オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(続・朝沼予史宏氏のこと)
朝沼さんに感じていた役割と、
ステレオサウンド創刊当時からのオーディオ評論家の方々に感じていた役割とには、
私個人としては、微妙な差がある、と思っている。
誤解を招く書き方になるが、朝沼さんの役割には、ある種の演じている、と感じるところがあるからだ。
もちろん、瀬川先生ほか、オーディオ評論家の方たちにも、そういう演じている役割はあったと思う。
それでも、表立つことはそうはなかった。
その点において、朝沼さんは違う。
なぜ違うのか。
世代の違いがある。
役割を果してこられた方たちと朝沼さんとは、ひとまわり以上違う。
朝沼さんは、若手と呼ばれるグループにいた。
そのグループ内には、共通認識としての役目・役割がなかったのではなかろうか。
上の世代には、それがあった。
朝沼さんの世代には、それがなかった。
これが朝沼さんが、役割を演じていると感じることに関係している、と思う。
まず共通認識としての役目があり、そしてそれぞれの役割があるのだから。
話はそれるが、いまでも朝沼さんのことに関して菅野先生を誤解している人がいるのを、見聞きする。
菅野先生ご本人が語られていないことを私が語るわけにもいかないが、
なにひとつ事情を知らない人の誤解であることは、はっきりと書いておく。
2002年12月8日の未明に、朝沼さんは亡くなられている。
その日の午前中、私は菅野先生のお宅をうかがっていた。
そのときの菅野先生の表情を私はみている。
そして、菅野先生から、直接聞いていることがある。
だから言える、菅野先生は朝沼さんに期待されていた。
それゆえのことだった、と。
いつか詳しく書く日が来ると思うが、いまはこれ以上は書かない。