老いとオーディオ(若さとは・その14)
(その12)にもコメントがあった。
寂夜さんという方からのコメントである。
このブログへのコメントは、少ない。
facebookでもコメントは少ない。
なのに、今回「老成ぶっている」ということに関しては、コメントがある。
少しも短めのコメントではなく、書き手としては、少々驚いている。
ここでの書いていることにコメントがあるとは、当初はまったく思っていなかった。
なのに、書いてくださる方がいる。
ありがたいと思うだけでなく、なぜだろう、とも思う。
寂夜さんのコメントに、
《これは「老成ぶって」しまっていると言う事なのでしょうか?》とある。
老成ぶっているとは、まったく思っていない。
私が感じている老成ぶることについて、
具体的なことを書くのがわかりやすいかもしれないと思いつつも、
ある程度具体的なことを書いてしまうと、
「あっ、私のことだ」と思ってしまう人がいるはずだ。
老成ぶっていると感じている人は、一人ではないので、
うまくぼかして書くこともできないわけではないだろうが、
それでも個人攻撃になるような感じなので、それはやりたくない。
老成ぶっている人は、老成している人ではないことだけは、まずいっておきたい。
そして、ここで書いている老成とはオーディオに関しての老成である。
ことオーディオに関して、若くして老成していた人はどれだけいるのだろうか。
かなり少ないのではないのではないだろうか。
自分より年齢が上の家族が、そうとうなオーディオマニアであれば、
それもかなり恵まれた環境にいたのであれば、
本人に資質があれば、若くして老成していた人もいよう。
四十年前の1月から、ステレオサウンドで働くようになった。
菅野先生、長島先生、山中先生は1932年9月生れなので、このときはまだ49歳、
井上先生がちょうど50歳だった。
井上先生の若いころを知っているわけではない。
それでも試聴の合間に、若いころの話をしてくださった。
それを聞いていて、井上先生は若くして老成されていたのかも、と思うようになった。
私の勝手な想像でしかないが、
井上先生の若いころと、私が老成ぶっていると感じている人たちは、
いうまでもなくまるで違う。
知識も経験も、ノウハウも感性も、みんな大きく違う。