Date: 12月 10th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus
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バックハウス「最後の演奏会」(その12)

何百回、音について書かれた文章を読もうとも、実際に一回でも音を聴けば、
それによって多くのことが得られる──、
こういったことが昔からいわれ続けてきている。

オーディオにはそういう面が、たしかにある。
だが、ここで聴く音とは、どういう音でもいいわけではない。
すくなくとも音について書いた本人が、ある責任を持って鳴らした音に関して、
音を聴くことによってわかることがある、そのことは私も否定はしない。

だから五味先生がオートグラフをについて、瀬川先生が4343について書かれた文章を読んで、
まったく別のひとが鳴らすオートグラフや4343、
オーディオ販売店でのオートグラフや4343を聴いても、
わかることもある反面、誤解してしまう危険性もまた大きい。

聴けばわかる──、
これはひじょうに危険なことでもある。

まずどんな音を聴くのか、が重要となる。
そして、同じくらいに、それ以上に聴いた人が問題となる。

ここで私が「骨格のしっかり音」について書いていることを、
例えば私が「骨格のしっかりした音」と感じ思っている、その音を聴いても、
まったく理解してくれない人がいることも、また事実である。

これは、音の「大きさ」を表しているのではないだろうか。
念のため書いておくが、ここでの音の「大きさ」は、音量の大きさではない。

だからこそ「音は言をもとめ、言は音をすすめる」のではないだろうか。
オーディオ評論家は、そのためにいるのではないだろうか。

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