「異相の木」(その3)
ステレオサウンド 56号に掲載されている黒田先生の文章は「庭がある。」からはじまる。
「庭」ということでは、1つの部屋に複数のスピーカーシステムを、
それも2つや3つではなく、10を超える数のスピーカーシステムを置く人がいて、
その人のリスニングルームは、さしずめ「庭」的雰囲気といえなくもない。
こういうオーディオの楽しみ方を、どちらかといえば軽蔑する人がいる。
若いとき、私もそういうところがあった。
いい音を求めようとすれば、他のスピーカーシステムを置くのは間違っている、
そんなふうに思い込んでいたから、これだけのスピーカーシステムを揃えるだけの財力があるのなら、
スピーカーシステム、さらにはこれだけのスピーカーシステムの他にも、
アンプやプレーヤーもそれこそいくつもあるのだから、その数を半分に減らせば、
それぞれのスピーカーシステムにあった部屋を用意できるだろうに……、なぜそうしないのか、と思っていた。
たしかに同じ空間に鳴らさないスピーカーシステムがあれば、
スピーカーシステムは共鳴体、共振体であるのだから、音は確実に変化する。
これはスピーカーシステムに限らない。
リスニングルームにピアノがあれば、スピーカーシステムから出た音がピアノにあたり、
ピアノが振動することで、その共振音、共鳴音をふくめて聴くことになる。
だから、昔、ピアノをうまく鳴らしたければ、部屋にピアノを置くのもひとつの手法だという話をきいた。
ピアノだけではない、チェロが好きならチェロを置いておけば、それもいい楽器であれば、
スピーカーシステムからの音に、同じ空間にある楽器の音がわずかとはいえのることになるのだから、
うまく作用してくれれば、ある種の演出効果も得られよう。
そう考えれば、同じ空間にスピーカーシステムが複数あるのは音を悪くするともいえる反面、
たとえば性格の正反対の音のスピーカーシステムであれば、
それぞれのスピーカーシステムの音が似通ってくる、ということも考えられる。
好きなスピーカーシステムをひとつの空間に置いておくことも、そうやって考えれば、
好きな音、それも少しずつ異っている良さをもつ好きな音がブレンドされた状態でもあるのだから、
オーディオの楽しみ方として、ひとつのやり方だと、いつしか思うようになっていた。
それに好きなモノがつねに視界にある、ということだけでも楽しい。
このオーディオのやり方・楽しみ方だけでは、やはり異相の木がある、とはいえない。