Date: 10月 24th, 2012
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background…(その2)

ポール・モーリアのレコードをかけていたとしよう。
ポール・モーリアの音楽の聴き手は、
左右ふたつのスピーカーと聴き手との3点によってつくり出される三角形の頂点において、
微動だにせず、そこで鳴っているポール・モーリアの音楽に向い合うのだろうか。

そういうポール・モーリアの聴き方もあるけれど、
ポール・モーリアの音楽はそうした聴き方を前提としているのか、
そういう聴き方を、そこで鳴っている音楽は聴き手に求めているのだろうか。

もっと気楽に聴くことを望んでいる音楽ではないのだろうか。

ポール・モーリアの音楽をかけている(聴いている)途中で、
誰かからの電話がかかってきた、もしくは宅急便で荷物が届いたら、
電話の場合には会話の邪魔にならないようにアンプのボリュウムに手を伸ばし音量を下げるだろうし、
荷物を受けとるのであれば、そのまま椅子から立ち上り受け取ってくるだろう。

電話も大した用件でなければそれほど時間はかからない。
荷物を受けとるのは、もっと短い時間だ。

電話を切ったり、荷物を受けとったあとに、またポール・モーリアの音楽を聴くわけだが、
このとき音楽がかかってきたとき、荷物が届いたこと知らせる玄関のチャイムが鳴ったとき、
そのときまで再生した曲の途中までもどって聴き直すだろうか。

流しぱなしにしていて、
電話で話していたり荷物を受け取ってしまうのに必要な時間の分だけポール・モーリアの音楽は先に進んでいても、
その先に進んだところからまた聴く人の方が多いように思う。

私なら、たぶんそうするだろう。

カルロス・クライバーのトリスタンとイゾルデのCDが発売になったころだから、もう20年以上もことだが、
不思議なことにこのディスクを聴いていると、必ず同じ人から電話がかかってくる。

まさか、今日はかけてこないだろうな、と思って、クライバーのトリスタンとイゾルデを、
今日こそは最後まで聴き通そうとしよとうしても、やはり電話がかかってくる。

そういうとき、電話に邪魔される、という感じるわけだが、
これがクライバーのトリスタンとイゾルデではなく、ポール・モーリアの「恋はみず色」だとしたら、
邪魔された、とは感じないのではなかろうか。

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