日本のオーディオ、日本の音(その23)
私は、グールド的リスナーとして、
ゴールドベルグ変奏曲を聴く、ということは、どういうことなのかを考えたい。
それは13万円をこえる金額を出して石英CDを買い、後生大事に聴くこととは、
遠く離れた行為のようにも思えてくる。
たった1枚のディスクのために、お金を出す。
それもふつうの人には理解できない金額のお金を出す。
オーディオマニアは、これをやってきている。
愛聴盤の数は、所有しているディスクの枚数とは必ずしも比例しない。
1万枚をこえるディスクを所有していても、愛聴盤は10枚しかない、という人もいるだろうし、
100枚しかディスクは所有していないけれど、100枚すべて愛聴盤という人もきっといる。
その愛聴盤のためにオーディオは存在している。
10枚の愛聴盤のために、100枚の愛聴盤のために、1000枚の愛聴盤のために……。
そして、オーディオは、1枚の愛聴盤のために、が、その始まりである。
グールドのゴールドベルグ変奏曲は私にとって愛聴盤である。
大切な愛聴盤である。
その愛聴盤を、グールド的リスナーとして聴く、ということを考えて、
私は、いまの私の答として、必要なのは石英CDではなくダイヤトーンの2S305という古いスピーカーシステムを、
ソニーのTA-NR10というパワーアンプで鳴らすシステムであり、
このシステムから何を聴き取りたいか、というと、
グールドがヤマハのCFを選んだことと、
ゴールドベルグ変奏曲で、デビュー盤のゴールドベルグ変奏曲の旧録ではすべて省略した反復指定を、
1981年の録音では反復指定の前半は行っていて、しかもテンポもゆっくりであることの関係性を、であって、
そのことに狙いを定めたシステムで聴いて、徹底的に探りたい。