この空間から……(その4)
好きな作曲家、演奏家の伝記、関連書籍を繙くのは楽しい。
グレン・グールドに関する本は、以前はかなり読んできた。
最近では、あまりにも数が多く出過ぎているのも理由のひとつなのだが、
以前のように、グールドに関する本は全て読もう、という気はずいぶん薄れてしまった。
それでもこの手の本を読むのは、おもしろいし楽しい。
それに読むことによって、好きな作曲家、演奏家に関する知識も増していく。
好きな演奏家のレコードを聴くのとは、また違うおもしろさ、たのしさが、ここにはある。
誰でもいい、好きな演奏家が見つかったら、
音楽好きとしては一枚でも多く、その演奏家のレコード(演奏)を聴きたいと思うし、
その演奏家のことを知りたい、とも思う。
耳と目によって情報を得ていくことによって、
それまで聴き手側の中にあった空洞が少しずつ埋まっていくのではないだろうか。
より理解を深めようと、さらに聴き込み、読むことで、その空洞は埋まっていく。
やがて空洞は空洞でなくなってしまうかもしれない。
なくならないまでも空洞の大きさが、最初の頃よりもずっと小さくなってしまっては共鳴は起きにくくなる。
より共鳴したいがために理解を深めていく行為が、時には共鳴を抑え込んでしまうことにもつながりかねない。
だからといってあまり聴くな、あまり読むな、ではない。
空洞を空間にするためには、空洞を空洞のまま放っておいても、それは空洞でしかない。
いつまでたっても空間とはならないはず。
空間はみずからつくっていくものだからだ。