バックハウス「最後の演奏会」(その17)
この項の2012年12月に書いている(その12)、(その13)で、
骨格のしっかりした音、骨格のある音という表現を使っている。
わかりやすい表現のようではあるが、
ほんとうにうまく相手に伝わるのかどうかは、はなはだあやしい。
それぞれに「骨格のある音」のイメージは違っているような気がするからだ。
それでは、もっと丁寧に、
骨格のある音と骨格のない音の違いについて説明できればいいのだが、
こういう感覚的な音の表現を、どんなにこまかく描写していっても、
わからない人はわからない、という、それだけのことである。
それでも、今回のTIDALで聴くことができた「最後の演奏会」の音は、
確かに骨格のある音だったし、国内盤(CD)での音は、骨格のない音だった。
もっとも私の再生環境でそうであったというだけのことの可能性もある。
「最後の演奏会」のCDを、国内外の多くのCDプレーヤーで聴いているわけではない。
せいぜい三機種程度でしかない。
なので、あくまでも、その範囲内のことでしかない可能性もある。
けれど、国内盤に対する印象は、そう間違っていない、とも思っている。
TIDALの再生環境は、CDプレーヤー以上の違いがあるのかもしれない。
TIDALで聴いても、骨格のある音に聴こえなかった、と感じる人もいるだろう。
そう書きながらも、私のところでは、TIDALの再生環境は二つある。
一つはMac miniをメリディアンの218る接いで、コーネッタで聴くシステム、
もう一つは、iPhone 12 Pro+FC3でヘッドフォンで聴くシステムだ。
どちらで聴いても同じに感じたのだから、ある程度の普遍性のようなものはある。
その人が出している音が、まったく骨格を感じさせない音であれば、
TIDALで「最後の演奏会」を鳴らしたところで、国内盤の音と変らないであろう。
けれど、骨格のある音ということに関心のある人ならば、
そして骨格のある音とない音を違いを、少しでもいいから具体的に聴きたい、
そう思っている人は、TIDALと国内盤(CD)で比較してみてほしい。