真空管アンプの存在(と取り巻いていること・その3)
上杉研究所の広告に、
《もし、一生安心して付き合えるアンプがあるとすれば……》、
というコピーが使われていた時期がある。
1970年代の終りのころである。
広告コピー本文には、こうも書いてあった。
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大げさな言い方ですが、一生安心して付き合えるアンプがあるとすれば、それはどんなものだろうか、そんなことを考えながら、あれこれ試作を繰返しているうちにごく自然に固まったのが、これらの作品です。その意味では,よくもわるくも現代の消耗品的な発想から開発されたアンプとは、全く対照的です。決して新しいとはいえないが、それだけにまた古くもならない。──そんな製品が一つぐらいあってもいいじゃないか。という声に励まされて、商品化に踏み切りました。元はといえば、私自身のために設計したものばかりです。しかし最近では、人様に愛用していただくことの喜びを憶え、正直なところその方に魅せられています。
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上杉先生らしい文章である。
このころのウエスギの製品はU·BROS1(コントロールアンプ)、
U·BROS2(チャンネルデヴァイダー)、U·BROS3(パワーアンプ)だった。
U·BROS3はKT88のプッシュプルなのだが、出力は50W+50Wと、やや控えめに抑えられている。
KT88のプッシュプルといえば、マッキントッシュのMC275が75W+75W、
マイケルソン&オースチンのTVA1が70W+70W、ラックスのMB88が80Wの時代だった。
上杉先生は出力よりも製品寿命、真空管(KT88)の寿命を慮っての動作決定といわれていた。
そして上杉先生は、真空管のストックを、
ほぼ一生分といえるだけ確保してのアンプの商品化である。
ウエスギ・アンプには最初から生産台数が限定のモノがあった。
これらのアンプは出力管がやや稀少だったりするために、
メインテナンスに必要な分を確保した上での生産台数の決定であった。
ウエスギ・アンプを買えば、真空管に関しては安定供給してくれる、という安心があった。
だからこその《一生安心して付き合える》なのである。
このことも上杉先生らしい、と思う。
でも、だからといって、他のアンプメーカーに同じことを求めるのはどうかとも思う。