Date: 1月 6th, 2013
Cate: CN191, VITAVOX, Wilhelm Backhaus
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バックハウス「最後の演奏会」(続×七・VITAVOXの復活)

二流の音楽家は、芸術性と倫理性の区別をあいまいにしたがる、そんな意味のことを言ったのはたしかマーラーだったと記憶するが、倫理性を物理特性と解釈するなら、この言葉は、オーディオにも当てはまるのではないか、と以前、考えたことがあった。
     *
51号掲載の「続オーディオ巡礼」は、この書き出しではじまる。
結局は「マーラーの言ったことはオーディオには実には該当しない」とされながらも、
次のように続けられている。
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下品で、たいへん卑しい音を出すスピーカー、アンプがあるのは事実で、倫理観念に欠けるリスナーほどその辺の音のちがいを聴きわけられずに平然としている。そんな音痴を何人か見ているので、オーディオサウンドには、厳密には物理特性の中に測定の不可能な音楽の倫理的要素も含まれ、音色とは、そういう両者がまざり合って醸し出すものであること、二流の装置やそれを使っているリスナーほどこの点に無関心で、周波数特性の伸び、歪の有無などばかり気にしている。それを指摘したくて、冒頭のマーラーの言葉をかりたのである。
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そして、このあとに続くのが、
この項の(続・VITAVOXの復活)で引用した「H氏のクリプッシュ・ホーンを聴いて痛感したのが……」である。

ヴァイタヴォックス復活のニュースを知ったときに、
まず浮んだのは、バックハウスのベートーヴェンを聴いてみたいだった。
ヴァイタヴォックスのCN191でできれば聴きたい。
堅固なコーナーのある部屋にCN191をセットして聴くことができれば、
どんなにか、それは素晴らしい音楽体験になるであろう──、
そんなことをおもっていた。

だからヴァイタヴォックス復活のことを、あえてこの項にて書くことにした。
ヴァイタヴォックスが復活して、バックハウスを聴きたい、
ただそのことだけをさらっと最初は書くつもりだった。

なのに、いざ書き始めてみると、書いておきたいことがあふれでてきた。
まだまだ書きたいことはある。でも今回はこのへんにしておこうと思う。
ヴァイタヴォックスのスピーカーの音が聴けるようになれば、また項を改めて書きたい。

世の中には、ヴァイヴォックスなんて時代遅れのスピーカーが、
また出て来た、とおもう人がいるのはわかっている。
私はまったく逆のことをおもっている。

この時代に、よくぞ復活してくれた、と。

ヴァイヴォックスが、これから先どれだけ売れるかを考えたら、そう多くはないであろう。
にも関わらず今井商事がまた取り扱ってくれる。ありがたいことだ。

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