Date: 8月 20th, 2012
Cate: 正しいもの
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正しいもの(その12)

SP盤での音楽鑑賞の体験がなければ、
音楽鑑賞に必要な想像力が得られないのか、もしくは養われないのか……。
なにもSP盤に限ることはい。
昔のSP盤の再生音のように、雑音の中から音楽を拾い出して聴くこと、
決して多くはない情報量を補うために想像して聴いてきたことがあれば、いい。

それはなにも悪い音で音楽を聴くということでは必ずしもない。
悪い音のときもある、が、貧しい音といったほうがより正しいだろう。
そういう音で音楽を聴いてきた体験が、
菅野先生、丸尾氏のバックボーンになっている。

このふたりだけに限らない。
五味先生だって書かれたものを読めばそうだとわかるし、
瀬川先生、岩崎先生もそうだ。他の方々はそういう経験を経た上でのバックボーンがある。

こういう話をすると、反論が、決って返ってくる。
情報量が多い音、雑音がほとんどない音でだけ音楽を聴いた経験しかなくても、
想像力は身につくし養われていく。
むしろSP時代の音によって得られた想像力よりも、
情報量が多く雑音のない音だけを聴いて得られる想像力のほうが上である、と。
つまり情報量が多くなり、雑音が少なくなったことで聴き手が受け取るものは圧倒的に多い。
多いからこそ、SP時代では行き着けなかった領域にまで想像力を働かせることができる──、
そういうことなのだそうだ。

ほんとうにそうなのだろうか。
情報量が飛躍的に増えることで、想像力はほんとうにそうなっていくのだろうか。
その可能性を否定はしないものの、全面的には同意できない、なにかを感じる。

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