4343と2405(その3)
1978年79年にかけて、ステレオサウンドから別冊として「HIGH TECHNIC SERIES」が出た。
Vol.1がマルチアンプ、Vol.2が長島先生によるMCカートリッジの詳細な解説、
Vol.3がトゥイーター、Vol.4がフルレンジの特集だった。
Vol.3の巻頭記事で、4343のトゥイーターを2405を含めて、
他社製のトゥイーターに交換しての試聴が行なわれている。
試聴方法は、それぞれのトゥイーターの能率も異るし、
4343の内蔵ネットワークは2405に有利に働くこともあるということで、
トゥイーター用に専用アンプを用意して行なわれていた。
試聴者は、井上先生、黒田先生、瀬川先生の3人。
私が何度も読み返したのは、ピラミッド社のリボントゥイーターT1と2405のところだ。
井上先生と黒田先生は、T1をひじょうに高く評価されこのとき聴いた中ではもちろんベストの存在だし、
当時4343をお使いだった黒田先生はT1に心を動かされていたと記憶している。
瀬川先生は、というと、T1のポテンシャルの高さは充分認めながらも、
「2405の切り絵的な表現に騙されていたい」ということを言われていた。
このことが、いまでも強い印象として残っている。
T1に置き換えたときの音像を立体的とすれば、2405の音像は平面で切り絵的。
T1にすることで、4343がより自然な音に変化することよりも、
2405が演出する世界に騙されることで、レコード音楽にワクワクドキドキしていたい、
そう私は受けとめた。
2405のフェライト仕様は、おそらくその切り絵的世界が、ずいぶんと失われているのではなかろうか。
他のトゥイーターと比較すれば、それでも切り絵的世界の音だろうが、
切り絵ならば、その切り口がスパッと見事であってほしい。
迷いながらの未熟な、甘い切り口では、そんな切り絵には騙されたくない。
騙されていたいと思うのは、それが見事なものであるからだ。