宿題としての一枚(その11)
キリル・コンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団による「シェエラザード」。
これも、瀬川先生が熊本のオーディオ店でかけられた一枚だ。
クラシックでデジタル録音が増えて始めたころで、
記憶違いでなければ、瀬川先生は、フィリップス初のデジタル録音だと話されていた。
けれどアナログ録音のようである。
瀬川先生の勘違いだったのか、
ほんとうにデジタル録音だったのか、同時にアナログ録音も行われていたのか。
瀬川先生は、とにかく音が美しいといわれていた。
ソロ・ヴァイオリンもふくめて、弦楽器の音について触れられていた。
コンドラシンの「シェエラザード」の少し前、
フィリップスの録音について、瀬川先生は高く評価されていた。
ステレオサウンド 56号で、こう書かれている。
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けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、もう数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
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そのことがコンドラシンの「シェエラザード」で、さらによくなっている──、
そんなことも話されながらかけられた一枚である。
リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」は、あまり聴かない。
ディスクもほとんど持っていない。
たまに聴く時は、コンドラシン指揮の「シェエラザード」である。
あの時聴いた音は、完全に美化されている。
美化されまくっている、といってもいいくらいである。
こうなってしまうと、もう現実の音は追いつけないのかもしれない。