Date: 7月 21st, 2011
Cate: High Fidelity
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ハイ・フィデリティ再考(その33)

2000年に、audio sharingを公開したときは、これで、ずっと残していける、と思っていた。
私が死んだ後でも、誰かaudio sharingを受けついでくれる人がいれば、ずっと残っていく。
audio sharingを残したわけではなく、 audio sharingで公開している文章を残していける、とそう思っていた。
そして、そのことに大きな意味がある、とも思っていた。

2008年からこのブログをはじめ、2009年にもうひとつのブログ、the Review (in the past)もはじめ、
2010年からTwitter、今年はfacebookもやり始めて、残していけるものが増えている。

まだまだ、これから先、もっと残していきたいと思っているものを、
できるだけ公開していきたい、と思いながらも、
レコードのコレクションと、じつはこれも同じことがいえて、
何を後世に残さないようにするかを考えたうえで、何を残していくかを考えるべきであることに気づいた。
後世に残してはいけないものを残さないようにするために、残していけなければならないものを考えていく、
いま、そういう時になっているのではないか。

残すだけであれば、極端な話、そこに教養・熟考は必要ない。ただ作業を続けていけばいい。
残さないようにしていくために精進していくことが、純化につながっていく気もしている。

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