私にとってアナログディスク再生とは(デザインのこと・その26)
一年ほど前、別項で「オーディオのデザイン論」が、
ステレオサウンドの45年をこえる歴史の中で、ほとんどなかった、ということを書いている。
そこでも書いていることをまたくり返すが、
2008年のステレオサウンド 166号の特集「オーディオコンポーネントの美」も、
「オーディオのデザイン論」ではなかった。
こういうことを書いている私も、ステレオサウンド編集部にいたときに、
「オーディオのデザイン論」といえる記事をつくっていたわけではない。
あの頃の私は、「オーディオのデザイン論」の記事をつくろうとしても、
つくることはできなかった、と思う。
反省もある。
ステレオサウンドに対して、
ときどき否定的、批判的なことを書いている、と受けとめられている人もいる、と思う。
でも、私はステレオサウンドというオーディオ雑誌に人一倍思い入れがある。
ステレオサウンドが、ほんとうに面白いオーディオ雑誌になってほしい、といまでも思っている。
だから書いている。
いまのステレオサウンドに欠けているいくつものことのなかで、
もっとも大きいのが、この「オーディオのデザイン論」だと私は思っている。
またくり返すが「オーディオのデザイン論」は、いまのステレオサウンドだけではなく、
これまでのステレオサウンドについてもいえることなのだが。
国内メーカーから、Air Force Oneのデザイン、マイクロのSZ1のデザインが出てしまうのは、
「オーディオのデザイン論」がステレオサウンドになかったことが遠因になっている──、
とすら私は思っている。
いまの私は「オーディオのデザイン論」といえる記事をつくれる。
けれど私は、ステレオサウンドとは無関係の人間であり、
すでにAir Force Oneは、あのデザインで世に出てしまっている……。