オーディオ評論をどう読むか(その7)
二年前の(その6)で、
オーディオ評論家(職能家)の書く文章を読むことは、
そのオーディオ評論家(職能家)の聴き方を知り、学ぶ行為である、と書いた。
いま書店にステレオサウンド 218号が並んでいる。
特集は「リファレンスディスクから紐解く評論家の音の聴き方」である。
まだ読んでいない。手にもとっていなので、
どういうレベルの内容にしあがっているのかは、まったく知らない。
それでも、こういう企画をやるようになったのか、と思っている。
出来のいい記事であってほしいと思っているが、
出来のいい記事であったとして、
(その6)で書いている「オーディオ評論から何も学ぶものはない」と豪語する人は、
そのままなのだろう。
豪語することが自慢なのだろうから。
自分の耳、聴き方が絶対なのだと思い込める人なのだから。
記事のタイトルには紐解くとある。
繙くではなく、紐解く、である。
解く、である。
それは解答へとつながっている「紐解く」であってほしい。
こういうことを書いていると、
お前はオーディオ評論家(職能家)の聴き方を知り……、といってるじゃないか。
そんな声がきこえてきそうである。
何度も書いているように、
いまのステレオサウンドにオーディオ評論家(職能家)はいないが、
私の捉え方・考え方である。
それは変らない。
そうであっても今回の特集では、
オーディオ機器はあまり登場しないのではないだろうか。
おそらくだが試聴を行っていないはすである。
今回の特集は、緊急事態宣言ということもあっての試聴なしの企画なのだろう。
だとしたらオーディオ評論家(職能家)でなくとも、
商売屋のところが抑えられているのではないだろうか。