日本のオーディオ、日本の音(その22)
地理的ギャップというものもある。東へ行くほど、レコードは録音によるコンサート効果をねらっていることがわかる。もちろんさらに遠く日本にでも行けば、西欧化されたコンサート・ホールの伝統による禁忌などはとりたててないから、レコーディングはレコーディング独特の音楽経験として理解されている。
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グレン・グールドが語ったことである。
私は、その日本にいて、オーディオマニアである。
20年前に、「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」という文も書いたことがある。
だから、このグールドの語ったことをおもいだす。
13万円以上する石英CDで、グールドのゴールドベルグ変奏曲を聴くのが、
はたしてグールド的リスナーなのだろうか。
少しでもいい音で聴けるのであれば、大金を惜しまない、
そういう態度はマニアとして、ほんとうに正しいのだろうか。
そう考えていた時期は私にもある。20代のころ、30代のころは特にそうだった。
少しでも音が良くなるのであれば、金も手間も惜しまない。
それこそがマニアの姿である、みたいな、そんな底の浅いものだった。
いまでも私はオーディオマニアであり、死ぬまで、おそらくそうであろう。
だから、いい音のためには手間は惜しまない、金だって余裕がなくなりつつあっても、惜しもうとは思っていない。
そういう意味では変っていないけれど、
昔は、手間も金も惜しまない、そんな自分に酔っていたところがなかった、とはいえない。
どこかに、そういう気持があった。
手間も金も惜しまない、ということは、自分に酔いしれるためではない、
あくまでも音楽のため、いい音のためであってこそ、オーディオマニアといえる。
1枚13万円をこえる石英CDは、枚数限定である。
マニアの心のなかのどこかにひそむ自分に酔いしれたい、という気持や虚栄心を、
これらのフレーズが煽らない、と言い切れるマニアがどれだけいようか。