Date: 1月 25th, 2022
Cate: 老い
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老いとオーディオ(若さとは・その14)

その12)にもコメントがあった。
寂夜さんという方からのコメントである。

このブログへのコメントは、少ない。
facebookでもコメントは少ない。

なのに、今回「老成ぶっている」ということに関しては、コメントがある。
少しも短めのコメントではなく、書き手としては、少々驚いている。

ここでの書いていることにコメントがあるとは、当初はまったく思っていなかった。
なのに、書いてくださる方がいる。

ありがたいと思うだけでなく、なぜだろう、とも思う。

寂夜さんのコメントに、
《これは「老成ぶって」しまっていると言う事なのでしょうか?》とある。

老成ぶっているとは、まったく思っていない。

私が感じている老成ぶることについて、
具体的なことを書くのがわかりやすいかもしれないと思いつつも、
ある程度具体的なことを書いてしまうと、
「あっ、私のことだ」と思ってしまう人がいるはずだ。

老成ぶっていると感じている人は、一人ではないので、
うまくぼかして書くこともできないわけではないだろうが、
それでも個人攻撃になるような感じなので、それはやりたくない。

老成ぶっている人は、老成している人ではないことだけは、まずいっておきたい。
そして、ここで書いている老成とはオーディオに関しての老成である。

ことオーディオに関して、若くして老成していた人はどれだけいるのだろうか。
かなり少ないのではないのではないだろうか。

自分より年齢が上の家族が、そうとうなオーディオマニアであれば、
それもかなり恵まれた環境にいたのであれば、
本人に資質があれば、若くして老成していた人もいよう。

四十年前の1月から、ステレオサウンドで働くようになった。
菅野先生、長島先生、山中先生は1932年9月生れなので、このときはまだ49歳、
井上先生がちょうど50歳だった。

井上先生の若いころを知っているわけではない。
それでも試聴の合間に、若いころの話をしてくださった。

それを聞いていて、井上先生は若くして老成されていたのかも、と思うようになった。
私の勝手な想像でしかないが、
井上先生の若いころと、私が老成ぶっていると感じている人たちは、
いうまでもなくまるで違う。

知識も経験も、ノウハウも感性も、みんな大きく違う。

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