Date: 6月 11th, 2021
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック
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カザルスのモーツァルト(その7)

いろんな指揮者のモーツァルトの演奏を聴いていると、
ふと、こんな演奏じゃなくて……、と思ってしまうときがある。

そういう時に聴きたくなるモーツァルトは、きまってカザルス指揮のモーツァルトである。
そして、もうひとりフリッツ・ライナーのモーツァルトである。

ライナー/シカゴ交響楽団によるモーツァルトを聴いていると、
これこそがモーツァルトだ、と心でつぶやいている。

カザルスのモーツァルトもそうなのだが、こういうモーツァルトは聴けそうで聴けない。

ライナー/シカゴ交響楽団のモーツァルトの交響曲を聴く、ずっと前に、
ライナー/メトロポリタン歌劇場による「フィガロの結婚」を聴いていた。

録音は、私が手に入れたCDはかなり悪かった。
それでも演奏は素晴らしかった。

五味先生はカラヤンの旧録音(EMIでのモノーラル)を高く評価されていた。
五味先生はライナーの「フィガロの結婚」は聴かれていないのか。

「フィガロの結婚」の記憶があるから、
ライナー/シカゴ交響楽団のモーツァルトには期待していた。

期待は裏切られるどころか、こちらの勝手な期待を大きくこえたところで、
モーツァルトのト短調が鳴り響いていた。

五味先生の表現を借りれば、
《涙の追いつかぬモーツァルトの悲しい素顔》が浮き上ってくる演奏とは、
ライナーやカザルスの演奏のような気がしてならない。

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