態で約160cm、高さは約70cm。
それほど大きなスクリーンではない。
むしろ寸法だけみていると、小さなスクリーンでもある。

この木製の音響的スクリーンに、両脇の375+H5038Pから映写(放射)される音により音像が結ぶ──。
と考えていくと、パラゴンというスピーカーシステムは、
確かに大型だし、搭載されているユニットもかなりの音圧が確保できるものではあるけれど、
実のところ、それほど大きな音量で聴くスピーカーなのだろうか、と思えてくる。

パラゴンの反射板(スクリーン)はさほど大きくない。
ここにオーケストラを映し出す。
それは意外にも小さな(つまり縮小した)オーケストラである。

しかもパラゴンは前述したように、椅子に坐って聴く場合の耳の位置はどこにあるのか。
パラゴンのスクリーンの大きさ(横幅と高さ)、それが位置するところ、そして聴き手の耳の位置、
これらの関係をみていくと、ガリバーが小人のオーケストラを聴いているイメージが浮んでくる。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その24)

そして「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭「いま、いい音のアンプがほしい」だ。
     *
 二ヶ月ほど前から、都内のある高層マンションの10階に部屋を借りて住んでいる。すぐ下には公園があって、テニスコートやプールがある。いまはまだ水の季節ではないが、桜の花が満開の暖い日には、テニスコートは若い人たちでいっぱいになる。10階から見下したのでは、人の顔はマッチ棒の頭よりも小さくみえて、表情などはとてもわからないが、思い思いのテニスウェアに身を包んだ若い女性が集まったりしていると、つい、覗き趣味が頭をもたげて、ニコンの8×24の双眼鏡を持出して、美人かな? などと眺めてみたりする。
 公園の向うの河の水は澱んでいて、暖かさの急に増したこのところ、そばを歩くとぷうんと溝泥の匂いが鼻をつくが、10階まではさすがに上ってこない。河の向うはビル街になり、車の往来の音は四六時中にぎやかだ。
 そうした街のあちこちに、双眼鏡を向けていると、そのたびに、あんな建物があったのだろうか。見馴れたビルのあんなところに、あんな看板がついていたのだっけ……。仕事の手を休めた折に、何となく街を眺め、眺めるたびに何か発見して、私は少しも飽きない。
 高いところから街を眺めるのは昔から好きだった。そして私は都会のゴミゴミした街並みを眺めるのが好きだ。ビルとビルの谷間を歩いてくる人の姿。立話をしている人と人。あんなところを犬が歩いてゆく。とんかつ屋の看板を双眼鏡で拡大してみると電話番号が読める。あの電話にかけたら、出前をしてくれるのだろうか、などと考える。考えながら、このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
 高いところから風景を眺望する楽しさは、なにも私ひとりの趣味ではないと思うが、しかし、全体を見通しながらそれと同じ比重で、あるいはときとして全体以上に、部分の、ディテールの一層細かく鮮明に見えることを求めるのは、もしかすると私個人の特性のひとつであるかもしれない。
     *
いま、ここに思い至ったとき、
これまで読んできた瀬川先生の書かれたものとそれに関する記憶が、
D44000 Paragonとそのイメージとにしっかりと結びついていく。

Date: 6月 9th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その23)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談は、かなり長い。そして読みごたえがある。
ただ長いだけではないからだ。

もう30年以上前の別冊だから持っていない人も少なくない。
私も、ステレオサウンド 61号の岡先生の書かれたものを読むまでは、この鼎談のことをくわしくは知らなかった。

いまは約一年前にでた「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読める。

今回引用したいのは、鼎談の最後のほう、
瀬川先生の発言だ。
《荒唐無稽なたとえですが、自分がガリバーになって、小人の国のオーケストラの演奏を聴いているというようにはお考えになりませんか。》

これに対し、岡先生は「そういうことは夢にも思わなかった」と答えられ、
そこから岡先生との議論が続く。

瀬川先生はステレオサウンド 51号で、このことに少し触れられている。
前号から始まった連載「ひろがり溶けあう響きを求めて」の中に出てくる。
     *
 かつて岡俊雄、黒田恭一両氏とわたくしとの鼎談「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」(本誌別冊〝コンポーネントの世界〟’75)の中で、自分がガリバーになって小人の国のオーケストラを聴く感じが音の再生の方法の中にある、というわたくしの発言に対して、岡、黒田両氏が、そんな発想は思いもよらなかった、と驚かれるシーンがある(同誌P106~107)。ここでの発言の真意はその前後の話の筋道を知って頂かないと誤解を招きやすいが、少なくともわたくし自身、たとえば夜更けて音量を落して聴くときのオーケストラの音楽を、小人の演奏を聴くガリバーの心境で、あるいは精密な箱庭を眺める気持で受けとめていたことは確かだった。
     *
できればこの鼎談は全部読んでほしい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その22)

「コンポーネントステレオの世界 ’75」の鼎談とは、
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の三氏で、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」というテーマで語られたもの。

岡、黒田、瀬川の三氏はクラシックに関して、で、
同じテーマでジャズについての鼎談も載っている。
こちらは岩崎千明、黒田恭一、油井正一の三氏。

この鼎談について、岡先生が後年書かれている。
ステレオサウンド 61号に、それは載っている。
     *
 白状すると、瀬川さんとぼくとは音楽の好みも音の好みも全くちがっている。お互いにそれを承知しながら相手を理解しあっていたといえる。だから、あえて、挑発的な発言をすると、瀬川さんはにやりと笑って、「お言葉をかえすようですが……」と反論をはじめる。それで、ひと頃、〝お言葉をかえす〟が大はやりしたことがあった。
 瀬川さんとそういう議論をはじめると、平行線をたどって、いつまでたってもケリがつかない。しかし、喧嘩と論争はちがうということを読みとっていただけない読者の方には、二人はまったく仲が悪い、と思われてしまうようだ。
 とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
     *
この文章を引用するためにステレオサウンド 61号をひっぱりだしてきた。
引用する前に、読みなおしていた……。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その2)

私がステレオサウンドを読み始めたころには、試聴ディスクのリストが必ず載っていた。
レコード番号も表記されていたから、それが国内盤なのか輸入盤なのかもわかった。

試聴は複数の人が合同で行うときもあれば、
一人ひとり別々の時のあるから、
試聴ディスクに、その違いは出てくる。

一人ひとりであれば、一人ひとりの試聴ディスクが書いてある。
合同試聴の場合は、数枚のレコードが書いてあるけれど、
それらのディスクがどういうふうに選ばれたのか、その詳細については書いてない。

互いに長年一緒に仕事をしてきている人たちだから、
それほどもめることなく試聴ディスクは決るんだろうな、と読者のころはそう思っていた。

試聴ディスクのリストは、オーディオに関しても初心者、
音楽の聴き手としても初心者であった私にとって、いいガイドになっていた。

試聴ディスクのすべてを、当時は買えはしなかった。
それでも何枚かは買っていく。

次はこのディスクを買いたい、とも考える。
新しいステレオサウンドが出て、そこに試聴ディスクが書かれていれば、
その中に新しいディスクが登場していれば、音楽の好き嫌いにあまり関係なく、一度は聴いてみたい。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その6)

技術は進歩していくものだから、将来はどうなのかはっきりしたことはいえないが、
少なくともあと数年やそこらでドルビーアトモスと同等のものがホームシアターで実現できるようになると思えない。

となれば、私は映画館を足を運ぶ。
すべての映画がドルビーアトモス対応で制作されればいいとは思っていない。
ドルビーアトモスをそれほど必要としない映画もあれば、
ドルビーアトモスがあればこそ活きてくる映画もある。

5月にコレド室町にあるTOHOシネマズで観た「アメイジング・スパイダーマン2」は、格好の映画である。

「アメイジング・スパイダーマン2」がドルビーアトモスでなければ、
3D上映館でなくてもいいかな、とも少しは思っていた。
けれどドルビーアトモスの映画館で観れるのであれば、そこで観たい。

最初「スパイダーマン」三部作はサム・ライミ監督、
「アメイジング・スパイダーマン」シリーズはマーク・ウェブ監督。

どちらが優れているか、というより、サム・ライミの描くスパイダーマンは、
平面のスクリーン、つまり従来の上映で最大限に活きるスパイダーマンの撮影だったことを、
「アメイジング・スパイダーマン2」を3D+ドルビーアトモスで観て、思った。

2Dで完結しているといえるスパイダーマンの表現だからこそ、
サム・ライミは3Dでの撮影を拒否した、という噂は、ほんとうかもしれない、と思えてくる。

マーク・ウェブは、だから同じ土俵には立っていない。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その21)

パラゴンは背の高いスピーカーシステムではなく、
独特のユニット配置からしてもいえるのは、むしろ背の低いスピーカーシステムであるということだ。

ウーファー、スコーカー、トゥイーター、これらのうち二つのユニットの中心は同じ高さに位置していて、
トゥイーターのみがやや高いところに取り付けてある。
このことから連想するのは、LS3/5Aのことであり、
瀬川先生のLS3/5Aの聴き方のことである。

ステレオサウンド 43号で、
《左右のスピーカーと自分の関係が正三角形を形造る、いわゆるステレオのスピーカーセッティングを正しく守らないと、このスピーカーの鳴らす世界の価値は半減するかもしれない。そうして聴くと、眼前に広々としたステレオの空間が現出し、その中で楽器や歌手の位置が薄気味悪いほどシャープに定位する。》
と書かれている。

この「薄気味悪いほどシャープに定位する」のは、ミニチュアライズされたものである。
《あたかも眼前に精巧なミニチュアのステージが展開するかのように、音の定位やひろがりや奥行きが、すばらしく自然に正確に、しかも美しい響きをともなって聴こえる》(ステレオサウンド 45号)
《このスピーカーの特徴は、総体にミニチュアライズされた音の響きの美しさにある》(ステレオサウンド 46号)

瀬川先生がLS3/5Aについて書かれたことと、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’75」に掲載されている鼎談で述べられていること、
このふたつは切り離せないことであり、
それらのこととパラゴンを瀬川先生が59号で「欲しいなあ」と結ばれていること、
さらにステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭
「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出し、
私の中では、すべてつながっている。

Date: 6月 8th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その20)

JBLのD4400 Paragonは、実に堂々とした美しさにをもつ。
重量は316kg。
(時期によっては318.4kgと記載されている。それにJBLのスピーカーユニットと同じように、
コンシューマー用スピーカーだから梱包時の重量のはずである。)

通常のスピーカーシステムが左右チャンネルで独立したエンクロージュアを持つのに対し、
パラゴンは一体化されたエンクロージュアにしても、約300kgの重量は、
このスピーカーの「スケール」を十分に伝えてくれる。

パラゴンの横幅は263cm。かなりの大きさではあるが、
通常のスピーカーシステムを十分な間隔をあけて設置すれば、このくらいの幅は必要となる。

パラゴンの奥行きは74cm。低音部のホーン構造を考えるとこの奥行きは奥に長い、とはいえない。
74cmほどの奥行きのスピーカーシステムは、他にもある。

小さいとはいわないけれど、パラゴンは六畳間におさめようと思えば収まらないサイズではない。

しかもパラゴンの高さは、脚を含めて90cmと、わりと低い。
つまり椅子に坐って聴けば、パラゴンは聴き手の耳よりも低い。

パラゴンの湾曲したウッドパネルを聴き手の真正面にもってくるには、
パラゴンをぐっと持ち上げるか、聴き手が床に直に坐って聴くことになる。